過剰に興奮するのでもなく、ひどく落ち込んでしまうのでもない、平静な心は善です。
心の静けさには独特の快さがあります。
過剰な興奮のように刺激的で中毒性のある快感ではありませんが。
唯識仏教では、心の病を癒すためには、ダルマ・世界のありのままの真理を覚ることが必須だと考えていますから、ありのままが見えなくなるような心の状態は煩悩に分類され、ありのままが見えやすくなる心が善であるとされるのは当然です。
私たちは興奮状態や落ち込み状態にあると、物事を自分のその時の気分で曲げて見てしまいがちです。
どうしても、主観的になってしまうのです。
世界をありのままにではなく、自分の主観、その時の気分で見てしまうと、事実に合わないすばらしいところに思えたり(躁状態)、同じく事実に合わないひどいところに思えたりします(鬱状態)。
現代では、どちらかというとひどいところに思えることが多いようですが。
それに対して、自分の都合や気分をいったん脇に置いて平静な心で見ると、世界のありのままの姿が見えやすくなります。
ありのままの世界はつながり(縁起)、一体(一如)の世界です。
つながって一つである世界は、ふつうの意味での善悪、幸不幸、損得、創造‐破壊といった2項対立を超えていて、けれどもやはり素晴らしい美しい世界です。
そういう美しい世界が見えてきた時、私たちの心には静かで深い喜びと感動が湧いてきます。
過剰な興奮に慣らされた現代人が誤解するのとちがって、平静な心・行捨(ぎょうしゃ)は退屈なものではなく、静かな喜びに満ちた心なのです。
補足として論理療法的なコメントをしておくと、過度で不健全な興奮がいけないのであって、適度で健全な興奮は人生に必要なものだ、と私は考えています。
鬱状態や躁状態、あるいは躁鬱の波というのはどれも不健全であり、基本は平静な心、時々適度な興奮、というのがいちばん好ましい心の状態であることは、実感すれば誰にでも納得できることなのではないでしょうか。

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>静かで喜びに満ちた心
とてもいいと思うのですが、なんだか生活実感とはかけ離れていて…
でもぜひそうなりたいと思います。そのほうがさわやかそうです。
家庭教師をやっていますMと言います!
ブログランキングから遊びに来ました!
最近、自分の教え子を見る目にかなり主観が入っています。
もう少し、冷静に客観的に子供と向き合いたいなと思っています(^^;
また、来させていただきます!
静かな幸せ。
静かな心の独特の快さ。
なるほど、実生活を豊かにする一つのコンセプトですね。
そして、時折適度な興奮。
これまさに理想です。
あ、なんだか先生のイメージです(笑)