崩壊の3つまたは4つの段階 1-2 神仏分離について 1

2005年08月20日 | 歴史教育


 話を少し元にもどしましょう。

 第二に、江戸時代の経済は驚くほどのリサイクル可能な経済だったようで、一定の人口ならば(1説では幕末の人口は3千万人くらい)、このまま何百年でも生態系を壊さないで生活していけるシステムができていたという説もあるほどです。

 どのくらいリサイクルができていたか、ユーモラスなエピソードがあります。

 当時、人間の糞尿は畑の肥料として利用されており、役に立つものでした。

 それどころか、近隣の農家が江戸市中の長屋などに汲み取りに来て、代金を払って帰るくらい価値あるものでした。

 さてそこで、長屋の糞尿は長屋の持ち主の大家さんに権利があるか、それとも出した借家人にあるか、どちらが代金を受け取るかで、もめたという話があるのです。<

 糞尿は汚物として金をかけて処理するものではなく、肥料として野菜を育てたのですね。みごとなリサイクル経済です。

 こうした例はたくさんあるのですが、ここのテーマではありませんから、省略します。

 とはいっても、もちろん、人口が過剰にならないよう調節されているのは、一方では医療が未発達で治らない病気も多く、多くの子どもが幼くして死ぬとか、また堕胎や間引きといった悲惨なことも行なわれたためだったようで、すべてがよかったといいたいのではありません。

 しかしともかく、江戸時代の日本は、ある面ではエコロジカルに持続可能な社会システムの形成という現代の課題をすでに先駆的にかなりみごとに達成していたという評価もできるのです。

 繰り返しいうように、江戸時代には身分差別や抑圧・搾取や貧困などの大きなマイナス面があったことを無視するわけではありませんが、しかし大きなプラス面、相当な歴史的達成もあったといえるようです。

 そして、そうした平和と調和の達成を支えていた思想・世界観が「神仏儒習合」だったのです。

 ところが、黒船によって、無理矢理に開国させられ、植民地化の危機に立たされたとき、明治維新の志士たちは、人々のエネルギーを結集し国難に対処するための原理を、神仏儒習合の世界観ではなく、水戸学や国学に求めました。

 これはどちらも、天皇絶対性・天皇制神道を原理にしているものでした。

 確かに、人々が一致団結して国難に対処するための統一原理、精神的エネルギーの源泉として、当時の日本には他に持ち札・選択肢がなかったにはちがいありませんが、そこから大きな問題も生まれてきました。

 それは、1868年、維新が実現した時点で、いわゆる「神仏分離」がなされ、国学-天皇制神道が他と切り離されて国教化されたことです。

 そして、当然ながら学問としては洋学が優先されました。

 黒船が象徴していたのは、言い換えると西洋のもつ軍事力、鉄の軍艦を太平洋を越えて派遣するだけの産業力、それを可能にした技術力、そのバックにある科学、さらにそのベースにある近代の合理主義-西洋的な理性でした。

 志士たち=明治の指導者たちが黒船から受けたのは、西洋近代文明の圧倒的な力に対するショックだったといっていいでしょう。

 そこでかろうじて、国民的エネルギーを結集する原理としては「天皇制神道」を、西欧の力に対処するには「文明開化=西洋化」を、という2本立ての対策を立てたのです。

 それに際して、「忠君愛国」や家族主義の原理としての儒教道徳は残されましたが、仏教は天皇制や忠君愛国の倫理に反しないかぎりにおいて許容されるというふうに、大幅に格下げされました。

 ここに、日本の伝統的な精神性であった「神仏儒習合」の総合的な力が落ちる始まりがあります。


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