人生の有限性と決断

2006年10月13日 | 生きる意味





 無常ということは、人生の持ち時間は有限ということだよ。

 どうでもいいことやつまらないこと、ましてよくないことで浪費していいような人生の時間なんてないんだよ。

 できるだけ、大切なことを学ぶために時間を使わなければね。

 ……という話を、しばしば授業でします。

 世界に溢れている情報は膨大で、そのすべてを収集し検討して、絶対にまちがいのないこと(真理)を摑んでから、その後で人生のシナリオを決める、というふうなことは、与えられた持ち時間の有限な私たち人間には、残念ながら不可能です。

 情報をできるだけ広く公平に、そして必要な時には深く、収集してから、しかしすべてを知っているわけではないという状態のまま、どこかで決断するほかありません。

 いのちの意味についても基本的にはおなじです。

 私たち人間は、言葉(ロゴス)によって世界・宇宙(コスモス)がどういう仕組みになっているかを体系的に捉えることなしには、安定・安心して生きていくことができません。

 しかし、宇宙に溢れている全情報を収集し解析して、それから絶対的・最終的コスモロジー(世界観)を描く=いのちの絶対的意味を知るなどということは、かつても、今も、これからも不可能でしょう。

 今の段階の自分の知識で、確からしいと思うコスモロジーを、決断して採用しておくほかないのです。

 そのうち絶対的・最終的結論に到達するのではないかという漠然とした気持ちで、情報収集をし続け、コスモロジーについて決断を留保し続けているかぎり、心も生き方も安定した方向性を得ることはできません。

 まちがっていると思ったら、そこで改めるつもりで、「しかし今はこう考えておくことにする」という決断が必要なのではないでしょうか。

 その場合、理性的・科学的に妥当性があり、しかもいのちに意味があると思わせてくれるようなコスモロジーを採用しておくのが、いちばん賢いのではないでしょうか。

 もちろん、たとえ一応であれ採用を決断するまで、一定の検討の時間は取っていいのですが、無限に引き延ばすことは不可能です。

 なるべく若いうちに一応の結論を出しておいたほうが、人生のシナリオ・方向性を決められるので、そのほうが望ましいですね。

 もちろん、決めるのはみなさんです。

 ……というふうなコメントを、コスモロジー授業の中で、時々しています。




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