THE WAY

インディアンネーム「生命の声を聞く者」のヒーリングブログ

サイババの恩寵

2015-02-10 13:35:19 | セッション記録

私の一番最初の師はサイババだった

3歳で親に捨てられ

28歳まで人生のすべてが深刻で

冗談が通じない子、心から笑うことができない

それが私だった


私は渇いていた

ずっと肉体を持った人生の師がほしかった

そんな時に一冊の本に出会った

青山圭秀さんの「理性のゆらぎ」「真実のサイババ」だった

私の中に迷いは一切なかった


どうしてもインドへ行かねば・・・・

そして私は何もかもを置いてインドへ渡航した



「求めよ。さらば与えられん」この言葉の通り、私は人生をかけて求めていた



師のメッセージの中にこんな言葉があった

「探求をする時、とりあえずやってみようは大抵失敗に終わります。

やる気と決意、真摯さがとても重要です。

そのうちしっくりくるだろうではうまくいきません。

自分を変えるというのはとても大変で簡単ではないのです。」



人生には幾つかのターニングポイントがある

私は人生をかけていた

なぜ生きるのか?この生命をどう放射するのか?



サイババの事を色々な人が様々なことを言うが

会った者にしか分からない神の領域・・・・仏陀フィールドを体験すれば

どれだけすごいかが分かる

サイババは亡くなった後、国葬されている

国葬はマザーテレサもそうだったが

国葬されるということがどれだけの影響力であるかを意味している



私はサイババに出会った後、日常で大きなくぎりをつけることになる


子供3人を抱え、車検の切れたオンボロ車一台と一緒に

路上(山)で寝泊りすることになる


私一人ならまだそれも可能だろうが、路上生活を子供3人とすることになる


若いからこそできた体験だと思う


世間知らずだったので、生活保護という言葉も知らず

私はたった一人で身寄りもなく、金沢の山で子供3人と生活をする


今考えてもゾッとする




第1回目のターニングポイントは3歳


これは私の人生の第2のターニングポイントだったのだろう


この後、私は神の恩寵を受けることになる



ある子供が山で遭難し、何日も見つからずに生きて帰ったという話がある


なぜ生き延びることができたかというと、子供は環境適応能力があり

なぜ自分はこんな目にあっているのかという疑問で頭を悩ませたりしないからだという


今できることをする

寒ければ、暖かくなる方法を探し

食べ物がなければ、口にできそうな水を近くで見つける

これが生き延びられた原因だと専門家は言っている


私がこういう状況を乗り越えてきたのも

ずっとこれが続くのかという不安や
自分はこれでいいのだろうかという疑問を感じる暇がなく

今日生きるために、食べるためにどうしたらいいかにフォーカスしていた

必死だったからなのかもしれない

何かを考える暇(余裕)などなかったのだ


子供がいたことが、私を強くしたのだろう


その後私は光の体験をすることになる


サイババの恩寵にて


私は解脱がしたい・・・真実を知りたいと願っていた

それは理屈や理解を超えた説明のつかないフィールドに包まれることで

瞬時にすべての創造の瞬間を体験し、すべて知っているという体験が待っていたのだった


師が言っていた


「覚醒した人がいたら、その人の傍に行きなさい

仏陀フィールドは、あなたのすべてを目覚めさせ、あなたを連れ戻すことになる」・・・と

仏陀に出会うことは、肉体を持った覚者に出会うことは、この上ない恩寵だと思っている


何世代も、何百回もの転生を超えて、準備がなされてきたのだから・・・