東京に「禅」というお店を出したが
なぜ「禅」という名前なのか、よく分からない
導かれたとしか言い様がないからである
ここのところ、縁の深い人たちと繋がり始めているのを感じているが
面白い現象は
ライブハウス状態になっていることだ
生のギターを演奏して、みんなが歌を歌って繋がる
カラオケではない
小さなお店だからこそできる深い繋がりができつつある
そして、もう一つ面白い現象が起きている
日本の古神道の霊能者が、すごく近くにいたのだ
私のすべてを読むことはできないが
十字の光をみたり、マリア様の置物に反応したり
この店は居心地がよく、霊的によく考えられて色々なものが
配置されていると言っていた
そして、お互いが霊的だと分かると
神道の造作や、八百万の神々の話をして情報をくれるようになっていった
通常、日本系の神々や、やり方に対して、まったく興味を持っていなかったのだが
この方を通して、様々な情報を得ることになった
とくにお稲荷さんに対しての扱いについて得意だというからびっくりだ
妹が、とあるお稲荷さんに関わっていて、大変な状態になっていたからである
きつねや、霊たちは、大変お酒が好きだということで
日本酒を一升あけてしまうのではないかと思う勢いで飲んでいた
日本酒を彼らにあげるのだと言っていた
日本の神様も、日本酒が好きらしい
そして違う存在が入るとお酒の味が苦くなるそうだ
私の魂はインディアン系であり、宇宙や地球のガーディアン、精霊たちとコンタクトをとるのが得意で
日本の神々や神道における霊的な知識は、あまり興味がないため、
正確な情報を与えられないでいたのだが
こうして解決に向かうとは思ってもみなかった
通常、違う異質な霊性を持ち合わせると、喧嘩するか、
又はお互いをひどく避けるのが通常なのだが
交流することで、とある除霊に関わる案件に関わることになっていったのだった
除霊をしなければならない女性は、お店の常連さんで
私が東京に来て、最初に関わったクライアントの男性と付き合い始めた
2年前、この男性のクライアントを最後まで見ることはできず、私は2年間もひきずっていた
癒すことが出来なかったと、2年間も考え続けることはあり得ないのに
とても深い案件だったため、私の中で終了させたくなかったのだ
彼自身の魂は大きく目立つ存在で、有名人で芸能人だったということもあり
闇は彼を覆い、闇の存在たちは集合して塊をつくり、彼を覆っていたのだった
私にはまだ準備ができていなかったとは思えない
彼の準備が整わず、闇の存在が私に近づけないようにしていたのか
私を守る存在たちが私を守ってしまったのか
それは分からない
その終わらない案件が、彼女を通して、私が再び関わることになろうとは
そして、神道系の霊能者と共に光へと連れ戻すことになろうとは
どう考えても、人間技ではない
なぜ、2年前に彼と関わらなければならなかったのか
そしてその後、1年間も闇の体験をしなければならなかったのか
全部のパズルがピタリと当てはまっていくのだった
結局私が関わっているのは、彼とか彼女とかというクライアントではなく
その背後にある大きな闇の存在だった
「その領域にいる者にしか、その領域を見ることはできない」
そしてその領域を超えている者にしか、それを超えることはできない
「その領域にいる者にしか、その領域を見ることはできない」とは
何を意味するかというと
宇宙には、善と悪は存在しない
幽霊が誰かに憑くという現象は
ある人にとったら存在し
ある人にはまったく存在しない世界なのだ
キリスト教は天使を創った瞬間に悪魔ができた
日本に天使や悪魔という風習はない
でもない訳ではない
ある人にとって存在するということは
「ある」
ということなのだ
それは想念帯の領域、波動領域にいるかいないか
何を信じるか信じないかで
実際の世界が変わるということを意味する
自分の波動領域の世界に存在する
神道系の波動領域は、私には存在しえない世界だったはずだ
ところが、実は私が3歳で親に捨てられ、育った場所は
神道系の教会なのだ
そして過去生を辿っていくと、仏陀と共に存在し
肉体意識は神道にも深く関わっていたことがある
神道に興味を示さないのは、育った教会で、十分エッセンスを身につけ
マスターしてしまったからだった
今、私が体験しているのは、様々な転生の全部を
まるで、今回の人生でまとめあげているようなことなのだ
イスラムのスーフィズムや、シャーマニズム
これは私の魂の色と似ている波動領域に存在するからだと思う
再び、神道系のエネルギーと関わることになるのには
今後、色々な意味があると思っている
それにしても、どの波動領域にも同じことが言えるのは
身代わりになるとか
影響を引き受けるということだったりする
そして大抵、この道をゆく者は
何度も死にかけて助かっているということだ
いづれにしても、面白い展開が待っていそうだ
今年は様々な意味で「統合」というキーワードの年になっていくのだろう
なぜ「禅」という名前なのか、よく分からない
導かれたとしか言い様がないからである
ここのところ、縁の深い人たちと繋がり始めているのを感じているが
面白い現象は
ライブハウス状態になっていることだ
生のギターを演奏して、みんなが歌を歌って繋がる
カラオケではない
小さなお店だからこそできる深い繋がりができつつある
そして、もう一つ面白い現象が起きている
日本の古神道の霊能者が、すごく近くにいたのだ
私のすべてを読むことはできないが
十字の光をみたり、マリア様の置物に反応したり
この店は居心地がよく、霊的によく考えられて色々なものが
配置されていると言っていた
そして、お互いが霊的だと分かると
神道の造作や、八百万の神々の話をして情報をくれるようになっていった
通常、日本系の神々や、やり方に対して、まったく興味を持っていなかったのだが
この方を通して、様々な情報を得ることになった
とくにお稲荷さんに対しての扱いについて得意だというからびっくりだ
妹が、とあるお稲荷さんに関わっていて、大変な状態になっていたからである
きつねや、霊たちは、大変お酒が好きだということで
日本酒を一升あけてしまうのではないかと思う勢いで飲んでいた
日本酒を彼らにあげるのだと言っていた
日本の神様も、日本酒が好きらしい
そして違う存在が入るとお酒の味が苦くなるそうだ
私の魂はインディアン系であり、宇宙や地球のガーディアン、精霊たちとコンタクトをとるのが得意で
日本の神々や神道における霊的な知識は、あまり興味がないため、
正確な情報を与えられないでいたのだが
こうして解決に向かうとは思ってもみなかった
通常、違う異質な霊性を持ち合わせると、喧嘩するか、
又はお互いをひどく避けるのが通常なのだが
交流することで、とある除霊に関わる案件に関わることになっていったのだった
除霊をしなければならない女性は、お店の常連さんで
私が東京に来て、最初に関わったクライアントの男性と付き合い始めた
2年前、この男性のクライアントを最後まで見ることはできず、私は2年間もひきずっていた
癒すことが出来なかったと、2年間も考え続けることはあり得ないのに
とても深い案件だったため、私の中で終了させたくなかったのだ
彼自身の魂は大きく目立つ存在で、有名人で芸能人だったということもあり
闇は彼を覆い、闇の存在たちは集合して塊をつくり、彼を覆っていたのだった
私にはまだ準備ができていなかったとは思えない
彼の準備が整わず、闇の存在が私に近づけないようにしていたのか
私を守る存在たちが私を守ってしまったのか
それは分からない
その終わらない案件が、彼女を通して、私が再び関わることになろうとは
そして、神道系の霊能者と共に光へと連れ戻すことになろうとは
どう考えても、人間技ではない
なぜ、2年前に彼と関わらなければならなかったのか
そしてその後、1年間も闇の体験をしなければならなかったのか
全部のパズルがピタリと当てはまっていくのだった
結局私が関わっているのは、彼とか彼女とかというクライアントではなく
その背後にある大きな闇の存在だった
「その領域にいる者にしか、その領域を見ることはできない」
そしてその領域を超えている者にしか、それを超えることはできない
「その領域にいる者にしか、その領域を見ることはできない」とは
何を意味するかというと
宇宙には、善と悪は存在しない
幽霊が誰かに憑くという現象は
ある人にとったら存在し
ある人にはまったく存在しない世界なのだ
キリスト教は天使を創った瞬間に悪魔ができた
日本に天使や悪魔という風習はない
でもない訳ではない
ある人にとって存在するということは
「ある」
ということなのだ
それは想念帯の領域、波動領域にいるかいないか
何を信じるか信じないかで
実際の世界が変わるということを意味する
自分の波動領域の世界に存在する
神道系の波動領域は、私には存在しえない世界だったはずだ
ところが、実は私が3歳で親に捨てられ、育った場所は
神道系の教会なのだ
そして過去生を辿っていくと、仏陀と共に存在し
肉体意識は神道にも深く関わっていたことがある
神道に興味を示さないのは、育った教会で、十分エッセンスを身につけ
マスターしてしまったからだった
今、私が体験しているのは、様々な転生の全部を
まるで、今回の人生でまとめあげているようなことなのだ
イスラムのスーフィズムや、シャーマニズム
これは私の魂の色と似ている波動領域に存在するからだと思う
再び、神道系のエネルギーと関わることになるのには
今後、色々な意味があると思っている
それにしても、どの波動領域にも同じことが言えるのは
身代わりになるとか
影響を引き受けるということだったりする
そして大抵、この道をゆく者は
何度も死にかけて助かっているということだ
いづれにしても、面白い展開が待っていそうだ
今年は様々な意味で「統合」というキーワードの年になっていくのだろう