THE WAY

インディアンネーム「生命の声を聞く者」のヒーリングブログ

自己責任をとるということ スピリチュアルの罠

2019-02-16 13:44:28 | スピリチュアル

「誰も本当の真実を知りたくはない。人は自分が信じたいものだけを見ることで、自己が安定する」

長い間、何万人もの人と関わってきて分かってきたことは

人が信じて歩いている道を、修正することの必要がないことを知ることだった


それは、時には孤独で悲しい現実でもあり

私は発信することを止め、自分にこもっていった



そして私の意識は、いつのまにか、感情や他の人との交流を遮断して

宇宙のスペースという名で語られる自己の中に閉じこもり

世界と心から繋がる手段を絶ってきた



ひきこもりというやつだ




ところが3年前から東京にきて、昨年お店をオープンさせてから

否が応でも人と関わらずにはいられない状況になり

私の周りは、クライアントさんという人間関係ではない

新しい様々な人々との交流が始まった


ヒーラーとしてではない交流は私を自由にしてくれた


時に私はあどけない子供のように

お母さんのように

何も知らない少女になることが

新鮮だった


誰の期待にも応える必要がなく、自分を明かさないで生きることは

まるで隠れんぼのような

つかの間の遊びのようだった


幅広い年齢層と様々なジャンルの人との関わりの中で

多くの影響を受けることになる人物と何人も出会ってきた


その中でも飛びぬけて面白い関係性は

自己主張、自己顕示欲が強く、ストイックで負けず嫌い、

感情に脆く、率直でストレートな人との関係性だった


私がその頃強く求めていたのは

目利きの青山二郎のような人物だった


一瞬にして人の本質を見抜き、それを隠さずストレートな物言いで

その人の魂を引き出してしまう天才

見抜かれた人はみな衝撃を受けて魅了されてしまうような

本質に生きているというエネルギーを私は求めていた


この人はそこまで完成されてはいないが、純粋さとずる賢さを合わせ持ち

全くの無防備さと、強い防御の相反する両方が

あまりにも強い反応として現れることに

面白さを感じていた


天才的な頭脳を持っているのに、戦略的にコントロールをしているかと思えば

それさえも、実は戦略的ではなく、ありのままの自己の感情に従うことしかできない

何とも言えない霊的な純度を持っている


「抵抗しがたい魅力」

すべてをあからさまに生きている姿は、そう表現するに相応しい


これを無防備といい、バカと表現したい


バカとは、もしかしたら、ものすごく人間らしく魅力的で

心の奥くにある自我が目覚めるパッションの源なのだと思う



ずっとひきこもりだった私の、バランスという名の受容からの脱却は

こんな言葉だった

「発信しつづけることを止めてはいけない。どんな状況でも発信しなければならない」


すべてのモヤが晴れていくようだった


それは師が放った「スピリチュアルになるんじゃない!人間になるんだ!」という


言葉にある私が強く求めていたエッセンスだった




発信には必ず批判がつく

批判とは、その人の環境や考えに基づくものであればまだいいが

大抵はその人から発信されるものでない大衆への帰属による防御によって無意識に語られる


まあ、これはどうでもいい

私の人生は他の人が責任をとってくれる訳ではないからだ

発信した自己の責任はとる必要がある

誰かに責任をとる必要はない

私に対して責任をとるのだ




殆どの人は意識的に生きていないので、自分が発信した言葉について

そんな感情や意味が含まれているかの責任をとらずに投げる

私に投げられる言葉の中に、こんなことは教えてもらってなかったとかいう人が時々いるのだが

発信を受信できなかったにすぎない


この業界を深く探求するのであれば

心を純粋に保ち、どの言葉の中にも

深い意味を見つけ出さねばならない


それができないのは、求めていないということと、

準備が整っていないにもかかわらず

焦って結果を求めようとする浅はかさが

人のせいにしようとする姿となって

直接的な言葉ではなく、間接的に語られる言葉の中に

織り交じられ投げられるのだ



霊的な道はスキルや新しい情報に捉われて

あたかも知っているような感覚になり、誰かよりも優れたいというエゴの中に

身を落とす

こうなると、もはや霊的な道ではなくなる


どんなマスターでさえも、神々でさえ、エゴを持っている探求者を救うことはできないという



長い間、私と関わった生徒の中に

自分のエゴを見続け、その度に自分を責め、

瞑想しても何の成果も見つけることはできず

それでも、神と関わった存在がいる


彼女は人間として自分の感情の責任をしっかり見続け

その感情に飲み込まれそうになりながらも

自分としてあるべき道を歩こうとする真摯な姿を

私に見せてくれていた


生まれてくる孫のことを思い

深い祈りを、毎日40日以上も行い続けたのだ

祈りの中で起きた香りの話をすると、

彼女は泣きながら、祈りが神に届いていることを感謝していた




その崇高な泣き顔と微笑みの美しさは

まるで聖母マリアのように、繊細で慈愛に満ちていた


こんな風に純粋な魂が、霊的な探求を行う者の中に

はたしてどれくらいいるのだろうか・・・


神と繋がるということ

これがどれだけ重要なのか

スキルや情報に捉われている人にはわからないだろう


どの世界もそうだが

分かる者にしか分からない真理の領域があるのだ


それを体験できる者は一握りにすぎない