THE WAY

インディアンネーム「生命の声を聞く者」のヒーリングブログ

最後の審判は誰が下すのか?

2022-02-26 00:12:42 | スピリチュアル

以前ウクライナに嫁いだ女性がyoutubeで助けを求めていたのを見たことがある

何もしていない彼女が受けたとんでもない拷問は、許されるべきではなく

勇気を持って公開した情報が

ウクライナの中にはびこっていた闇側のマフィアの恐ろしさを広げることになった

 

ウクライナには悪の巣があり、地下にはとんでもない金塊や生物兵器などが存在し

ヨーロッパの悪のホームグランドがウクライナに存在していて

それを攻撃して、退治したのがプーチンである

テレビでは本当のことを伝えず、プーチンを悪魔のように仕立て上げているが

ウクライナ近くに住んでいる人は、国民は何事もなかったかのように

恐れることもなく、ごく自然な普通の生活をしているそうだ

 

そしてロシア軍とウクライナ軍が共に踊っている姿を動画であげていた人がいた

私達が心配しているような第3次世界大戦など起こる訳もなく

闇側はもう資金がないので、どうにもできないのである

 

そして今後行われるのは、習近平による台湾への攻撃が始まるとのこと

ウクライナがヨーロッパの悪の巣なら、台湾はアジアの悪の巣があり

これを完全に破壊するために習近平は台湾に入ることになるとか

 

本当に着実に悪が一掃され、新しい世の中に入っていく準備が整ってきた

 

今日は最後の審判について書きたいと思っているが

最後の審判は神が悪い人間に罰を下し

よい人たちしか地球に残れないとか思っている人たちも多いが

神が罰を下すのだろうか?

私はそうは思わない

 

2011年の時に、師は「もう既に分化は始まり終っていて、

いく場所が決まっている」とか言っていたが

確かに罰を受けること(ひどい大変な体験をすること)で

カルマや内なる無意識下での罪悪感のバランスをとろうとすることもあるだろう

何かネガティブなことが起こることで、自分を正当化することができるからだ

 

しかし、神という存在がいてひとりひとりに罰を下すなんて

よく考えてみてほしい

これこそ宗教が与えた恐怖でありマインドコントロールである

 

個として表れた大いなる源の雫である私達は

どの存在がどの存在よりも優れたり、劣っている訳ではない

 

お互いに違うという側面を持っているだけであり

個の中に宇宙の始まりそのものの原型(宇宙意識、神と呼んでもいい)を含んでいる

光の中心軸から外へと放射しているかのように

私達は解き放たれた光線のプリズムなのだ

 

地球には周期があり、戦争や飢饉、疫病や自然災害などで

大陸が海に沈んだり、人類が滅亡しそうになったりという歴史がある

そして今年は特に、長い間の歴史が終わり、新しい世界へと突入する始まりの年になる

今後2026年までの間に多くの人がこの地上を去るだろう

シフトを体験するに肉体を持っている必要がないのである

 

 

でもそれは神が下した罰などではなく

自主独立した魂が、自ら選んだ道なのである

 

最後の審判とは、一旦筆を置き、何転生もの人生の振り返りをし

後悔ややり残しを修正し、どうするかの決断を下す時ということを示す

 

神が裁くのではない

自分が自分自身を裁くのである

 

2026年には葛藤を持っているとこの地球に存続できないという

人類は自分を裁き、罰を受けることで葛藤を処理しようとしてきたが

新しい時代は、新しいやり方で自分の葛藤を解放しなくてはならない

誰かの定義の中で生きることはできなくなる

自主独立とは、私達ひとりひとりが神であり

創造主であることを知っている状態である

 

この地上を去ったからと言って間違いを犯した訳でもない

死とは生があるように生の中の一部であり

自然に起きる現象の一つにすぎない

 

ある人が野垂れ死にしたいと言った意味が

今はわかる気がする

 

アラスカの熊の写真を撮り続け、熊に襲われ亡くなった星野道夫さん

彼の魂はどんなにか喜んでいることか

 

インディアンの言葉に「鳥は音を立てずにこの地上に降り立ち、そして何も持たずに去っていく」

人間だけが何かを残したがる

シャーマニズムでは

ライオンに食べられると

ライオンの魂になり、神になるという

 

私達も自然の一部なら、ある日、お風呂の中で亡くなるのも

ライオンに食べられるのも

病気で亡くなるのも

交通事故で亡くなるのも

自然の一部のことなのかもしれない

 

そしてそれはある日突然予告のなく訪れるのである

 

どの瞬間も、どんな体験も

訪れている生という体験を私達は思いっきり謳歌している

 

それが意識で分からなくてもいいのである