どうでもいいはずの細かいことにこだわり、肝心なことが大雑把と言われることの多い私。
たとえばうちのオカメインコのエサを入れる順番(シードが先でペレットは上に散らす、これ絶対)や、日中の灯油ストーブの温度は18℃限定、などなど。
だけどいざ「あなたのこだわりは」と聞かれると、答えられるようなものが思い当たらない。
こだわり。
色々と思い浮かべた結果、強いて挙げるとすれば「日本語」だろうか。
カタカナ語や外来語が苦手な私ではあるが、会話の中に一般的な範囲で外来語や和製英語、略語を使うことはある。
会話の相手や内容によって、内輪受けな言葉やくだけた言葉を使うこともある。
が、「小説作品」として文章を書くときには、極力日本語にこだわる(作品内に登場する会話を除く)。
それが、日本語で書かれた作品を読んでくれる読者に、一番伝わる言葉だと思うからだ。
「何故書くのか? それは伝えたいことがあるから。ならば伝わるようにしなければ意味がない」。
理由としてはそういうことになるだろうか。
だから時々、日本語で書かれた歌詞の付いた楽曲に疑問を持つことがある。
歌詞の中に英語が多用されているとき、その曲はなにかメッセージを伝えようという意図のもとに書かれているのだろうか、と。
歌詞を音楽(メロディー)の一部として意図しているのならわかる。
音声と楽器の重なり合いを聞かせる楽曲、それなら納得がいく。
あるいは、ある一部の仲間内の共通言語、コミュニケーションツールとしての楽曲ならわかる。
それは仲間内で共有できれば、目的を果たしたことになるのだから。
けれどもランキング上位に入るような一般に向けて作られたと思われる楽曲で、「○○という気持ちを歌に込めました」とインタヴューなどで答えているのを聞くと、では何故そんなに英語の歌詞を多用しているの?と不思議に思ってしまう。
物の名前ならいい。名前そのものの意味合いよりも、雰囲気を重視するということもあるだろう。
音楽のタイトルは、作った人の意図もあるだろうから、判断はそれぞれになるだろう(自分なら日本語にするけど)。
邦画のタイトルは、日本語にして欲しいと思う。
ストーリーがある映画作品なら、伝えたいことも思いもあるだろう。
ぜひともそれを凝縮して、鑑賞意欲をそそるようなものを考えて欲しい。
外来語、カタカナ語、和製英語に略語、という言葉は、方言と同じようなものではないだろうか。
共通点を持つ者同士が、より親しい会話をするための言葉。
逆に言えば通じる範囲は限られている。
伝えたいと思う範囲が広がれば広がるほど、共有できる言葉かどうかを吟味して使う必要がある。
だから私は、自分の書く作品に使う言葉は「日本語」にこだわる。
言葉は時代によって変化をする生き物だとも思う。
日本語としての認知度が高いものならば、新しい言葉も使うことに異存はない。
伝えたいことがある。だから書く。
書くからには伝わるように書く。
そして日本語を耳にして成長したから、日本語で書く。
一人でも多くの人に伝わって欲しいと願うから、日本語に、こだわる。
★ 『こだわり』記事コンテスト参加中 この記事を評価する コンテストは、 こだわりを表現できるコミュニティ 『ものしり天狗』の協賛で開催中です。
たとえばうちのオカメインコのエサを入れる順番(シードが先でペレットは上に散らす、これ絶対)や、日中の灯油ストーブの温度は18℃限定、などなど。
だけどいざ「あなたのこだわりは」と聞かれると、答えられるようなものが思い当たらない。
こだわり。
色々と思い浮かべた結果、強いて挙げるとすれば「日本語」だろうか。
カタカナ語や外来語が苦手な私ではあるが、会話の中に一般的な範囲で外来語や和製英語、略語を使うことはある。
会話の相手や内容によって、内輪受けな言葉やくだけた言葉を使うこともある。
が、「小説作品」として文章を書くときには、極力日本語にこだわる(作品内に登場する会話を除く)。
それが、日本語で書かれた作品を読んでくれる読者に、一番伝わる言葉だと思うからだ。
「何故書くのか? それは伝えたいことがあるから。ならば伝わるようにしなければ意味がない」。
理由としてはそういうことになるだろうか。
だから時々、日本語で書かれた歌詞の付いた楽曲に疑問を持つことがある。
歌詞の中に英語が多用されているとき、その曲はなにかメッセージを伝えようという意図のもとに書かれているのだろうか、と。
歌詞を音楽(メロディー)の一部として意図しているのならわかる。
音声と楽器の重なり合いを聞かせる楽曲、それなら納得がいく。
あるいは、ある一部の仲間内の共通言語、コミュニケーションツールとしての楽曲ならわかる。
それは仲間内で共有できれば、目的を果たしたことになるのだから。
けれどもランキング上位に入るような一般に向けて作られたと思われる楽曲で、「○○という気持ちを歌に込めました」とインタヴューなどで答えているのを聞くと、では何故そんなに英語の歌詞を多用しているの?と不思議に思ってしまう。
物の名前ならいい。名前そのものの意味合いよりも、雰囲気を重視するということもあるだろう。
音楽のタイトルは、作った人の意図もあるだろうから、判断はそれぞれになるだろう(自分なら日本語にするけど)。
邦画のタイトルは、日本語にして欲しいと思う。
ストーリーがある映画作品なら、伝えたいことも思いもあるだろう。
ぜひともそれを凝縮して、鑑賞意欲をそそるようなものを考えて欲しい。
外来語、カタカナ語、和製英語に略語、という言葉は、方言と同じようなものではないだろうか。
共通点を持つ者同士が、より親しい会話をするための言葉。
逆に言えば通じる範囲は限られている。
伝えたいと思う範囲が広がれば広がるほど、共有できる言葉かどうかを吟味して使う必要がある。
だから私は、自分の書く作品に使う言葉は「日本語」にこだわる。
言葉は時代によって変化をする生き物だとも思う。
日本語としての認知度が高いものならば、新しい言葉も使うことに異存はない。
伝えたいことがある。だから書く。
書くからには伝わるように書く。
そして日本語を耳にして成長したから、日本語で書く。
一人でも多くの人に伝わって欲しいと願うから、日本語に、こだわる。
★ 『こだわり』記事コンテスト参加中 この記事を評価する コンテストは、 こだわりを表現できるコミュニティ 『ものしり天狗』の協賛で開催中です。
