ふわり・舞う・毎日

気持ちに余裕がないと、心の泉が枯れちゃうもんね。

アリエナイ。

2006年10月05日 | 日常雑記
「それって有り得ない」という話し言葉が定着して久しいが、間投詞のようにではなく、本気で連発したくなることがある。
今日もまさにそんな感じ。
いつものペットショップにオカメのエサを買いに行った。
ちょうどアトラ(後からお迎えした子)を選びに行った時に案内してくれた店員のSさんがいて、アトラのことやショップにいるオカメの話などをしていた。
その中でたまたまオカメのペアのことが話題になった。
Sさん「たまにあるんですよ、ペアで買って行かれて、ヒナが生まれたら『ヒナがいればいいから』って言って親オカメだけを返しに来られるお客様とか」。
もちろん、ペットショップは(どこもそうだろうが)、購入した直後にケガや病気が発覚するなどショップに原因がある場合を除いて、生体の返品は不可である。
それにしても「子供を産んだから親はもういらない」って。
……有り得ない。じゃあ挿し餌で育ったヒナを買ってけよ。
他にも、ちょくちょくお店に来てはヒナを買って行き、「もう八羽目なんだけど、みんな3ヶ月持たないのよね」というお客さん(どう考えたって育て方が悪いんでしょうよ。反省してから買ってくれ)、よく生体を買っていくけどエサを買っていく気配のないお客さん(Sさんも心配になるらしい)などなど。
心から鳥さんが好き、という感じのSさんにとっても、仕事だしお金を払うと言えば売らないわけにもいかない立場ながら、不安なまま送り出さねばならないことも多いようだ。
誰だって「初めて」はあるから初心者が買っちゃいけないってことはないけれど、命を買うという最低限の意識だけは忘れて欲しくない。
そして極めつけは、レジの近くにあった張り紙。
「捨てペットお断り」。
以前、お店の前に捨て犬をされていたことがあるらしい。
それだけでも腹立たしいが、仕方がないから里親募集をして飼い手を捜していたところ、捨てた前の飼い主が出てきて「他人の持ち物を勝手に処分した」と訴訟になったことがあるらしい。
……有り得ない。呆れて物も言えない。意味不明。

捨て犬、捨て猫、捨て鳥、捨てウサギ。
飼い主家族が不慮の事故で全員亡くなって、身寄りもなく、困った近所の人が捨てるとかそういう特殊な場合もあるかも知れない。
万が一そうだとしても、人間に飼われていた命を「捨てる」という選択肢が頭に存在すること自体が私には理解できない。
友だち、職場、インターネット、張り紙に広告。
いくらでも手段はあるはずだ。
自宅で飼えなくても里親を探している間だけなら、ペットショップや動物病院に預かってもらうことだってできるだろう。
それができないのなら、かわいがってきた自分の手で殺してみろ。
ってそれは極論過ぎるだろうか。
だけど捨てると殺すはほとんどイコールだ。
「拾ってくれる人がいるかも」「野良でも生きていけるかも」なんてのは、邪魔だけど死ぬところはみたくないという自己中な言い訳にしか過ぎない。

「この写真に写っている犬たちは、一匹たりとも今この世にはいません」
そんなコピーの入った写真を見たことがある。
保健所で引き取り手のないまま、期限の一週間を迎えようとしている犬たちが写っていた。
一度は家族として迎え入れた命を大切にできないような人は、動物や植物だけでなく、自分以外の人間の命も軽く見てしまうのではないか。
考えただけでぞっとする。