今日は久しぶりに、ストックポートの話題です。
なんだか私たちは毎日出歩いているように見えますが、そういうわけでもありません。
1週間以上前の話です。
うちから車で、15分の所にあるエースロー・カントリー・パーク Etherow Country Park に行きました。
ストックポートの自然保護区域です。
すぐそばに、1960年代に廃業して久しい綿織物の工場だった古い建物があります。(残念、写真がありません)
パークの中央を流れるエスロー川が水力として利用されていたそうです。
水量を調節する人口の滝(ウィアー weir )があります。
水量を調節するポンプ番の住んだ小屋もあります。
ピーク・ディストリクトにある「ペストの村」イームに行った週末と打って変わって、暗くて寒い日でした。
このパークは水鳥の保護区域です。
春恒例のふわふわのひな鳥たちが見られるんじゃないかと期待して!行ってみたのですが、全然いませんでした!
ちょっと早かったようです。
川沿いの遊歩道から丸見えの、オープンな位置で卵を温めるクート coot。
イギリスの水べりに棲む代表的な野鳥のー種です。
私はクートが大好きです。
このパークは、全国的にも珍しいウォーター・レイル water rail(クイナの一種)という水鳥の生息が観測されている、貴重な保護区域だそうです。
それらしいのは、見かけませんでした。
いるのは、イギリス中、池のある公園には必ずいる、野生のカモと、ああ、ここにも!!!
小憎らしいカナダ・ガン Canadian Goose!
どこかに卵でもかくしているのか、湿原の中の、踏み固めてある道を歩く私たちの前に立ちはだかって、シャーシャー、ぱちぱち(嘴を鳴らす音)と威嚇しまくってました。
手前のガマの穂、遠景の葦が生える原生の葦の原(湿原)も保護指定物件です。
遠くのほうに、カナダ・ガンがいます。
公園の一部(らしい)の葦の原の地続きの農場の後ろのほうまで、保護指定林がぐっと回り込んでいました。
放牧されている黒い牛の親子に混ざって、やっぱりでかい顔したカナダ・ガンが牧草地を闊歩しています。(見にくいですね)
湿原を通って林の中に入ると、野鳥の観測小屋があります。
この男性は持参した丸太(!何のため!?)を床に転がして、野鳥を呼ぶための餌を周りにまき始めました。
小屋の中には本格的なプロ仕様のカメラを構えた写真家風の男女が待機していました。
池に突き出した観測小屋からたまに見えるのはやっぱりカナダ・ガンばっかり。
上の写真にも写っています。
観測小屋の中で携帯電話のゲームに興じるうちの息子。
春休みで家にいてもゲームばかりしているので無理やり外に引っ張り出されたのですが、携帯電話が離せないのはどこにいても同じ!
プロ(?)の写真家が撒いたエサにどんな野鳥が群がるか興味津々だったのですが、プロの仕事を邪魔しては悪いので、立ち去りました。
来た時とは反対側の岸辺を歩いて駐車場に戻る途中で、釣り人と飼い犬に会いました。
フレンチ・ブルドッグのヘクター、男らしい名前にもかかわらず、寒がり。飼い主のフリースを体に巻き付けて震えていました。
写真を撮っていいかと聞くと起こしてポーズをつけてくれました。
この犬の色、「シャンペン・ブルー」というそうです。
何が釣れるか聞くのを忘れました。
このあたり、釣り糸を垂れる人でいっぱいでした。
帰る前にお茶を飲んだカフェに隣接するビジター・センターで、野生動物観察チェックリストを配っていた人に釣れる魚を聞いてみました。
あまりぱっとしない見かけの、カープ carp だそうです。
日本の派手な色合いの錦鯉もカープといいますがイギリスの川にいるカープといえば、これ。
どういう魚かわかってもらうための写真を探そうと検索したら、釣り自慢のウェッブサイトに行きあたって、ザクザク「大物記念写真」が出てきたので、一枚お借りしました。
すごいです・・・
実際釣れるのは手のひらに乗せるとはみだすぐらいのサイズがほとんどだそうです。
他にもローチとかパイクとかのありふれた川魚が生息しているそうです。
ちなみに、「エスローで観測できる野鳥リスト」にはカナダ・ガンの記載はありませんでした!!
外来種はお呼びでない、ということでしょうか。
イギリスの生態系にとって好ましい存在ではないはずです。
どこにでも、はびこりすぎ。
↓↓↓画像をクリックしてください。はい、ありがとう。
ピーク・ディストリクトの小さな村、イーム Eyam を訪ねた話の続きです。
今日で、3回目、都合で間が空いてしましました。前回2回の記事のリンクを貼りました。↓↓
350年前にペストの流行でほぼ全滅しかかったピークのかわいい村、イーム。・・・英雄的行為で村おこし
ピークディストリクトの美しい町、イームにはペストの遺産以外にもいろいろ見どころあり!
イームは、1665年のペストの惨禍という歴史的出来事を観光のポイントにしています。
といっても、観光が主要な産業の、観光収入によって成り立っている町ではないようです。

この小さな町には、パブが一軒しかありません。
これがマイナーズ・アームス The miner's Arms という町でたった一軒のパブ。

坂の始まる立て込んだ狭いとおりにあります。
内側です。イギリス中どこにでもある伝統的なパブと変わりません。

1665年のペスト惨禍以前に創業した古いパブだそうです。

外で、お昼のロースト・ビーフ・サンドウィッチを食べました。

背景に暑そうにだらしなく座っている、ロットワイラー犬、タイソンの飼い主と話をしました。
近隣のピークの村から車で来て、ハイキングのついでに時々立ち寄る、このパブの常連だそうです。
森林を通り抜けて、村の裏の山を超えてぐるっと回るおすすめハイキング・コースを教えてくれました。なかなかタフそうです。
ちなみに、後ろの石壁の後ろにちょっと見えている三階だての古い連続住宅は、イーム博物館 Eyam Museum の展示によると、18世紀の絹織物の家内制手工業コテージ Silk Weaver's Cotages だそうです。
普通の住宅として、人が住んでいます。
パブのある小さな町の中心地には、ベンチの並ぶ小さなスクエアと、カフェが一軒ありました。

飲食店はこのカフェとパブの他には、イーム・ホール Eyam Hall敷地内にある、ナショナル・トラストの管理下にある軽食レストランだけのようです。
このあたりの建物の多くは、かなり新しそうでした。
最近建てられた建物もすべて、400年以上前から残る古い建物と同じ、地元できりだされた石材か、それに似たような色合いの建築材を使って統一感を持たせているようです。
おすすめの「森林を抜ける山越えコース」はきつそうなので、村の裏側をぐるっとまわって、森林手前で下りてくる、お手軽コースを通って村に戻ることにしました。
目的地は、食後のおあずけにしていたイーム博物館 Eyam Museum。
パブのある坂道をあがります。

村の人たちが水を汲んだり洗い物をしたりするのに使った共同の水くみ場がありました。

ほかにもいくつかの水くみ場が史跡として残っていましたが、今でもちょろちょろ樋から山からの湧水が流れこんで水槽がいっぱいになっているのはここだけでした。
ほかのは水が枯れて、花壇として利用されていました。
家屋の周りにトラクターなどの農業機材が置いてあるのは、急な斜面の牧草地を持つ伝統的な農家の家のようです。
他に、イギリスではおなじみの、都会の家を売って退職後に田舎に移り住んできた人たちの家も多そうです。
素晴らしい眺めが楽しめるうらやましい限りの老後・・・本当にうらやましいか・・・?

車が欠かせない、不自由な場所での老後・・・
訪ねてくる人も限られそうだし、素晴らしい眺めも一週間で飽きませんか?
私は老後は町の中の人がいっぱいいる、にぎやかで便利な場所で過ごすのが希望です。
人それぞれですね。
急な坂沿いの住宅地が途切れ、舗装された道の山登りはここまで。その先は森林地帯の山の中。
下り道に続く農地を横切ることにします。
イギリスの農地ではおなじみの、「踏み越し段」の典型的なタイプ。

人は塀を超えて出入りできるけど、ヒツジやウシは越えられないイギリス特有の古くからの工夫です。
私有の農地をハイカーたちが歩いて通り抜けられるように設置してあります。
これを超えて、農地に入って・・・見下ろすと、絶景。

あとは下り坂。


村に戻る途中の斜面に、異国情緒たっぷり、アルパカの放牧場がありました。


このアルパカ農場は山のてっぺんまで続いています。
アルパカたちが運動がてら、てっぺんまで登って景色を楽しむことできるように?
その反対側はイギリス伝統の羊の放牧場。


坂を下り切ると、村に戻れました。
教会の横手に出て、また教会の境内を横切り・・・

ペストの家やイーム・ホール、「レンガの家」などのあるチャーチ・ストリートを再びとおって、イーム博物館にたどり着きました。
びっくり、イーム博物館の前には公衆便所のある立派な駐車場がありました。
大型コーチバスが2台とまっていて、運転手らしき人がベンチでたばこを吸っていました。
同じ年配の同じような重装備のハイキング客を村中で大勢見かけました。各自、別行動のようでしたがどう見てもグループらしい人たち。
どうやら、企画したハイキング・ツアーの需要が高い村のようです。
観光客がこれだけ来るのに、パブが1軒、カフェが2軒しかないし、そういえばお土産物屋さんは一軒も見かけませんでした。
博物館に行く途中の角にあった、地域のヨロズや風個人商店で観光客目当ての乳脂肪分の高そうなアイスクリームを売っていたので、買ってなめながら歩きました。
ハイキングの拠点、美しい街並み、史跡、稀有な歴史・・・観光資源に恵まれたイームは、本当に観光地でしょうか。
観光客を相手に儲けよう!という欲が、ない?
観光業で生活している人たちはほとんどいないんじゃないでしょうか。
退職した人たちのほかには、景色のきれいな美しい村によそから移り住んで、車で町まで通勤する、中産階級の人たちも多く住んでいるように見受けられました。
マンチェスターやシェフィールドにも通える距離です。
都会で働く人たちが、田舎の農村にこぎれいな家を買って住むのが人気です。
イギリスの昔ながらの田舎町の不動産の値段がどんどん上がっていく原因の、日本ではあり得ない歓迎されない現象として、近頃話題になっています。
地元の若者たちが住める手ごろな家がなくなって、仕方なく田舎の村を捨て、不動産や物価の安い都会に出ていかざるを得ない!という矛盾したことがイギリスでは起こっているそうですよ。
ここ、イームも、農業にも観光産業にも従事していない、町の外に勤めに出ている住人が多くいるようにみうけられました。
観光案内所は無人でした。
博物館で、切符やペストにちなむネズミのぬいぐるみ!や本、オリジナルのしおりなどを売っているおじいさんはボランティアだそうです。
「ペストの村 Plague Village 」として宣伝しているのは、人を呼び込んでお金を儲けるためではなく、村のアイデンティティー、あるいは誇りのためではないでしょうか。
パブのある村のスクエアの、郵便ポストと、古いタイプの電話ボックス。

電話ボックスの中には公衆電話ではなく、緊急の際用の心臓蘇生機器(デフィブリレータ― defibrillator) が設置してありました。
古い電話ボックスを利用したデフィブリレータ―設置ボックス、ちかごろいろいろなところで見かけます。
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今日で、3回目、都合で間が空いてしましました。前回2回の記事のリンクを貼りました。↓↓
350年前にペストの流行でほぼ全滅しかかったピークのかわいい村、イーム。・・・英雄的行為で村おこし
ピークディストリクトの美しい町、イームにはペストの遺産以外にもいろいろ見どころあり!
イームは、1665年のペストの惨禍という歴史的出来事を観光のポイントにしています。
といっても、観光が主要な産業の、観光収入によって成り立っている町ではないようです。

この小さな町には、パブが一軒しかありません。
これがマイナーズ・アームス The miner's Arms という町でたった一軒のパブ。

坂の始まる立て込んだ狭いとおりにあります。
内側です。イギリス中どこにでもある伝統的なパブと変わりません。

1665年のペスト惨禍以前に創業した古いパブだそうです。

外で、お昼のロースト・ビーフ・サンドウィッチを食べました。

背景に暑そうにだらしなく座っている、ロットワイラー犬、タイソンの飼い主と話をしました。
近隣のピークの村から車で来て、ハイキングのついでに時々立ち寄る、このパブの常連だそうです。
森林を通り抜けて、村の裏の山を超えてぐるっと回るおすすめハイキング・コースを教えてくれました。なかなかタフそうです。
ちなみに、後ろの石壁の後ろにちょっと見えている三階だての古い連続住宅は、イーム博物館 Eyam Museum の展示によると、18世紀の絹織物の家内制手工業コテージ Silk Weaver's Cotages だそうです。
普通の住宅として、人が住んでいます。
パブのある小さな町の中心地には、ベンチの並ぶ小さなスクエアと、カフェが一軒ありました。

飲食店はこのカフェとパブの他には、イーム・ホール Eyam Hall敷地内にある、ナショナル・トラストの管理下にある軽食レストランだけのようです。
このあたりの建物の多くは、かなり新しそうでした。
最近建てられた建物もすべて、400年以上前から残る古い建物と同じ、地元できりだされた石材か、それに似たような色合いの建築材を使って統一感を持たせているようです。
おすすめの「森林を抜ける山越えコース」はきつそうなので、村の裏側をぐるっとまわって、森林手前で下りてくる、お手軽コースを通って村に戻ることにしました。
目的地は、食後のおあずけにしていたイーム博物館 Eyam Museum。
パブのある坂道をあがります。

村の人たちが水を汲んだり洗い物をしたりするのに使った共同の水くみ場がありました。

ほかにもいくつかの水くみ場が史跡として残っていましたが、今でもちょろちょろ樋から山からの湧水が流れこんで水槽がいっぱいになっているのはここだけでした。
ほかのは水が枯れて、花壇として利用されていました。
家屋の周りにトラクターなどの農業機材が置いてあるのは、急な斜面の牧草地を持つ伝統的な農家の家のようです。
他に、イギリスではおなじみの、都会の家を売って退職後に田舎に移り住んできた人たちの家も多そうです。
素晴らしい眺めが楽しめるうらやましい限りの老後・・・本当にうらやましいか・・・?

車が欠かせない、不自由な場所での老後・・・
訪ねてくる人も限られそうだし、素晴らしい眺めも一週間で飽きませんか?
私は老後は町の中の人がいっぱいいる、にぎやかで便利な場所で過ごすのが希望です。
人それぞれですね。
急な坂沿いの住宅地が途切れ、舗装された道の山登りはここまで。その先は森林地帯の山の中。
下り道に続く農地を横切ることにします。
イギリスの農地ではおなじみの、「踏み越し段」の典型的なタイプ。

人は塀を超えて出入りできるけど、ヒツジやウシは越えられないイギリス特有の古くからの工夫です。
私有の農地をハイカーたちが歩いて通り抜けられるように設置してあります。
これを超えて、農地に入って・・・見下ろすと、絶景。

あとは下り坂。


村に戻る途中の斜面に、異国情緒たっぷり、アルパカの放牧場がありました。


このアルパカ農場は山のてっぺんまで続いています。
アルパカたちが運動がてら、てっぺんまで登って景色を楽しむことできるように?
その反対側はイギリス伝統の羊の放牧場。


坂を下り切ると、村に戻れました。
教会の横手に出て、また教会の境内を横切り・・・

ペストの家やイーム・ホール、「レンガの家」などのあるチャーチ・ストリートを再びとおって、イーム博物館にたどり着きました。
びっくり、イーム博物館の前には公衆便所のある立派な駐車場がありました。
大型コーチバスが2台とまっていて、運転手らしき人がベンチでたばこを吸っていました。
同じ年配の同じような重装備のハイキング客を村中で大勢見かけました。各自、別行動のようでしたがどう見てもグループらしい人たち。
どうやら、企画したハイキング・ツアーの需要が高い村のようです。
観光客がこれだけ来るのに、パブが1軒、カフェが2軒しかないし、そういえばお土産物屋さんは一軒も見かけませんでした。
博物館に行く途中の角にあった、地域のヨロズや風個人商店で観光客目当ての乳脂肪分の高そうなアイスクリームを売っていたので、買ってなめながら歩きました。
ハイキングの拠点、美しい街並み、史跡、稀有な歴史・・・観光資源に恵まれたイームは、本当に観光地でしょうか。
観光客を相手に儲けよう!という欲が、ない?
観光業で生活している人たちはほとんどいないんじゃないでしょうか。
退職した人たちのほかには、景色のきれいな美しい村によそから移り住んで、車で町まで通勤する、中産階級の人たちも多く住んでいるように見受けられました。
マンチェスターやシェフィールドにも通える距離です。
都会で働く人たちが、田舎の農村にこぎれいな家を買って住むのが人気です。
イギリスの昔ながらの田舎町の不動産の値段がどんどん上がっていく原因の、日本ではあり得ない歓迎されない現象として、近頃話題になっています。
地元の若者たちが住める手ごろな家がなくなって、仕方なく田舎の村を捨て、不動産や物価の安い都会に出ていかざるを得ない!という矛盾したことがイギリスでは起こっているそうですよ。
ここ、イームも、農業にも観光産業にも従事していない、町の外に勤めに出ている住人が多くいるようにみうけられました。
観光案内所は無人でした。
博物館で、切符やペストにちなむネズミのぬいぐるみ!や本、オリジナルのしおりなどを売っているおじいさんはボランティアだそうです。
「ペストの村 Plague Village 」として宣伝しているのは、人を呼び込んでお金を儲けるためではなく、村のアイデンティティー、あるいは誇りのためではないでしょうか。
パブのある村のスクエアの、郵便ポストと、古いタイプの電話ボックス。

電話ボックスの中には公衆電話ではなく、緊急の際用の心臓蘇生機器(デフィブリレータ― defibrillator) が設置してありました。
古い電話ボックスを利用したデフィブリレータ―設置ボックス、ちかごろいろいろなところで見かけます。
↓↓↓画像をクリックしてください。はい、ありがとう。