またまた、間があいてしまいました。
ストックポート日報 の名を返上しなければならなくなるかもしれません。
先週の日曜日、ピーク・ディストリクト国立公園 にある、ちいさな山あいの村、イーム Eyam に行ってきました。
ストックポートの自宅から車で約35分。
ロッククライミングで有名なストーニーミドルトンの隣村。
べーカウェル・タートで有名なべーカウェルがすぐそばです。
実は、こんなところにこんな場所があるなんて知りませんでした!読者の方がコメントで教えてくださったんです。
くねくねした坂道沿いに地元産の黄色っぽい石材でたてられた かわいらしいコテージがならぶ町。
緑豊かな丘陵地にポツン ポツンと点在する典型的なピーク・ディストリクトの小さな町のひとつです。
ハイキングの拠点にもなっているようです。
この村は、なんと「ペストの村 the Plague Village 」として知られているのです!
1665年から1666年にかけて猛威を振るったロンドンのペストの大流行についてご存知でしょうか。
記録に残っているだけで68,596人が死亡しました。(一説には10万を超える死者が出たとか)
1665年、ロンドンから遠く離れたダービーシャーのこの村の仕立てものやに、ロンドンから特注の布が届きました。
その布にはネズミにつく、ペスト菌を媒介するノミの卵がびっしり産み付けられていたのです。
そうとは知らず、布を広げて暖炉前にかけて乾かす作業をした弟子の若者が最初にり患して死亡。
観光名所、イーム博物館 Eyam Museum (通称、ペスト博物館 Plague Museum!!)の展示、布が届いた運命の瞬間の再現シーン。
イーム博物館は、小さな観光地によくあるタイプのちんまりした郷土史博物館です。メインの展示物は、村のペスト惨禍とペストに関するうんちく。
地元の素人画家が描いたのか、説明パネルのイラストの素朴さには好感が持てましたが、いくつかある歴史的シーンの再現モデルの不気味な稚拙さ、衣装や小道具のいい加減さには失笑しました。
夫はもうたくさん、と途中で外に出て日光浴を始めましたが私はすべてのパネルを丹念に見て回りました。
興味深かった!
これがその布が届いた家!
悲劇の「ペストの家 Plague Cotages 」の前庭の丹精した植木とノー天気でキッチュな飾りつけには目を見張るものがあります。
瞬く間に感染して仕立てやの一家全員がこの家で死亡!
棟続きの隣の家にも伝染が広まります。
数週間以内には村中に広まります。
緑の観光案内の立て札に、その家で死亡した人に関する記録が書かれてあります。
いい天気です。たくさんの観光客が写真を撮りまくり、350年前の悲劇を思わせる陰鬱な雰囲気は一切ありません。
この、教会のあるとおりを中心に、築400年以上の建物のほとんどに、今も人が住んでいるんです。
セント・ローレンス教会 St. Lawrence's Church。
教会の真正面にある、17世紀の素敵なコテージ、一軒ごとに呼び名が違うのですが、私たちがすぐ前に車を止めた家は、その名もずばり、チャーチ・ビュー。
観光客に毎日家の前に車をとめられて、この家の人たちはさぞうんざりしていることでしょう。
風景の美しいところを訪ねるたびに心に浮かぶ疑問です。住人はどうおもっているのかって・・・
こんなところに家を買うからにそれも覚悟の上、なんでしょうね。
少なくとも「ペストの家」に住んでいる人たちは観光客に注目されて喜んでるように見えるのですが。
教会の境内から見た、ペストの家の横側。
ペストの話の続きです。
イームでは、1665年から66年にかけて273人が死亡したということです。生き残ったのは83人。
実はこの村のペスト惨禍の裏には英雄的な物語があります。
ロンドンから飛び火したペストが他の村に広がるのを食い止めるためにこの村の牧師が村人全員が村を出ることを禁止する自主的な隔離制をとることを決めたのだそうです。
ほぼ全員がそれに従い、山あいに点在する他の多くの村々は感染をまぬがれたということです。
上の写真は生者に死を意識させるどくろデザインの教会内の古い墓石・・・
ペストで死亡した人は教会内に埋葬されることはなく感染の広がりを防ぐために村はずれにばらばらに家族の手で埋葬されたそうですよ。
悲しい逸話が今も数多く語り継がれています。
この歴史的な出来事にエピソードを得た、小説、ノンフィクション、劇、詩、童話は数々あるそうです。
博物館の展示で知りました。
村をあげて観光ネタにする誇りがよく分かった気がします。
明日に続きます。
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