夜の街の誘惑がある土曜を何とか乗り切り、日曜の今日も特に決まった予定はなかった。
昨日「ひきこもり」を公言した通り、日中はほとんどを自宅で過ごした。
日曜の午前から、C・イーストウッド監督の「父親たちの星条旗」という戦争映画を見て、重いテーマに思わずウーンとうなりたい気分になった。
同じ戦闘を同じ監督が日本側から描いた「硫黄島からの手紙」も少し前に見ていたが、日米双方で3万人近い犠牲を出すという、おそらく第二次大戦の中で最も悲惨な戦いをつい最近までほとんど知らなかったことが恥ずかしい。
日米どちらも二十歳前後の戦闘員が文字通り死力を尽くした戦いがあったから今の私たちの平和な日常があることだけは忘れたくない。
本欄を書いているのがまだ18時台ということもあり、まだ今日のうちにやれることはないか思案している。
07年、08年と、私の地元である魚津をテーマにした歌謡曲を相次いで作り役所にも持ち込んだが、行政の作為もありいまだ陽の目を見ていない。
作為というと怒られそうだが、08年に2曲目を持ち込んだのは5月頃で、その直後の6月に突如行政側でご当地ソングのプロジェクトが立ち上がって、その年の11月にはまったく別の曲を堂々とCD化して発表してしまった。
公認ソングの売れ行きは定かではないが、地元の老舗店には山積みになっていたから推して知るべしだろう。
ともかく、私が「魚津市非公認ご当地シンガー」を名乗っているのはそういう経緯がある。
せっかく自分の作品である歌が二つあるのだし、mp3音源だけでも動画サイトに上げることはできるので、広く知ってもらうにはいいかもしれない。
手助けになる便利なサイトもあるようだ。
先月に中学の同窓会があって懐かしい顔に出会ったことは書いたが、当日会場にはいなかったものの「話題」にはなった女性がいて、会が済んでから顔が無性に見たくなってきた。
その時幹事をしてくれたM君がまた集まりを企画すると言っていて、そうなれば彼女も呼ぼうという話は出たが、「宴会待ち」もどうかと思い、直で連絡を取ってみることにした。
もともと彼女とは三年生の時にクラスが一緒で、少食の彼女からいつも給食のご飯を半分もらっていた仲(?)だからM君を通さなくても大丈夫だろうと考えた。
とはいえ、電話やメールをマタ聞きするのはエチケットに反するから、ただ一つの手がかりである「住所」を頼りに一筆手紙を書いて送ることにした。
もちろんきっかけは先の集まりだからM君には断りを入れ、さらにM君に敬意を表してその日のことは詳細に記し、その上でじかに再会したい旨を書いた。
あさってあたりには本人の手に渡るだろうが、果たして喜んでもらえるかどうか。
平日は仕事場と自宅の往復、金欠とはいえ休日もひきこもり気味ではどうもスカッとしない。
しかし、いろんな面でとにかく動き続けることでしか新たな流れは作れない。
静かな形でもいいから思ったことは少しでも前に進めよう。
何を信じていいのか分からない時代だからこそ、自分を信じて悔いのない毎日を送りたいと思う。
昨日「ひきこもり」を公言した通り、日中はほとんどを自宅で過ごした。
日曜の午前から、C・イーストウッド監督の「父親たちの星条旗」という戦争映画を見て、重いテーマに思わずウーンとうなりたい気分になった。
同じ戦闘を同じ監督が日本側から描いた「硫黄島からの手紙」も少し前に見ていたが、日米双方で3万人近い犠牲を出すという、おそらく第二次大戦の中で最も悲惨な戦いをつい最近までほとんど知らなかったことが恥ずかしい。
日米どちらも二十歳前後の戦闘員が文字通り死力を尽くした戦いがあったから今の私たちの平和な日常があることだけは忘れたくない。
本欄を書いているのがまだ18時台ということもあり、まだ今日のうちにやれることはないか思案している。
07年、08年と、私の地元である魚津をテーマにした歌謡曲を相次いで作り役所にも持ち込んだが、行政の作為もありいまだ陽の目を見ていない。
作為というと怒られそうだが、08年に2曲目を持ち込んだのは5月頃で、その直後の6月に突如行政側でご当地ソングのプロジェクトが立ち上がって、その年の11月にはまったく別の曲を堂々とCD化して発表してしまった。
公認ソングの売れ行きは定かではないが、地元の老舗店には山積みになっていたから推して知るべしだろう。
ともかく、私が「魚津市非公認ご当地シンガー」を名乗っているのはそういう経緯がある。
せっかく自分の作品である歌が二つあるのだし、mp3音源だけでも動画サイトに上げることはできるので、広く知ってもらうにはいいかもしれない。
手助けになる便利なサイトもあるようだ。
先月に中学の同窓会があって懐かしい顔に出会ったことは書いたが、当日会場にはいなかったものの「話題」にはなった女性がいて、会が済んでから顔が無性に見たくなってきた。
その時幹事をしてくれたM君がまた集まりを企画すると言っていて、そうなれば彼女も呼ぼうという話は出たが、「宴会待ち」もどうかと思い、直で連絡を取ってみることにした。
もともと彼女とは三年生の時にクラスが一緒で、少食の彼女からいつも給食のご飯を半分もらっていた仲(?)だからM君を通さなくても大丈夫だろうと考えた。
とはいえ、電話やメールをマタ聞きするのはエチケットに反するから、ただ一つの手がかりである「住所」を頼りに一筆手紙を書いて送ることにした。
もちろんきっかけは先の集まりだからM君には断りを入れ、さらにM君に敬意を表してその日のことは詳細に記し、その上でじかに再会したい旨を書いた。
あさってあたりには本人の手に渡るだろうが、果たして喜んでもらえるかどうか。
平日は仕事場と自宅の往復、金欠とはいえ休日もひきこもり気味ではどうもスカッとしない。
しかし、いろんな面でとにかく動き続けることでしか新たな流れは作れない。
静かな形でもいいから思ったことは少しでも前に進めよう。
何を信じていいのか分からない時代だからこそ、自分を信じて悔いのない毎日を送りたいと思う。