毎日のようにネタを提供してくれるわが部署のKU氏(推定46歳)だが、一日過ごせば必ず何かは「ああ、この人は寂しいんだな~」という素振りが見える。
ある面では子供じみているとも言えるから、今風に言えば「かまってちゃん」という表現でもいいかもしれない。
何度も書いているように決して悪人ではなく、むしろ善人をやろうとし過ぎるあまりに完全に自分を見失っている。
善人を演じることに疲れ切って本音のところでは人付き合いなど面倒になっているのに、決して仲がいいとはいえない人や、今さっきケンカした人でさえも時間をおかずにベタベタと話しかけに行く。
私は話を振られても適当に合わせていることが多かったが、最近はそれすら面倒になってきた。
氏の場合、人からよく見られたいと思う気持ちが強すぎて自身の格好の悪いところはまず見せない。
プライベートの社交辞令ならイザ知らず、仕事の上でそれが出てしまうと非常に迷惑だ。
自分の犯したミスを隠したり、時にはミエミエのウソまで平気で口にしたりする。
仕事をしていれば誰でもミスはするもので、ミスをしたから格好悪いということはまったくない。
格好悪いのは、ミスによって周囲から見捨てられるのではないかなどと余計なことを考えてヘタに取り繕ったりしてしまうことである。
そんな態度を長年重ねてきていることで周囲からはすでに半分見捨られていることに本人は気づいているだろうか。
ヘタをすれば今の地位さえ危ういということにも・・・。
クルマ好きの氏は、今日の帰りがほぼ同時刻となったので駐車場で一緒になった。
私は話しかけられたくないのでウインドウを閉めてジュースを飲んでいたのだが、何の断りもなしにヒトのクルマの排気口のあたりをチョロチョロと眺めに来た。
氏もかつてはドイツ某メーカーのクルマに乗っていたらしいが、今は「外車っぽい味付けの日本車」に乗っている。
外車そのものに理解はあるし興味を持っているのは分かるとしても、会話のキッカケを探すためとはいえヒトのクルマの後ろに黙って回りこむというのは幼い振る舞いと言わざるを得ない。
人間、本当に心が寂しくなると、他人を見て自分のことを好きか嫌いか、真に大事にしてくれる人か単に利用しようとする人かの見分けがまったくつかなくなる。
私自身も若い時分はしっかりした「軸」を自分の中に持てなかったから、今のKU氏のような生き方を長年やって、さんざん他人に振り回され、結果得るものはほとんどなかった。
私の毎日はそういう生き方を捨ててから良くなったので、氏もいつかキッカケをつかんで人生の流れを変えていってほしいと思う。
何かの縁で毎日会っている人が、かつて私もやっていた徒労感ばかりが残る生き方を続けてムダにスリ減っていく姿は痛々しくて見ていられないからである。
ある面では子供じみているとも言えるから、今風に言えば「かまってちゃん」という表現でもいいかもしれない。
何度も書いているように決して悪人ではなく、むしろ善人をやろうとし過ぎるあまりに完全に自分を見失っている。
善人を演じることに疲れ切って本音のところでは人付き合いなど面倒になっているのに、決して仲がいいとはいえない人や、今さっきケンカした人でさえも時間をおかずにベタベタと話しかけに行く。
私は話を振られても適当に合わせていることが多かったが、最近はそれすら面倒になってきた。
氏の場合、人からよく見られたいと思う気持ちが強すぎて自身の格好の悪いところはまず見せない。
プライベートの社交辞令ならイザ知らず、仕事の上でそれが出てしまうと非常に迷惑だ。
自分の犯したミスを隠したり、時にはミエミエのウソまで平気で口にしたりする。
仕事をしていれば誰でもミスはするもので、ミスをしたから格好悪いということはまったくない。
格好悪いのは、ミスによって周囲から見捨てられるのではないかなどと余計なことを考えてヘタに取り繕ったりしてしまうことである。
そんな態度を長年重ねてきていることで周囲からはすでに半分見捨られていることに本人は気づいているだろうか。
ヘタをすれば今の地位さえ危ういということにも・・・。
クルマ好きの氏は、今日の帰りがほぼ同時刻となったので駐車場で一緒になった。
私は話しかけられたくないのでウインドウを閉めてジュースを飲んでいたのだが、何の断りもなしにヒトのクルマの排気口のあたりをチョロチョロと眺めに来た。
氏もかつてはドイツ某メーカーのクルマに乗っていたらしいが、今は「外車っぽい味付けの日本車」に乗っている。
外車そのものに理解はあるし興味を持っているのは分かるとしても、会話のキッカケを探すためとはいえヒトのクルマの後ろに黙って回りこむというのは幼い振る舞いと言わざるを得ない。
人間、本当に心が寂しくなると、他人を見て自分のことを好きか嫌いか、真に大事にしてくれる人か単に利用しようとする人かの見分けがまったくつかなくなる。
私自身も若い時分はしっかりした「軸」を自分の中に持てなかったから、今のKU氏のような生き方を長年やって、さんざん他人に振り回され、結果得るものはほとんどなかった。
私の毎日はそういう生き方を捨ててから良くなったので、氏もいつかキッカケをつかんで人生の流れを変えていってほしいと思う。
何かの縁で毎日会っている人が、かつて私もやっていた徒労感ばかりが残る生き方を続けてムダにスリ減っていく姿は痛々しくて見ていられないからである。