わが部署きっての「偽善キャラ」であるKU氏だが、最近は私に話題を振ってこなくなった。
過日、氏から仕事上でミエミエの大ウソを吐かれたことを直接なじったのに加えて、遠回しな表現ながら全員がいる朝礼でもそのことを発表してしまったため、いかに寂しがり屋の氏といえども私にベタベタとくっついてくることはなくなった。
やることなすことすべてが注目されたいばかりの自己アピールになっていることは周囲の誰もが気づいていて、もはやマトモに相手などされていないのが現状だ。
「いいひと」をやろうとして自分の首を絞めている感があるKU氏は、実は十年ほど前までの私と非常によく似ている。
判断基準が自分ではなく他人にある状態だから、容易に他人に振り回されて言動もその場しのぎでコロコロ変わる。
誰からもよく見られたいあまりに自分を偽って演じるばかりの暮らしを続けていれば、いずれは疲れ切って何もかもが面倒になる。
私はどこかでそれに気づくことができて自分なりに生き方を少しずつ変えていった結果、以前よりは気持ちの上で張りのある毎日になっている。
私もひと頃よりはかなり性格もサバけてきてムダなガマンもしなくなったため、昔のイメージが頭に残る向きは残念ながら私から離れていっている。
しかし、自分にウソをついていない今の私とこれからつながる人がいるならそれは「ホンモノ」になっていく確率が高い。
格好ばかりが気になるようなことは現在はほとんどなくなっている。
そこに魅力を感じてくれるのなら付き合いが始まっても長く続けられるはずだ。
同性異性問わず、今は「いいひと」とあえて付き合う気は起こらない。
男でも女でも、むしろ「思い通りになりにくい」タイプが今の自分には合っていそうだ。
お互いにすぐ意地を張って言いたいことも言ってケンカもしょっちゅうだが何となく離れがたい、これから長く付き合っていくであろう人はそういう感じの人ではないかと思う。
これからそういう人に多く巡り会うためにはまず自分自身がバカになって無用な「カベ」を作らないことだ。
カベのあるところを突き破ってまで入ってこようとするモノ好きな人は多くない。
心の扉を全開にしておいて、付け込もうとする者だけはうまく排除しながら人生の後半戦を共に歩いていく大切な存在を多く作りたいものだ。
過日、氏から仕事上でミエミエの大ウソを吐かれたことを直接なじったのに加えて、遠回しな表現ながら全員がいる朝礼でもそのことを発表してしまったため、いかに寂しがり屋の氏といえども私にベタベタとくっついてくることはなくなった。
やることなすことすべてが注目されたいばかりの自己アピールになっていることは周囲の誰もが気づいていて、もはやマトモに相手などされていないのが現状だ。
「いいひと」をやろうとして自分の首を絞めている感があるKU氏は、実は十年ほど前までの私と非常によく似ている。
判断基準が自分ではなく他人にある状態だから、容易に他人に振り回されて言動もその場しのぎでコロコロ変わる。
誰からもよく見られたいあまりに自分を偽って演じるばかりの暮らしを続けていれば、いずれは疲れ切って何もかもが面倒になる。
私はどこかでそれに気づくことができて自分なりに生き方を少しずつ変えていった結果、以前よりは気持ちの上で張りのある毎日になっている。
私もひと頃よりはかなり性格もサバけてきてムダなガマンもしなくなったため、昔のイメージが頭に残る向きは残念ながら私から離れていっている。
しかし、自分にウソをついていない今の私とこれからつながる人がいるならそれは「ホンモノ」になっていく確率が高い。
格好ばかりが気になるようなことは現在はほとんどなくなっている。
そこに魅力を感じてくれるのなら付き合いが始まっても長く続けられるはずだ。
同性異性問わず、今は「いいひと」とあえて付き合う気は起こらない。
男でも女でも、むしろ「思い通りになりにくい」タイプが今の自分には合っていそうだ。
お互いにすぐ意地を張って言いたいことも言ってケンカもしょっちゅうだが何となく離れがたい、これから長く付き合っていくであろう人はそういう感じの人ではないかと思う。
これからそういう人に多く巡り会うためにはまず自分自身がバカになって無用な「カベ」を作らないことだ。
カベのあるところを突き破ってまで入ってこようとするモノ好きな人は多くない。
心の扉を全開にしておいて、付け込もうとする者だけはうまく排除しながら人生の後半戦を共に歩いていく大切な存在を多く作りたいものだ。