今日(4/28)から初編にはいりました。
14日と16日に地震があり水前寺公園は参道の鳥居が落ち、池の水が涸れるという大変動が起き、健康ふれあい広場も閉まったままでしたが、今日から開館しました。
出席⒋人、欠席3人でした。欠席3人のうち女性の詫間さんは地震絡みです。自宅が被災して避難所生活だそうで、当分の間予定が立たないということです。まことにお気の毒で、心からお見舞いを申し上げます。詫間さんと対照的な幸運者は平井さんで、地震で一冊の本も落ちず、その夜はすることもないので朝までぐっすりと寝てしまったと言われました。こんな幸運もあるのですね。
さて、「富貴自在冥加あれとや」の意味が分からないと質問がでました。富貴とはお金や名誉のこと、それを自在にできるような神様のご加護があれば良いのになあ・・と言うほどの意味でしょうか。
直訳はそうですが、ここは一篇の書き出し部であり作者がもっとも工夫を凝らすところです。発端では「武蔵野の尾花が末にかかる白雲」という古歌を引用して江戸の殷賑ぶりを描出しましたが、ここでは琴歌の本文を取っていると三田村鳶魚は言っています。本文の文句に 「菜蕗(ふき)といふも草の名、茗荷といふも草の名、富貴自在、徳ありて、冥加あらせたまへや」とあるそうです。
意表に出る才と教養があったということですね。琴歌よりもこちらが本家のようになりました。一九の力の籠もった文章の冒頭部を書き出しておきます。
富貴自在冥加あれとや、営み立てし門の松風、琴に通ふ春の日の麗らかさ、げにや大道ハ髪のごとしと毛すじ程もゆるがぬ御代のためしにハ、鳥が鳴く吾妻錦絵に鎧武者の美名を残し、弓も木太刀も額にして、千早振る神の広前におさまれる豊津國のいさほしは、堯舜のいにしへ延喜のむかしもまのあたり見る心地になん。