「怖ろしき一夜」に出てくる中二階
この中二階は、明治五年に建てられました。明治九年十月二十四日の夜、徳富家では母の久子と病気の長女常子と健次郎(蘆花)の三人でした。突然近くで戸障子の倒れる音や人の悲鳴聞こえました。母の久子はおびえた健次郎手をひいて、ここの二階から雨戸をあけて外を眺めますと、あちこちに火の手があがつていました。神風連の変だったのです。このことを健次郎は後の小説「怖ろしき一夜」の中に書いています。
種田は鹿児島出身の陸軍少将で、東京在任中はその派手やかな行状から「花の左門さま」と呼ばれていた。明治九年十月二十四日、熊本鎮台在任中、神風連高津軍記の率いる一隊に襲撃されて落命。時に三十八歳。「ダンナハイケナイ ワタシハテキズ」はその時愛妾小勝が東京家に送った電文であった。(説明文)
蘆花はこの時8歳の少年であったが地図でみるとすぐ近くに居たわけである。