古文書を読もう!「水前寺古文書の会」は熊本新老人の会のサークルとして開設、『東海道中膝栗毛』など版本を読んでいます。

これから古文書に挑戦したい方のための読み合わせ会です。また独学希望の方にはメール会員制度もあります。初心者向け教室です。

堀内傳右衛門聞書 P21~P30 熊本県立図書館蔵

2020-03-14 21:31:45 | 堀内傳右衛門

P21

御座候、今度私さし申候刀ハ新身ニ而御座候定而疵御座候つる哉切
先より五六寸下ニ而おれ申候惣体其夜之儀内蔵助兼而申付三人
宛組合申候、広間より書院へ通候ろうかの様成る右之方之すミニ何者
か居申三人へ自之跡ニ私通候刻うしろより切申候へ共着込着用仕候
ゆへ疵も付不申其儘ふりかへり切り申候得ハ初大刀ニ而たをれ二ノ大
刀ニ而打おり申候、右之ものの下ニ火鉢御座候所ニたをれ申候を打つ
けたる物と存候就夫あいての刀を取差替申候と咄被申候事
一.堀部弥兵衛咄被申候ハ磯貝十郎左衛門事別而御懇意之旨忝存候十郎左衛門
儀は是ニ居申候何も老人共も別而不便ニ存ニ存い申候子細ハ是ニ居申者共
二代三代之勤家久敷もの共私ハ三代前之代ニ牢人分ニ而召出シ其後之
代ニ新知くれ被申今度之内匠頭代ニ物頭ニ申付候、右之通ニ代々重恩を
請申候故御覧被成候様ニ年寄候へハ志斗ニ而何之働も不仕門番を

 

P22

仕い申候、何もわかきもの共ハ随分かせき申候と咄被申候御尤成る
御事わかき衆之働と御老体之門番を被成候と何も事ハ同ジ儀ニ存候
と返答申候、扨十郎左衛門事ハ其身一代ニて則ち私肝煎申候而十四歳之
暮ニ児小姓ニ召出シわづか十年之間之勤ニ而古キもの共同前之志シ仕候
其願も仕廻候而立退候刻金杦橋を何も通申候将監橋を渡候而近クニ
老母居申候故立寄候而暇請なとも仕候へと内蔵助初として何も申候
得とも何と存候哉、立寄不申定而たしなミ故と存候由被申候扨々
不浅御事てとかく可申様も無之御志奉感と申立候而下之座ニ
参候而十郎左衛門方ニ逢申候而唯今弥兵衛殿御咄被成具ニ承申候兼而之
御志古老之御衆と御同前今度泉岳寺へ御立退被成候砌内蔵助殿
初として何も御差図被成候へ共御立寄不被成候御たしなミ誠以不浅候
御志と乍慮外奉感と申候得ハ十郎左衛門被申候ハ弥兵衛か定而宜様咄

 

P23

仕たるものニ而可有御座候私事いかにも幼少より召仕申別而念比ニ被申
段々取立申江戸小屋なとも廣く申付候而老母もゆるりと召置懇
比ニ召仕候事ニ御座候へハ古キもの共の重恩ニおとり申事さらさら無御座候
いかにも立退候砌内蔵助初いつれも立寄候而老母ニ逢候得と申候へ共先ハ
装束も目ニ立第一老母居申所御小身ニ而も御やしきニたいしぶし
つけと被存又ハ少之間ニ而もいか様の事か可有御座も難斗かたかたニ而
立寄不申候唯今存候へハ何事なく立退候ヘハちと後悔ニも存候由被申
笑被申候事誠以十郎左衛門ハ別而感ジ入申事多ク候
一.助右衛門被申候ハ仙石伯耆守様へ参候節今度之一巻御聞被成候砌上野介殿
屋敷之内ニ仕込申時軽きものをとらへ候て案内をいたさせろう
そくまて出させともし被申候事、扨々おちつきたる仕かたたれニ而候哉
と御尋被成候故磯谷十郎左衛門と申上候得ハ扨々わかき人のおちつき

 

P24

たる仕方と別而御感シ被成候由咄被申候事
一.或時吉田忠左衛門被申候ハ私儀若キ時よりすき候而軍法を承候折節
さいはゐを所持仕い申候故最早今度果申儀御座候へハ内蔵助ニもカクシニ而
持参仕候定而御取寄被成候道具共之内ニ可有御座候間御やき捨可被下
候由頼申候と被申候いかにも見申申候得ハ柄ハくろぬりニして丸ノ内ニけん
ひしの紋金ふんニ而両方ニ一ツ宛柄の先共ニ三ケ所ニ紋付白キ紙ニ所々
血付ゐ申候已後何方之道具共不残泉岳寺へ被遣候時右之さいはゐも入参候事
一.拾七人衆之鑓長刀並刀脇差並懐中之小脇差ね花紙袋等仙石伯耆守
様より向坂平兵衛請取被参候由ニ御座候芝御奉行所ニて御側衆一
覧之刻我等も一座ニ居申候而見申候通書付置候事
一.拾七人之刀脇差同名平八心付候而大小入之刀箱十七ささせこんの木綿
風呂敷ニ而大小包候而銘々札付置候後ニ泉岳寺へ被遣候時分も

P25

様子能ク有之候事
一.内蔵助大小両腰共相州物と相見大みたれ刃ニ而刀之切先一尺斗ニ
血のりつきい申候様子つき候而ぬきし跡之様見へ申候定而上野介殿之
ととめさされたる物と察申候松葉さき一分程玻れい申候大小とも
黑ぬりのさや金拵ニ而小刀柄ハ古キ古語ほりあげニ仕御座候へ共
我等事文盲ニ候へハよめ不申候へ共文字君臣之忠義之語と見へ申候
同名平八ハ覚い可申御尋可有之事
一.磯貝十郎左衛門大小共くろぬりのさやこい口二三寸朱ニてすじかへニぬり
有之候尤金拵ニ而むらさきのかいの口新敷下緒付い申候鼻紙袋ハ
むらさきちりめんのふくさにつつミ右之下緒のきれニ而ゆひ有之候内ニこ
とのつめ一ツ有之候此事ハ以後十郎左衛門其外何も咄シ承申候故奥ニ書
付置候事

P26

一.近松勘六脇差ハさめさやニ而弐尺余之大脇差ニ而御座候、ぬけ不申候而
何も其儘召置き申候後ニ承候得ハ上野介殿宅ニ而切り付被申候へハ迯申候
故追懸被申候故ニ庭ニ泉水有之ころばれ候而水入申候を其時立
かへり候ハハ観六ハあふなきめにあひ可申候へ共跡をも不見迯のび仕合
成儀と何も咄被申候事
一.奥田孫太夫大太刀ハ身弐尺余有之無地の鉄つば懸りい申堅木
の壱尺六七寸の柄切りづかことく仕たる物ニ而候小長刀なとの心ニ
持参被仕と見へ申候事
一.堀部弥兵衛鼻紙袋ニハ子供の持あそびの竹笛御座候相図の時の笛
と存候、尤小脇さし懐中と見へ申候其外之衆も右之笛持参と見へ
候而有之候間小脇差し六七腰有之候事
一.何も大形大小之柄之上を平打のもめんの緒ニ而巻候而御座候大小
 

P27

多有之候切り柄之心ニ而手之内能可有之候嶋原御陣之砌山川惣右衛門兼
て打死之覚悟大小之柄を芋なわにて巻差被申候由亡夫節々咄被申候
古今時代ハ替り候へ共武士之志ハ何も同前と感ジ入申事のミニ而候事
一.何も鑓之柄ハ九尺斗ニ切捨被申たると見へ申候身ハ大ふり成るささの
葉成り、長さ八九寸はは広き所ハ弐寸余古身と見へ申候すはだものニ
能ワさしと内々承及申候、大形さやハなく白キ布ニてゆひ有之候其
夜之両袖の相印の布と見へ間ニ名なと書付たるも有之候事
一.何も之鑓見申候ハ取出書加置候四五年前在江戸之刻従熊本去ル人
近年はやり申候磯野弥兵衛仕出シ之す鑓の身丸ク惣体細ク有之候望
之由すらせくれ候へと代物金一歩迄参申候出来さし下候ハハ兄弟衆も
望其外も無心申度と申来候折節ためしもの有之見物仕候時分
他所より右之す鑓参候而ためし候へ共三本迄通り不申候を身申候故右之通

 

P28

申遣親父嶋原ニ而働有之仁之子息ニ而候故親父之鑓を御こつし候得
はやり候得共私見申分ハ如是と申遣候得ハ其後不申来候定而具足其外
着込候様成ものハ通り可申候へ共静澄之時分ハ先すはた物ニ能き
そ可然存候今度之内ニ神以右之通之鑓一本も無之候事
一.何もの刀脇差金拵ニ而結構ニ見へ申候勿論古身多ク新身も有之
候へ共さびたるハ無御座候以後節々咄被申候あいて無之候得ハ手ニあひ不
申もの多く御座候由惣体迯走申ものハ其儘ニて置候へ手むかひ仕候
もの迄打捨と兼而内蔵助被申付候由尤成る事共就夫刀脇差
のりつきい申ハすくなく鑓ハ大かたのりつきい申候其夜仕合不仕合
御座候ハ相手無御座候得ハ手ニあひ可申様も無御座候と咄被申候
我等申候ハいな左様ニも思召間敷候御仕合も御名仕合も何も御志
御同意之後ニ御座候へハ四十六人之御衆ハ何も御同然と存候由申候事

 

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P29

一.甲府様御家老小出土佐守殿被預由ニ而細川桃唐老御聞つけ候由にて
江村節斉被申候ハ吉田忠左衛門ニ申通シくれ候へ跡々妻子なと事少も苦ニ
被存ましく候土佐守殿家来鈴木彦左衛門ニ能申付置候との儀通シ度由
ニ付即刻忠左衛門ニ申達候得ハ常々御懇意ニ候間左様可有候忝次第
慥承届候由宜申くれ候へと被申候故則右之儀節斉へ申達候事
一.或時次之座ニ出候得ハ何も被申候ハ奥田孫太夫儀ハ不存寄事を承悦
申と秋本但馬守様ニ舅居申候中瀬助五郎殿御供ニ而被出候へハ右之もの罷出
孫子共何も無事之段被仰聞被下候様ニと申御伝言を助五郎殿被仰聞候と
被申故扨々それハ一段之御仕合ニ而御座候と其後承候得ハ右之趣達
御耳候而言伝を被申通候由ニ御座候助五郎儀ハ我等ニ心入ニ而御座候
同名古文左衛門妻ニ付而之縁と存候助五郎拙者へ被申候ハ十七人之衆
心あり咄申候衆之母子兄弟縁類へハ通シ卯様ニ承申候今度之儀ハ

 

P30

誠ニ大事之儀御座候間能ク心得候へと内意被申候扨々御心入之儀共別而
忝存候いかにも被仰聞候通得其意申と申候定而右之通之様子
ゆへ但馬守様御屋しきニて奥田孫太夫舅拙者を承及定而
拙者名を被申たる哉尤其刻助五郎ニ誰か左様ニ申たる哉富もう事
も尋申不申候偽ニ而無御座通シ申事ハ勿論兼而覚悟仕居申
事故少も驚申事ニ而ハ無御座候故唯御心入忝と斗礼を申候事
一.或時次之座ニ而何もと咄申候刻何も被申候ハ今度近松勘六家来甚三
郎と申小者事存出候得ハ不便ニ存候と被申候衆いか様之訳ニ而御座
候哉と尋候得ハ勘六ハ代々先祖より近江国之ものニて御座候在所之名被
申候得ハ折節失念仕候右之在所よりより今度江戸へ召連参候甚三郎親は
庄やを仕居申候代々わけあるものニ而御座候今度何も存立申前ニ
在所之状なと調申候而在所ニ差帰シ可申と存右之趣申聞候へハ甚三郎