古文書を読もう!「水前寺古文書の会」は熊本新老人の会のサークルとして開設、『東海道中膝栗毛』など版本を読んでいます。

これから古文書に挑戦したい方のための読み合わせ会です。また独学希望の方にはメール会員制度もあります。初心者向け教室です。

堀内傳右衛門聞書 P71~P80 熊本県立図書館蔵

2020-03-19 18:05:46 | 堀内傳右衛門

P71

もの共申候而是へ参申候必々此座がちに御咄被成下候得此後座敷へ
折々参候而御咄承候ヘハ気はれ候て能く御座候と被申候内蔵助常々
位高キ事是ニ而察申さるへく候事
一.上ノ座へ罷出候時忠左衛門、惣右衛門、弥兵衛なと我等そはニ被参傳右衛門殿ハ
御馬すきと何も御咄承候馬咄被仕候惣体道中なと御ひかセ候御
馬遠路達者不達者も可有御座候いかかと被申候いかにもわかき時より
すき候て見申候にとかく馬ハ生レつきすなほにすそ廻り能ク無御座候へハ
遠路道中なとにて役ニ立不申候頭持能轡かけ能キ之とも前能キ之
地道乗能キ之と申候而もこうでのび申か或ハそむき申かつめあしく候か
とかく馬之惣体能ク候而も右之通之所ニ申分御座候得ハ遠路仕候而
必血落自然之時役ニ立不申候と返答仕候何も御番人うしろに詰い被
申候故拙者も痛入候而心の内おかしく存候つるわかき時分御馬屋に

:

P72

十四歳より稽古ニ出申其後江戸定御供ニ而舎人殿なと就中馬すきニて
節々右之噺承い申候故相応之返答仕候何事も心つけ咄可承事ニ候大
形之人ハ当座我為ニ用不申事ハ咄承候てもうハのそらニ承申候武士ハ
いか様の事歟ありて大名に可成事昔より段々咄有之候心ハ
身体より大キニ持常々心がけ可申事と存候此段ハ幼少より亡父節々
被申候事ニ候扨右之三人衆被申候ハ扨々傳右衛門殿ハ承候よりハ御馬御こうしや
ニ而御座候定而御家之御馬役衆其外御侍中ニも御のりて多く
可有御座候昔之上田吉之丞なとの様成ル上手ハ当世ニハ有兼申候と
忠左衛門被申候故如仰昔之様成ル上手ニ乗ものも馬もすくれたるハ有兼
申候馬役之者ニ中山九郎左衛門と申候而随分きれいなる乗方ニ手馬もよく
乗申候古越中守代唯今之旦那祖父ニ而 妙解院と申三斉子ニて御座候
如私馬すきニて自分ニも能ク乗リ馬上ニていろいろの事を被仕なぐさみ

P73

被申腹中すきの自分ハ馬上ニてわづけなと給被申候由親共咄承申候
其時分ハ右之吉之丞ニもおとり申さぬ上手供多ク侍中ニも有之候
馬役之者ニ永井安大夫と申ものハ皆供幼少之時迄存命い申
覚い申候小男ニ而きれいなる乗形ニ而御座候つる唯今之御咄御咄之上田
吉之丞事ハ馬も上手ニて武功有之仁一所ニ佐分利九之丞と申仁
御座候つる此佐分利同名之者共ハ傍輩共ニ多御座候両人共ニ松平宮内
宰相様へ被召仕九之丞ハ原ノ城ニ而打死仕石塔なとに今有之傍輩
ともハ見申たる咄も承申候吉之丞之児小姓ニ而御座候や佐治頼母と申仁ハ右
吉之丞九之丞両人之働有之刻も同前之働ニて冨田佐渡守殿当座之
御ほうびニ作之鞍鐙を被下候由後々松平新太郎殿へ鉄砲頭 千石ニ被召出候と
親共咄ニて承候と申候得ハ三人共ニ扨々傳右衛門殿ハ古キ事を能ク御覚被成候忠左衛門
就中感シ被申候武士之事書置たる書物ハかながきのらしにても見置たるが

P74

能ク有之候と亡父毎度被申候近代之大坂軍記嶋原之刻 御父子様
共被成御出御家中之侍中打死手負或ハ御ほうび之書付第一ニ切々
見可被申候生レぬさきの事ニ而も御当家之事武士之事承不申
他家之侍中尋申時老人共申伝ニ而承候とてあらまし咄候ハハ能ク
可有之と大形ハ古キ事故不存候と申候而も其筈とも可存候へ共武士の
たしなミふかきものしるへき事をしらぬハいな事と心つけ申人も
可有之候遠坂□内殿此已然相良遠江様ヘ御振舞之御供ニ被参
拙者ハ其刻歩之御使番勤い申腰かけニ居申何も知行取中御屋敷へ
上り御料理被下御馳走之刻冨田殿へ御家老出申前かど御家に
居御暇申上罷出候御家ニ而ハ早水忠兵衛と申人松平大和守様へ結構成る
様子ニ而被召出候御家ニ而ハ百石被下御台所頭仕い申候嶋原之刻
長岡佐渡守殿並益田弥一右衛門右両人之證拠状持い申候而右之通結

P75

構ニ被召出候委細を存候而遠江守様御家老冨内殿へ申候ハ右之通之もの
何とて御暇被下候哉とて尋申候処ニ冨内殿返答ニいかにも被仰聞候段々
私も承及い申に其通ニ而御座候然共嶋原之刻ハ御聞及度可被成候
越中守肥後守父子共ニ罷越候故侍共過半召連候而其時分忠兵衛事ハ
かろき奉公仕台所廻之役儀相勤い申候ワかきもの働も能ク仕候他
所へ参候而ハ身体之たかにも成可申とていかにも両人之もの共状を遣申
事も承及申候かれ共右申通ニ而父子共罷越候故前々より召仕候
侍共働多ク御座候故越中守ハさのミ賞翫不仕候いかにも大和守様
などニハ嶋原之働有之ものハ少なく可有御座候間御賞翫御尤に
奉存候と返答仕候へハ家老とかくの返答不仕候而御尤至極と申たる
由則拙者腰かけてい申所へ冨内殿被参委細ニ咄被申何と存候哉

P76

被申聞候神以に今少もワすれ不申扨も扨も常々武士の道先祖之越後
殿之名をけがさぬ様ニと被申たる事覚い申候扨々御尤至極成る御返
答と感シ申候今度も毎度冨内殿存出申長瀨助之進ニハ申ちる事ニ候
冨内殿ハふるき咄すきニ而能ク覚い被申候故右之返答ニてハ能々心得被申
書置たる書物武士之善悪心つけ見可被申事ニ而冨内殿ハ嶋原之刻
未生以前か二ツ三ツかそれより上ニハ有ましく候皆々すき申事ハワけてもなき
事さへ承覚申事ニて候貴殿心得ニ成候様書キ加へ申候事
一.松下安芸守様御家中衆ハ江戸ニ而馬持不申衆も道中を専ニ馬引被申候
江戸ニ而ハ御借馬も御座候道中専ニ引セ申由上田新兵衛殿咄被申候先年
道中ニて我等も見申候馬数太分ニ見へ申候宿々のもの共も当御家中ほど
馬数すくなきハ無御座候由度々前々より馬宿之咄承申候本田中務様
御家中ハ弐百石より上ハ不残馬引せ申候是も先年道中ニ而見申候

P77

右之通ニ而候へハ内匠頭様も安芸守様御家同前ニそへハ我等身体ニ而も
道中馬引せ候故 尋被申候哉と以後存知辺り申候数日之後ニ付何も
心あり坊主共ニいろいろの事尋被申候由ニ候ヘハ我に身上之事も尋
被申たると存候馬引せ候哉との時も何となく右之咄仕候心底ニハ扨々
おかしく痛入申候何かにつけ小身程口おしき事ハなく候
一.吉田忠左衛門我等側ニ寄候而噺被申候ハ私婿伊藤平大夫と申もの本多中
務様御内ニい申候折節ハ江戸仕候本多家之譜代之ものニ御座候親ハ
八郎左衛門と申候而武功も有之候へ共片口者ニ而申度事斗をのミ申ものニ而
小身ニ而に今弐百五十石被下い申候内記様御代或時御前ニ被召出御
夜咄之刻酒もいで候而段々御機嫌能後ニハ御出頭仕候児小姓共
罷出八郎左衛門ニ酒給させ候へと御意被成いろいろと給さセ申候得とも
げこにて惣体短慮ものゆへしきりにのまセ可申と幼少なる児小姓

P78

たハむれ申候ていろいろの事申候を腹を立さんざんニ悪口を申候故扨々幼少なる
もの殊ニ御前ニ而とて機嫌あしく成る由承及申候に今右之子孫迄
小身ニてい申候と被申候我等申候ハいかにも七左様に可有御座候何方ニ而も多キ儀
ニ御座候心儘ニ申度事斗申ものハ古今小身ニ而い申候得共苦ニも不存一ツ之所を
たのしミニ存候と察申候と返答仕候扨此十郎大夫ハ時節を以ⅴ知ル人ニ被成候事
御盡被成候段御咄あい可申と被申候故得其意申候御しる人ニ成可得其意と申候
其後御成橋之内ニ本多中務様御屋敷有之候我等参候而逢申申候存
生之内ニ而いか様遠慮被仰付候哉長髪ニ而少煩居申と被申候てゆるゆる
と噺忠左衛門殿無事ニ御座候と申聞候得ハ扨も扨も不浅日本之尊神を
かけ難申盡と礼を被申候扨昨日在所より便宜御座候セがれ両人御座候
疱瘡かろく仕湯もかかり申候其外忠左衛門セがれ共も無事ニい申候私妻
子いつれも無事ニい申候寺坂吉右衛門事も無事ニ下り私所へも参候様申越候と

P79

御咄被下候へと被申候帰候而忠左衛門ニ段々咄申候へハ扨々不浅候御志とかく難申盡候
とて悦被申候吉右衛門事申出候得ハ此ものハ名も不届ものニ御座候重而ハ名も被仰
出被下ましきと被申候吉右衛門事其夜迄参候而欠落仕候由兼々いつれも
被申候然共使など被申付無恙仕廻事為可申聞などと色々申たる儀ニ候へ共
右之通ニ被申候事ふしんニ存候真実之欠落かとも被存候事いかかと存候
一.何もへ我等申候ハ御心あり思召段々御咄共被仰聞別而大慶仕候時節を以
段々ニ御咄共可申届候併口上斗ニ而何のかのと咄申候而も御あいてニより何を
申候哉無心元思召事も可有之候何も様之御手跡ニ而御一類衆中之御座候
所成り共御書付被下候ハハそれなりとも証拠ニ可仕と申候得ハ扨々不浅御志
とかく不被申とて悦被申刻原惣右衛門手跡ニ而爰元ニ居被申候縁有之
衆京都伏見大坂之辺所々ニ居被申候衆あらまし書付給候我等
懐中仕居申候事ニ候

P80

一.正月十一日御役代有之岩間何五郎片山重之進着座被仰付候其刻我等江
何も尋被申候ハ着座とハいか様之御座配御役儀かと尋被申候我等申候は
他家ニ而申さハ番頭之類ニ而御座候越中守家ニても大形其位ニて御座候
併着座と申ハ先年年始之礼之刻太刀ニ而申候着座ニも段々有之候小身
ニ而も家筋能キもの共も申付候番頭共より上座之着座も下座之
着座も色々御座候と申候事
一.何もワかき衆被申候ハ堀部弥兵衛養子安兵衛儀定而御聞及可被成候先年高
田馬場ニ而之仕方を弥兵衛承及申候而何之ゆいしよ無御座候へ共才覚仕
養子ニ仕候不思議成る事御座候手跡物ごし志迄も弥兵衛ニ能ク似せ申候と
咄被申候故拙者申候ハいかにも其筈と奉存候ハ弥兵衛故右之安兵衛殿小瀬働之
御志を御心実ニ御賞翫ニ思召何之御ゆいしよも無御座を御才覚之御志
ふかき事天道之御めくみ故調申たる物ニ而可有御座候左候ハハ其筈

 


俳誌「松」 百千鳥號 令和二年三月

2020-03-19 09:15:26 | 

主宰五句          村中のぶを

冬の日やわが影父の影に似つ

一天に漲るひかり橡冬芽

冬ざれや岬の道の縷々として

臘梅の華やぐ門や松飾り

   海(わた)の日に椨の宮淑気満つ

松の実集

寒  桜   落合 紘子
鴨の群れ鳩の鳴きゐる山の湖
寒桜と教はるや友を訪ひ
山湖一周駅伝大会寒の雨
寒桜咲く曲り角応援す
水辺なる紫小き蕗の董

紅  梅  多比良美ちこ
截金の阿弥陀の衣御堂冴え
藁の内こぼれ咲く白冬牡丹
懐炉背に巡る支那寺坂の街
紅梅や竹垣越しにこぼれ咲き
扁額の古りし祠や梅香る

湘  南   川上 恵子
春の海手繋ぎブランコ燥ぐ吾子
鳶襲ふ夏の境内若僧侶
遊行寺にて
掌に菩提子丸きを転がして
秋高しまもなく富士に綿帽子
江の島にイルミネーション冬に入る

ど ん ど   西村 泰三
始まれるどんど爆竹高々と
風に散るどんどの吉書舞ひ揚り
子等の声どんどの櫓崩れゆく
崩れ燃ゆどんどゆらゆら対の人
一斉に餅焼く棹を燠の上

イメージ

 

  雑詠選後に   のぶを

豆に杖あてがひ仕事始めとす   古野 治子
 一読して何とも穏やかな一句です。それも「豆に杖あてがひ」といふ些事に、作者にしては「仕事始め」と叙してゐます。あてがひは古い言葉で(宛がひ)であって、此所 では豆類の反りに支柱をしてやる事です。その支柱の杖も ご自分の杖と共通した心情が伝はつて来ます。
 一体、寄る年波に連れてその見聞が狭まってゆくことは 当然の事でせうが、而し掲句の様に些細な事にでも心を開 いて在れば、句の世界もまた広がってゆくのではないでせ うか。この事はむろん筆者にも言ひ聞かせる事でもありま す。それにしても季語の引用が実に当を得てゐて、また新年の晴れがましい句です。

白鳥座しかと翼張り寒に入る   細野佐和子
 「白鳥座」、どの辞書にも見えますが、野尻抱影の『星 三百六十五夜』にも散見出来ます。この白鳥座の五つの星 は十字形をつくり、星の配列がまた白鳥の飛ぶさまに似て、 南十字星に対し北十字星とも呼ばれてゐます。掲句の「し かと翼張り」は延いては、作者の住まふ上州の、北越の彼方までも及ぶ、寒の頃の透徹した星空を厳に詠み取ってゐるのです。して結句の「寒に入る」とはまた、作者の鋭い 把握です。

百歳を目指す令和の年酒かな  橘 一瓢
 九十九年を生きて来て「百歳を目指す」とは、何はとも あれめでたい事であります。そして一句の長生も然る事な がら、その駘蕩とした大らかさに肖りたいと思ひます。む ろん作者は会員最高年の方です。

秋空へ帆を一斉にうたせ船  白石とも子
「うたせ船」とは、在熊本の人達は既知の事で、宗像夕野火編「火の国歳時記」、また俳人協会の「熊本吟行案内」に紹介されています。辞書では打た瀬網として記載され、つまり底引網漁の一種として小型漁船が帆の風力や潮流を利用して海底を引き、エビや魚を捕ると有ります。またこのうたせ船は一般的に言へば帆掛け船と言ってよいでせう。 さて掲句ですが、この十数隻もの大景を端的に叙して、 その全容をよく描出してゐると思ひます。なは熊本吟行案 内では西村泰三さん達の句が紹介されてゐます。

冬の霧今日は晴れやら曇りやら  祝乃 験
 掲句の「晴れやら曇りやら」、なにか無造作な表現のやうですがさうではなく、球磨地方の名立たる、冬時の球磨 川の霧の大いさを叙してゐるのです。それも「今日」は晴 天なのか曇天なのか、視界が霧に閉ざされて不明と言ふのです。前後しますが助詞の(やら)は不確かな気持ちを込 めて自問する措辞です。むろん作者は球磨の方で、因みに 国手として地方医療に関はつてをられる人ですが、此の様 な霧の詠句は稀有です。

年新た名のみを刻む虚子の墓   後藤 紀子
 句はむろん鎌倉寿福寺の「虚子の墓」です。寿福寺はも ともと源頼朝の父の義朝の邸跡だつたとの説がありますが、 総門を入って真っ直ぐに続く参道は、後の句にもあります やうに、しんとして端正な佇まひを見せてゐます。この参道の奥に墓地はあるのですが、ここの墓地は他に大彿次郎、虚子の娘の星野立子などの墓、矢倉(岩穴)には政子、実朝の供養塔があり、一帯はまさに歴史的、文学的な景観を 呈してゐます。「年新た名のみを刻む」、その(虚子)の二文字だけの墓標に、改めて作者は新年の感懐とともに過 ぎてゆく時への思ひを綴ってゐるのです。

虛子の墓


盆地ただ静もりかへる初明り   住吉 緑蔭
 作者も球磨の方、元朝の夜明けを詠んでゐます。山に囲 まれた地の「ただ静もりかへる」、副詞のただは、ひたすらにと、その大いなる静寂を強調し、それにわが住まふ地 の初曙光を浴びて-。

初春の箱根の山路血潮飛ぶ   福田 祐子
 箱根駅伝と詞書のある句、「血潮飛ぶ」が面白い表現で す。それは放映の画面ではなく、目前の実景ではないでせうか。それも若き血潮の力走する姿を活写して余り有りま す。

胎中の胎児に合はす息白し   大場 友子
 唯々尊い生命の一句、「胎中」とはむろん胎内のこと、 その「胎見に合はす息白し」とは、ともあれ若き母の(いのち)への息づかひが伝はつて来るやうです。そしてこの 若き母を見守る周りの、温かな眼差しも感じられて、句はまた冬の一日の情景を描出してゐます。

支へ合ふ老いの暮らしの去年今年   野島 孝子
  淡淡とした詠情の一句、して「去年今年」といふ感慨が 沁み沁みと伝はつて来て-。

もろに受く木霊の息吹初詣   那須 久子

  作者は熊本、宮崎県境の高峰市房山の麓に住む方、掲句 はここ標高一九〇〇米餘の山の中腹にある市房神社の「初 詣」の詠、そして「もろに受く木霊の息吹」とは、球磨川 の源流の地でもある奥山の、深林の精霊の気を満身に受けての詠出、真に神々しい風趣の初参りです。  

市房神社