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ときハ猶以無心元おもわれ候能々心懸可被申候事慣用ニ候
一.役者間ニ而も二座ニ被召置候庭有之候所ニ外ニも天井のことく角
木ニ而四方をはり候て湯殿雪隠も両方ニつき座敷より見へ申さぬ様青
竹のふちニ而のね板を以はり随分きれいなる儀ニ御座候つる拙者罷出候得ハ
何も被申候ハ御大家様とハ乍申扨も扨も結構成ル事共是程ニ不被仰付
共之儀と乍憚奉存候誠ニ難有仕合とかく可申上様も無御座候扨何
の板べいのね板青竹なとの儀ハ 殿様御物ずきと承由被申候故拙
者もはつときもつぶし其儘申候ハ旦那物ずきの事ハ不存候惣体旦
那ハ作事なと其外庭なとも物好き被仕候事すきニ而御座候側廻ニ
召仕そ小身なるものの小屋ニ而も心安ク召仕候ものの小屋なとハ何とすまい
居候哉と咄さセ承なくさみ被申候とあいさつ仕御庭を見申候而是ハ作事
奉行共之心得ちかいニ而今少は□かと仕申候ハハ能ク可有御座ものを少しげ
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ときハ猶以無心元おもわれ候能々心懸可被申候事慣用ニ候
一.役者間ニ而も二座ニ被召置候庭有之候所ニ外ニも天井のことく角
木ニ而四方をはり候て湯殿雪隠も両方ニつき座敷より見へ申さぬ様青
竹のふちニ而のね板を以はり随分きれいなる儀ニ御座候つる拙者罷出候得ハ
何も被申候ハ御大家様とハ乍申扨も扨も結構成ル事共是程ニ不被仰付
共之儀と乍憚奉存候誠ニ難有仕合とかく可申上様も無御座候扨何
の板べいのね板青竹なとの儀ハ 殿様御物ずきと承由被申候故拙
者もはつときもつぶし其儘申候ハ旦那物ずきの事ハ不存候惣体旦
那ハ作事なと其外庭なとも物好き被仕候事すきニ而御座候側廻ニ
召仕そ小身なるものの小屋ニ而も心安ク召仕候ものの小屋なとハ何とすまい
居候哉と咄さセ承なくさみ被申候とあいさつ仕御庭を見申候而是ハ作事
奉行共之心得ちかいニ而今少は□かと仕申候ハハ能ク可有御座ものを少しげ
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く候てくらく御座候と申候而罷立候尤御物すきも不存候へ共たとへ
誠ニてもあの衆之湯殿雪隠なと御物数寄と申事語り申候ハ不入
事と存候事
一.広キ座敷ニ何も臥シ被申候故さむく可有之と存候而拙者差図ニ小屏風
沢山ニ出させ臥シ被申時ハ枕もとに立さセ申候或時去ル人被申候ハ小屏風立候
事不入事ニ存候ハ人数見へ兼候と被申候故拙者申候ハ何も御番人是ニ多
相詰其上あの衆之儀御座候へハ気遣成事ハ御座あるまじきと不入事
ながら是も返答仕候故其分ニて後々迄も夜ル臥シ被申候時ハたて申候事
一.
助右衛門拙者へ被申候ハ内蔵助ハめ形之さむかりニ而御座候なとと咄被申候故心つき羽織か何そ各別ニ出シ申度あれこれニいろいろ申候而見候得とも内蔵助斗ニハ
何とも出されぬ事と埒明不申候其後同名平八方へ申談何とぞ大身成るれき
れきの御側衆ハ自分自分心つさ申様ニ老人衆へハ頭巾なと懐中ニ仕夜
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さむ成時分ハ不苦儀候間夜る夜る御召候而御臥シ候ハハ可然と存候而進候と
持参被申事ハいかがと申候 太守様より頭巾か被為拝領様ハ無御座候故
申談候へ共埒明不申候内蔵助ハ夜ル臥シ被申候刻茶ちりめんのくくり
頭巾そろりとかぶり間ニハさむき夜ハこたつふとん引かづき候て臥シ
被申候拙者儀参候度ニはさみ箱ニ新敷くくり頭巾節斉給候を入置
小袖も新敷を一ツ入小判弐両懐中仕たばこハ随分念を入候を沢山に
きさみ持参仕候得共わけて一人ニも遣候得度成兼ケ様之時ハ小身ニ而かろき
身別而口惜存候右之頭巾金子ハ以後磯貝十郎左衛門母儀へ寺参りなとニ
御持参候ハハ寸志ニ而候可忝由旦那寺清久寺と申竹御門之前魚乱のう
しろニ有之ニ頼遣申候別紙ニ委細書キ置候へハ不見候事
一.瀬田又之丞と咄居申候處ニ原惣右衛門被参候何やかや歌咄なと有之候間又之
丞被申候ハ小野寺十内今度書之歌御聞被成候哉と被申候故いや承不申候と
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申候得ハ惣右衛門殿御書キ付傳右衛門殿へ進られ候へと又之丞被申候へハ惣右衛門被申
聞ハ十内聞候ハハ腹立可申とて笑被申候而惣右衛門書キくれ被申候
筆の跡見るに涙の時雨来てゆひかへすへき言の葉もなし
一.片岡源五右衛門被申候ハ先日之比迄皆共被召置候御座敷へくぎかくしの
しんの九土曜の御紋を見候而風与存出シ申候故采女正代ニ 三斉様より被下
置候由ニ而御召料之御具足御小手ハうふ小手ニ而手からニ御座敷之
くぎかくしの御紋の大サニ而銀之九曜御座候惣体采女武具之物数
寄等 三斉様をまね被申候由差物なとも三本しなへかちんにて白餅を
一本ニ三ツ宛九曜之心ニ而九ツつけさせ申候私ハ武具を預居申候故能ク存候
と被申候扨ハ左様ニ而御座候哉代々御心安得御意申候様ニハ及承申候旦那
奥方(本源院様)先年果被申候刻東海寺之妙解院寺江も為御名代大石頼母殿御
詰被成候事をも覚申候内匠頭様御家中立物などハ其身其身之物数寄次第ニ
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御座候哉又何ぞ一列ニ而御座候やと申候得ハ備中物頭も同前ニ三寸四方之
金の角を向立ニ仕候御当家之御差物ハいかかと申され候番方之侍とも
十二組是ハ一より十二迄之文字ニ金之引両をつけ色ハかちんにて御座候
小姓組六組是ハ左右之文字ニ金之引両色同前ニ而御座候尤立物
ハ銘々物数寄ニ而粗付之者共ハ金ニ仕セ申候物頭共ハ色もとびとびに
仕候唯今御咄被成候三本しなへハ中小姓共ニ差佐瀨申候由申候後ニ西田小三郎ニ
咄候へハいかにも 三斉様御代ハ御番方ハ三本しなへと承候由被申候拙者ハ
小三郎咄ニ而承候兎角切ニ而も古キ咄を承置被申候右之通ニて源右衛門ハ
武具をも預り居申候故右之御具足別而念を入候様段々申伝候由被申候故ニ
磯貝十郎左衛門被参候得ハ十郎左衛門へ被申候ハ御自分ニためし遣シ申候具足之
下地おどし候時分念を入不申候へハ凶々火を入れ穴々もミ候故
ためしもどり申候御舎兄達之能被咄置候哉と被申候へハいかにも両人へ
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能咄置候定而おどさセ候時ハ念を入可申と被申候事
一.右之咄を後ニ内藤万右衛門御母儀貞柳へ忌中見廻ニ参候而ゆかゆかと居
申候刻咄申候其後我等事別而十郎左衛門ニ懇意ニ仕悦申由奥平熊
太郎様ニも万右衛門弟ニ而十郎左衛門為ニ兄守谷成右衛門と申勤い被申候右三
人之存寄とて形見仕くれ候得とて右之ためしの下地送り給候志之段別而
不浅存しハらく留置貴殿へおとしとて遣可申と返礼ニハ刀脇差之内
礼有之候を遣可申と存い申候然處ニ風与存出候ハ右之万右衛門も成右衛門も
わかく妻子も無之候後々妻子御座候へハ子之為ニハ天下ニ名をあらハし
たる十郎左衛門儀ニ候ヘハ甥達出生之時ゆづり被申候事当然之道理と存十郎左衛門
旦那寺清久寺之住持ニ参申候而咄申候ハ貞柳並万右衛門殿成右衛門殿も御同然ニ
思召由にて拙者へ形見ニ仕候へとてためしの具足下地被懸□意候拙者儀者
最早年寄候得ハ其分ニ而御座候セがれ勝助ニおとし候て遣可申と
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扨々御志共不浅忝存候唯今迄召置候然處此□右衛門風与存寄申事有之候而
御談合ニ参申候十郎左衛門殿御事今度之御連衆中何も之咄ニ而承申候申□ハ
御新参と申年数も無御座ニ御代々御重恩之御衆と御同然之御志
別而不浅候段何も私江御咄候事御座候左候得ハ御連衆之内ハ何も御同然と
申内ニ十郎左衛門殿ハ又別而御すくれ被成候様ニ拙者ハ存候尤万右衛門殿成右衛門殿之
御舎弟之儀ニ御座候得ハ御両人共夫程ニ不被思召候事も可有御座候段々
御妻子も頓而出来候時分御男子御出生御成人之後ハ天下ニ名をあらハ
され候十郎左衛門殿御具足御持伝被成候事当然之道理ニ存候右之通にて
日本大小之尊神をかけ私江形見ニ被下候儀別而御志共忝存候而留置
申候が私方江召置候而可然と思召候哉又ハ唯今申出候様成ル道理二ノ内ニ而いづ
れが尤と思召候哉思召寄被仰聞候ハハ其通ニ可仕と申候得ハ清久寺被申候ハ段々
委細之御咄承申候而御志之段とかく可申様無御座一々御尤至極行末
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の事迄被仰出候事御深志感入候と被申候故左候ハハ右之被下候下地貴僧
にて返答(進?)可仕候間能々貞柳万右衛門殿成右衛門殿へ被仰通可被下候頼申と
申候而返答申候二ツ玉ニ而一枚つつためし候跡有之おもめも一貫め余有之候事
一.清久寺より段々右之趣三人衆へ被申候而返答被仕候へハ三人衆も扨々行末の事
まて段々思召寄不浅次第此上ハとかく可申様も無御座とて其後貞柳
泉岳寺住持より申請候十郎左衛門其夜着仕参申候はだぎ形見ニ仕候而
身を離し夫申候然共我等心底不浅過分ニ被存候而是を進シ可申候
形見ニ仕候得とて
白羽二重うしろに磯貝十郎左衛門正久と書付有之を
給申候拙者申候ハ扨々不浅忝存候子々孫々ニゆづり十郎左衛門殿御名ニあ
やからせ可申とて礼を申留置候事
一.十郎左衛門書キ被申候物を見申候へハ手跡ハそれ程ニ不見不申歌など書キ被申候かなも同前ニ見へ申候得共右之はだぎに書キ付しんニ而書キ御座候ハ
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見事に見へ申候後々万右衛門咄被申候ハ十郎左衛門若年之時分ハ乱舞ニすき其上
きようニ有之候而つづミたいこ萬事稽古仕候内匠頭様江被召出候而
御きらいニ而御座候由にてすきとすて申候御学文御すき候由にていろ
いろ書物すき候て写シ就中しんのものハ見事ニ見へ申候すき候得ハ
成ル事と存候由万右衛門咄被申候承申候而扨ハ拙者見申候しんハ見事ニ御座候
作事かと存候へハ右之通ニて見事見へ申候後ニ万右衛門被申候ハはだぎに
書付申候も御覧候へかななとよりハ能ク見へ申由申候事
一.
次ノ座ニ参候而咄居申候處へ上ノ座より吉田忠左衛門被参候而傳右衛門殿ハいつもいつもわかき者共と斗御咄被成候御年も皆共にさのミ替りも不仕候ニと被申候故
神以追付それへ可参と存候へ共先是ニ而咄しみ候てい申候と申候へハ忠左衛門いや
左様ニも無御座候惣体何も是へ参候事ハ内蔵助心ニ叶不申と存候へ共
此座ニ而御咄被成候を承申傳右衛門殿御こへ(声)仕候御咄可仕とて内蔵助其外之