太刀洗いの場
菊池市市民広場にある武光公の銅像
福岡県太刀洗町にある武光公の銅像(ネットより取得)
菊人形は鎧を模った花が十分に咲き揃っていませんが、これが咲き揃ったら見事な人形に仕上がることでしょう。
少し不満を言わして貰えば、武光公の面貌が凄惨な合戦に臨む武将の表情としてはリアリティに欠けるのではないか、もっと臨場感あふれる形相にしてほしかったということです。これではマネキン人形のようで迫力に欠けます。
「太刀洗いの場」というのは「筑後川の戦い」で武光公が血塗られた太刀を洗う場面のこと。筑後川支流の太刀洗川及び同町名はこの故事に由来すると言われています。この合戦は関ヶ原、川中島と並び称される日本三大合戦の一つで南北朝時代にあった合戦です。
菊池市の武光公銅像は平成に入って町興しのために建造されました。ところが太刀洗町にもあるのです。なぜなのか、同町教育委員会に問い合わせたら昭和12年の建造で趣意、目的などは当時の記録類がなく分からないということでした。
ここから先は私の個人的な考察で恐縮ですが、昭和12年といえばあの2・2・6事件の翌年であり、日本は日中戦争の泥沼にはまり込んで、軍部の独走が止められなくなっていた時代です。戦意高揚のために住民の意思などには頓着せず軍主導で建造されたのではないか。
南朝の忠臣であった菊池一族の顕彰碑があちこちに建造され始めるのもだいたいこの時期です。戦後軍国主義が否定されGHQの銅像追放令などにより関連の建造物が取り壊されますが、その時期を乗り越えて今日に遺ったのは、例えば萩市にある山県有朋像と同じく彫刻の見事さ、芸術的価値の故ではないかと思います。
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