これは膝栗毛初編に出てくる挿絵でこの場面の読み合わせはもっと先になるのですが、ブログの表紙に使っている絵でもありここで簡単に解説をしておきます。
まず、右側の2行の仮名書きのところがいわゆる変体カナで、翻刻したものを左にしめしました。古典落語に出てくる八っあん、熊さんたちはこれを読みこなしていたのですが、現代人には読めなくなっています。
この文章の前後の弥次・喜多の会話の掛け合いが面白く、初篇前半の山場になっています。その解説は読み合わせ会がそこに至ったときにしますが、左にある一九の句について説明をしておきます。
この句には季語がないので発句とは言わず連句のうちの長句と言われるものです。つまり575が長句でそれに続く77が短句です。これを百句連ねたものを百韻連句、36句で切り上げるのを歌仙と称しています。それにしてもひどい当て字ですね。これを現代文の表記に直せば
旅籠屋の湯風呂に浮かぶ風呂場かな
となります。当て字がひどいとおもうのは現代人の感覚であって古文書にこの種の当て字は珍しくありません。当時の人は音さえ合っていれば平気で当てていましたし、むしろ奇抜な文字をあてて得意がっていたような節もあります。たとえば「必多度・・ひたと」、「鳥渡・・ちょっと」のような例がすぐに思い浮かびます。
ところで、句の意味ですが、五右衛門風呂に入るのは弥次・喜多ともに初めての経験で入り方が分からずに、底板を蓋と間違えて取り除けて入ったために足にやけどをしてしまう。その後底板に乗って入ることを知って、丸くて狭い底板こそ風呂場だと洒落たわけです。
さて、長句の意味が分かってみれば付句も浮かんで来ようというものですが、あなたなら何と付けますか・・明日は箱根の山路をのぼらねばならないのに足に火傷をしているのですから、そこに想いを致して
箱根の山は足を曳きずり
と付けてみました。このあとは又長句が詠まれますが、それは今付けられた句から連想されるあらゆる場面事柄であって、箱根山に触発されて鈴鹿峠の場面に転換してもよく、また箱根の関所から遠く安宅の関へと転換して義経主従の悲劇へ発展させてもよいのです。こうやって百句つづけて行くと否応なしにその時代の時代相が浮き彫りになってきます。連句の面白さはそういうところにあるのですが、それはまた機会があれば取り上げます。
五右衛門風呂と言っても今の人にはイメージがわかないとおもいますので写真とイラストを載せました。
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