加藤公殯處碑
加藤清正公之薨也去今三百年其初殯于赤尾口
遂葬于中尾山後建一寺于殯處號曰静慶庵庵廃
而其地属熊本大林区署今其域中有壟冢是其遺
跡也方今玆四月大行公追遠祭請大旅区署修其
遺趾建碑其上以示昆去爾
明治四十二年四月 清正公三百年会建之
上熊本駅前から京町へ通じる急峻な登坂道があります。その中程左側に九州森林局があり、その敷地内の木立の中に碑が建っています。
碑面は苔むしてとても読める状態ではないので森林局からタワシとバケツを拝借して清掃、文字を浮かび上がらせて写真に撮り、家に持ち帰って上記のように翻刻しました。
この碑文に述べられている事柄を分かりやすく説明すると次のようになります。今より三百年前、ここ赤尾口において公の遺骸を荼毘に付し、遺骨を中尾山に葬った後、ここに一寺を建て静慶庵と号した。庵は廃れて今は塚が一つあるのみだが、その塚(壟冢)が殯處の跡である。
※ 参考までに清正公年譜の終わりの一項を記載しておきます。
慶長16年(1611)3月29日、豊臣秀頼に付き添い上洛。家康との対面に立ち会う(二条城の会見)。5月熊本へ帰る船中で発熱し、同月27日熊本へ帰着する。6月24日熊本城において逝去する。
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