相良佛飯講宛 一通
端書無之
今般 思召を以
御開山様御影被下置候間
難有安置有之弥法義
無油断被為相続
御本山御馳走可有之旨被
仰出候也
嶋田右兵衛尉
慶応三年卯年
六月廿七日 正誼 花押
肥後相良
北山講中
上の文書は京都の西本願寺から肥後相良北山講へ発給された文書です。日付は慶応3年とありこの時代人吉藩は浄土真宗は禁教でしたから親鸞上人の御影と文書は取り次ぎ寺である鮎帰り西福寺まで届けられました。
さて、文書と御影を秘密裏に現地の講中へ届けるのは慎重を要する作業であったに違いありません。講中の門徒とも相談の上、文書は西福寺が保管し、御影だけが講中へ渡されたものと思われます。御影は失われています。
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