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置不申嶋原之時分もわるきと人々申たる仁ニ而候事五百石より上ノ男ニ而
御座候つる
一.内蔵助ハ御預り之翌朝より髪をゆひ被申度由被申坊主衆之内ニ二三人
ゆい申もの有之ゆわセ申候残ル衆ハ二三日迄ゆわセ不申其夜之髪ニて
い被申候拙者申候ハ常ニ御ゆわセつけぬものニ御ゆわセ候ハいかにも心持しきもの
ニ而候得共久々其儘ニ而御座候よりハ下手ニ而も御ゆわセ被成候ハハ御心持能
可有御座申候申候得ハそれぞれより何もゆわセ被申候事
一.堀部弥兵衛被申候は津軽越中様ニ大石無人と申私同年七十八ニ罷成候前
かど古宗女方ニ勤い申唯今ハ津軽越中守様ニ大石郷右衛門とてセがれ
御知行被下御側御用人ニ而い申ものニかかりい申候今度私之志承候而右之
無人も同志と申候故扨々無分別御家も替り子ニ懸り居候而道理ニ叶
不申事と申候得ハ得心仕候御滞留中御障御座候刻御知ル人ニ被成御咄
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被成候得古キ事共能覚い申候と被申候故拙者申候ハ得其意申候定而名無人
と書可申候御名ニ而察申候御心安ク御語被成たる由或ル人御知ル人ニ成可申
と申候得共右之御屋敷本庄遠方殊ニ所も不存候間弥兵衛果被申候而後
尋候而罷越申候得ハ幸無人子息郷右衛門三平三人共ニ出被申候而色々馳走
ニ而ゆるゆると語悦被申候無人噺ニ弥兵衛ハ若キ時より心懸成るものニ而御座候
初而主取仕候時分使持方斗取候ニ早馬を持申と御家ニ唯今い被申候哉
斉藤勘助とハ古宗女所ニ児小姓傍輩ニ而勤居申候勘助親父又大夫大身
ニ而御家ニ罷出申故勘助ハ暇をもらい親一所ニ御家ニ参候と被申候故扨ハ左様
ニ而御座候や勘助ハとく果申唯今ハ孫の代ニ而無事ニ勤めい申由申候無人
被申候ハ泉岳寺ニ而今度一巻之もの共之刀ワき差諸道具掛物ニ成候由
承色々才覚仕調申候ものも御座候内蔵助着込御家之御伝衆御所望
被成御取被成候様承及申候誰様ニて御座候哉と尋被申候いかにも存候へ共
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自然所望被仕候而ハいかがと存候間越中守やしきも方々ニ御座候而侍共も方々
にい申候大勢之儀御座候へハ定而左様之儀も可有御座候しかと承不申候当分
私町屋敷ニい申候故泉岳寺ニ掛物有之と申候儀承候得共神以偽ニて可有御座候
併衣類様成ル類ニ而可有之哉武道具大小共に寺之宝物ニ成り其値
召置被申段々子孫有之候間所望被仕候ハハ定而子孫ラゆつり被申候心底ニ而
中々掛被申間敷と神以奉存候故才覚も不仕候其後承候而きもつぶし
申候扨々私共も武具大小ハ望ニ存候ニ残念至極と申候右之無人ハ大石内蔵助
なとも同名之由大石瀬左衛門大伯父之様承候内蔵助甲着込ハ去ル人泉岳寺
之法師に別而心安ク有之方々より定而望ニ可被存とて参候を拙者身申候随分
かくし被申ハ何方よりぞ所望被申理りのならぬ事も可有之とて右之趣ニ而
しのびの緒と内蔵助ニ歌頼申時分同シ様ニ弐枚調くれ被申候様冨森助右衛門
頼申候而被願弐枚調被申候内一枚ハ右之内蔵助しのびの緒ニ替へ遣申候
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後々ハ承被申候内蔵助ニ何とそ此歌かかせ置候得とて則歌も彼仁
下書仕くれ申され候拙者ハ神以心もつき不申候唯今存候へハ能クかかせ
置候と存候も右之仁之かげと存候事(歌内蔵助ニかかせ置候へと気つけ申候仁定読ニ而い被申候而名ハ書付不申後々知レ可申候入江又左衛門ニ而候)
一.助右衛門被申候ハ此方ニ参ル一両日各々様之たばこ参候にほい仕候間扨々何も
好物ニ而給度奉存候ニ其後何やかや段々之御馳走共誠以冥加ニ叶
たる儀水風呂も一人宛ニ而湯御かへさせ被成候事却而迷惑仕候大勢
入候湯やハらかに能ク御座候と被申候それゆへ後ハ二三人ニ而替さセ候
やう申付候毎度下帯なとも出シ申候へ共度々替申されす候由承候
事
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