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古文書のサイトらしく古文書を取り上げてみます。上の文書は江戸幕府より熊本藩細川家へ発給された所謂老中奉書といわれる文書です。文書の原本は細川家永青文庫に保管されている筈ですが、これは藩校時習館の物書き役をしていた家臣が写し取った写本の中にある一通です。(北川文書)
先ず翻刻をしてみましょう。
一 同(寛永十九年1642)七月十六日天草百姓之儀ニ付御老中より之奉書
一筆令啓上候 天草嶋原領 先年滅亡所ニ 今百姓無之 不作
之儀ニ候 然者領内百姓之内 親子 兄弟 五人も三人も有之候而
其所之田地不明 郷村より壱人宛 可遣候旨 被得其意 御奉公
之儀ニ候間 被差越尤ニ候 恐々謹言
七月十六日 安部対馬守
翻刻文を読めば意味は分かりますよね。天草嶋原の乱に加わった農民およそ37,000人は老幼男女の別なく全員が処刑され、彼らの居住していた村々は廃村となってしまいます。跡地を統治する幕府は流石にそのままにはできないので近隣諸藩へ入植者を入れるよう命じます。
これは命令であって任意の募集ではありません。「御奉公の儀」というのはそういう意味です。そこが前近代社会なのです。
ところが現代社会にあっても似たような事象はあります。例えば大企業の希望退職募集。表面上は募集なので退めたくなければ応じなくても良いかというと、かならずしもそうなっていない実情はいたるところで目にします。
日本社会は寛永の頃からさほど進歩していないとも言えますね。
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