気が重いよ…伊那篇

落ちるところまで落ちた男の日記

ソフトボール部出身です

2016-06-07 19:14:27 | 昭和レトロ
昭和58年3月卒業の男子ソフトボール部4期生


インターハイ(高校総体)の県予選の季節です。
昔は、もう少し遅くなかったですか?
いつも、7月の文化祭と重なっていたような記憶があります。
3年生の運動部の部活動って、下手したら5月に終わっちゃう訳ですよね。
なんか淋しくありません?

ここのところ、目を凝らして信濃毎日新聞のスポーツ欄を見ていました。
そう、母校伊那弥生ヶ丘高校・男子ソフトボール部の結果が知りたかったからです。
しかし、ついに見つけることが出来ませんでした。
弥生高のソフト部が無くなることは、まず考えられません。
では、唯一の対戦相手 飯山(飯山北)高が廃部したのか?
余計なことを勘ぐってしまいました。



今日、ネットで確認したら、ちゃんと2校とも存在し、決勝戦?を行っていました。
7―5で弥生高が優勝していましたね~。
おめでとうございます。
でも、他競技のように長野県大会で優勝してもインターハイには出られないのです。
まあ、優勝と言っても1勝しただけですからね。
この後、北信越総体で上位に食い込まないと、本番に行けません。



実は、私も弥生高の男子ソフトボール部のOBであります。
中学校で運動部の経験が無いのに、遊びのソフトのイメージで入部してしまいました。
3年間背番号2。
正捕手?凄いじゃん。
違います。
1年時の正捕手は、3年生の主将で背番号10。
2年時の正捕手は、3年生の主将で背番号10。
3年時の正捕手は、私と同じ3年生の主将で背番号10。
(主将が背番号10番を付ける決まりです)
つまり、私が正捕手では頼り無く、当時の主将たちが他ポジションから、捕手へコンバートして来たのでありました。
屈辱ですがしょうがありません。
私の実力が無いのですから。
(甲子園球児から社会人野球へ進み、高校野球監督の経験もある親父からは酷く叱責されましたが---)

私たちの頃(35年ほど前)は、男子ソフトボールも南信予選があったのです。
上伊那農業高・天竜光洋高(現松川高)等にソフト部がありましたよね。
県大会に進むと、小海高・上田高・上田染谷丘高等強かったです。
弥生高は、毎年決勝に駒を進めるのですが、なぜか準優勝でした。
今年も女子の部で優勝し、インターハイ行きを決めた篠ノ井高・鈴木秀典監督でさえも、弥生高エースだった2年3年時、準優勝止まりでした。
私たちの頃は、長野県大会で優勝すれば、インターハイへ行けたのです。

後輩たち、北信越総体、頑張ってください。
そして、インターハイへ行くんだ!


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