台風10号、大したこと無かったなぁと思いながら、送り盆のために実家へ行きました。
そしたら、実家のお向かいにある廃工場(昔、祖父・親父が会社を経営)に隣接の車庫の屋根がひどいことになっていました。
車庫の屋根は波板を釘で留めた簡易なもの。
台風の強風により、何枚もめくれ上がっていました。
あ~、台風のたびにこうなります。
いい加減、根本的に何とかしないとね。
そう言えば、昨日、NHKのあるバラエティ番組を見ていたら、女優の「伊原六花」が登場。
伊原六花というのは、朝ドラ「なつぞら」に於いて森田桃代という役名で、奥原なつ(広瀬すず)の親友を演じている20歳の女優さんです。
この人、なつぞらに出始めた頃から、「どこかで見たことあるなぁ---」と思っていました。
でも、思い出せません。
見ていたそのバラエティ番組で、答えを教えてくれました。
それは、2年前にダンス高校日本一になった「大阪府立登美丘高校ダンス部」のセンターで踊っていたその人でありました。
つまり、登美丘高校ダンス部キャプテンだった人。
当時、NHKを始めテレビに出まくっていましたからね。
バブリーダンスという激しい踊りで、荻野目洋子とコラボして、「ダンシング・ヒーロー」生歌のバックでも踊っていました。
そうそう、この顔この顔。
あれから、スカウトされ女優デビューし、僅か2年で朝ドラに出ちゃったんだ~---。
凄いですね。
続いて、本日のこと。
盆休み中、ヒマなのでたびたび「YouTube」を見ています。
私が見るのは、自主制作のグルメ番組ばかり。
長野県在住のtekitouさん制作「かつ丼チャンネル」は、最高ですね。
私と好みがピッタンコ。
あと、好きなのが「彩豪ちゃんねる」。
元十両の彩豪(当時中村部屋)が、相撲部屋のちゃんこ料理を教えてくれる番組です。
大きなグローブのような手で、器用に野菜を切ったり、煮炊きする姿に感動ですよ。
元力士にしては珍しく、言葉遣いも丁寧。
この彩豪ちゃんねるを見ると、1回で番組のファンになります。
しかし、彩豪が十両にいた頃のことを私は覚えていないのですよ。
で、本日早速、ウィキペディアのお世話になりました。
「彩豪一義(さいごう かずよし)、1975年9月7日-2019年4月6日---」。
えっ!?
故人なの?
しかも、亡くなったのは僅か4ヶ月前。43歳没。
驚きましたね。
長くなるので詳しくは書きませんが、大相撲を退いた後も、物凄く相撲に熱い人だったようです。
大相撲さいたま巡業の勧進元を何回も務めていたそうですよ。
それから、100年後の国技を守るため、全国の壊れた土俵を直す【彩豪プロジェクト】を始動。
彩豪チャンネルの広告収入すべてをそのプロジェクトに充てることにしたそうです。
しかし、その発表の翌日に倒れ、亡くなってしまいました。
でもね、ちゃんと意思を引き継いだ人たちがいるのです。
皆さん、YouTubeの彩豪チャンネルを見て、協力しましょう!
そしたら、実家のお向かいにある廃工場(昔、祖父・親父が会社を経営)に隣接の車庫の屋根がひどいことになっていました。
車庫の屋根は波板を釘で留めた簡易なもの。
台風の強風により、何枚もめくれ上がっていました。
あ~、台風のたびにこうなります。
いい加減、根本的に何とかしないとね。
そう言えば、昨日、NHKのあるバラエティ番組を見ていたら、女優の「伊原六花」が登場。
伊原六花というのは、朝ドラ「なつぞら」に於いて森田桃代という役名で、奥原なつ(広瀬すず)の親友を演じている20歳の女優さんです。
この人、なつぞらに出始めた頃から、「どこかで見たことあるなぁ---」と思っていました。
でも、思い出せません。
見ていたそのバラエティ番組で、答えを教えてくれました。
それは、2年前にダンス高校日本一になった「大阪府立登美丘高校ダンス部」のセンターで踊っていたその人でありました。
つまり、登美丘高校ダンス部キャプテンだった人。
当時、NHKを始めテレビに出まくっていましたからね。
バブリーダンスという激しい踊りで、荻野目洋子とコラボして、「ダンシング・ヒーロー」生歌のバックでも踊っていました。
そうそう、この顔この顔。
あれから、スカウトされ女優デビューし、僅か2年で朝ドラに出ちゃったんだ~---。
凄いですね。
続いて、本日のこと。
盆休み中、ヒマなのでたびたび「YouTube」を見ています。
私が見るのは、自主制作のグルメ番組ばかり。
長野県在住のtekitouさん制作「かつ丼チャンネル」は、最高ですね。
私と好みがピッタンコ。
あと、好きなのが「彩豪ちゃんねる」。
元十両の彩豪(当時中村部屋)が、相撲部屋のちゃんこ料理を教えてくれる番組です。
大きなグローブのような手で、器用に野菜を切ったり、煮炊きする姿に感動ですよ。
元力士にしては珍しく、言葉遣いも丁寧。
この彩豪ちゃんねるを見ると、1回で番組のファンになります。
しかし、彩豪が十両にいた頃のことを私は覚えていないのですよ。
で、本日早速、ウィキペディアのお世話になりました。
「彩豪一義(さいごう かずよし)、1975年9月7日-2019年4月6日---」。
えっ!?
故人なの?
しかも、亡くなったのは僅か4ヶ月前。43歳没。
驚きましたね。
長くなるので詳しくは書きませんが、大相撲を退いた後も、物凄く相撲に熱い人だったようです。
大相撲さいたま巡業の勧進元を何回も務めていたそうですよ。
それから、100年後の国技を守るため、全国の壊れた土俵を直す【彩豪プロジェクト】を始動。
彩豪チャンネルの広告収入すべてをそのプロジェクトに充てることにしたそうです。
しかし、その発表の翌日に倒れ、亡くなってしまいました。
でもね、ちゃんと意思を引き継いだ人たちがいるのです。
皆さん、YouTubeの彩豪チャンネルを見て、協力しましょう!