気が重いよ…伊那篇

落ちるところまで落ちた男の日記

木村筆之助没後35年

2019-08-19 17:51:01 | 鶴竜・御嶽海&大相撲


5年前、「木村筆之助没後30年」という記事を書きました。
木村筆之助というのは、長野県伊那市出身の元幕内格行司であります。
本名は、田畑啓。生家は、伊那市荒井にある映画館「旭座」であります。
今でも、「YouTube」を見ると、木村筆之助の行司裁きを見ることが出来ます。
しかし、それは晩年に糖尿病を患った後のもの。
いわゆる、力士に巻き込まれて転倒するシーンを珍プレーとして流しています。
本当は、病気さえなかったら、式守伊之助くらいまでは行っていた立派な行司なのです。



行司の師匠は、名行司と謳われた長野県出身の初代・木村今朝三(最高位・三役格)です。
この木村今朝三という行司、行司と親方(錦島)の二枚監察でした。
後に、行司を引退し親方専任で理事にまでなった方であります。
木村筆之助も、約3年間、後を継いで2代目・木村今朝三を名乗っておりました。
木村筆之助が最終的に所属していたのは、同じ時津風一門の伊勢ノ海部屋。
伊勢ノ海部屋と言ったら、横綱・柏戸です。
地方巡業では、柏戸の秘書役として、良く行動を共にしていました。
そして、部屋の師匠は伊勢ノ海理事。
横綱を育て上げ、協会の要職を数々歴任されていた凄い親方です。
当然、親方のサポートも行っていた訳ですから、頭脳明晰でなければ務まらないのであります。
また、式守勝治という行司、場内アナウンスが上手い行司でした。
後の与太夫・伊之助・第34代木村庄之助です。
彼は、木村筆之助の最後の弟子にあたります。



5年前、結構色んな相撲書籍や相撲雑誌のバックナンバーで、木村筆之助のことを調べて書きました。
どなたかが、そのブログを読んでウィキペディアに加筆された形跡もございます。
もはや、没後35年も経過すると、一幕内格行司について調べることは素人には大変困難なのであります。



さて、昨日のことです。
福岡市のSさんという方から、突然メールを頂きました。
私のブログ「木村筆之助没後30年」を検索で見つけてくれたそうです。
Sさんのメールの内容が凄いのです。
「私が小学生から高校生の頃まで、九州場所がある11月になると、木村筆之助さんと善之助さん(※池田貢氏)がよく自宅に来られていました。懐かしくメールします。父が相撲好きで、庄之助さん(髪の長い方※24代)も来られたことがありました。筆之助さんは大変、人格者で立派な人でした」。
ビックリしました。
こういう生の情報がまだ眠っているのですね。
後で詳しく伺いましたが、木村善之助(池田氏)は、なんとSさんの自宅離れを九州場所の住まいとしていたそうです。



「筆之助さんは、福岡市博多区のブラジレイロという喫茶店が大のお気に入りで、あそこのコーヒーが最高だと言われていました。昨日、その近くへ行きましたので、写真を撮りました」。
Sさん、どうもありがとうございました。
木村筆之助は、やっぱり人格者でありました。
この、「ブラジレイロ」で、ゆっくりコーヒーを飲む在りし日の木村筆之助を想像しながら、5年振りの特集を終わります。

(文中敬称略)

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