とっつきづらい哲学や心理学の内容を、出来るだけわかりやすく完結に お伝えすることを目的としたチャンネルです。
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ジャン=ポール・サルトルは、1905年、フランスのパリに生まれました。 3歳の頃に右目がほとんど見えなくなったことが原因で、 ほぼ左目のみで読み書きをしていたと言います。 1924年、パリ高等師範学校に入学し、そこでメルロ=ポンティなどと出会います。 1931年に高等中学校(今でいう高校)の教師となり、 想像力の実験のために幻覚剤を自分に注射して一昼夜甲殻類に体を這い回られる幻覚を見たり 友人のレイモン・アロンの影響でフッサールの現象学に出会ったりしながら、 33歳のときに【嘔吐】を出版し、一躍脚光を浴びます。 その後も【存在と無】に代表される哲学書や、 【自由への道】に代表される文学作品を数多く執筆し、 1964年にはノーベル文学賞に選ばれるも、これを辞退します。 内縁の妻は女性解放活動で有名なシモーヌ・ド・ボーヴォワールで、 サルトルの実存主義の立場から、双方の自由を尊重して お互いの性的自由を認めた契約を結んでいたと言われています。 サルトルは、実存主義を、 【無神論的実存主義】と【キリスト教的実存主義】に二分しました。 無神論的実存主義者は、サルトルを始め、ハイデガーやニーチェなどが挙げられます。 キリスト教的実存主義者は、キルケゴールやヤスパースですね。 サルトルは人間の実存に対して、ハイデガーと同じように 『人間はこの世に生を受けた瞬間には何の意味も目的も有していない』 と考えました。 最初に人間が持っているのは【自由】という実存のみで、 本来的に自由な人間は、本質(自己)を後から自分で作らなければならない。 このことを表すのが【実存は本質に先立つ】という有名な言葉です。 つまり、人間は最初から実存的なオンリーワンの存在なんだけど、 本当の自分はその後に努力をして自分で見つけていかないといけないんだよ。 と言っているわけですね。 このような存在のことを【対自存在】と呼びます。 一方で、物事や事物などただそこにあるだけの存在のことを【即自存在】と呼びます。 例えば、ハサミは紙を切るために存在しています。 まれに人を刺したり、ゾンビと戦ったりすることに使われるかもしれませんが、 本来の目的は紙を切ることと設定されているはずです。 しかし、人間はこのように、作られた(とあえて対比させます)瞬間に 『何かをするもの』という定義が決まっていません。 このことをサルトルは『あるところのものでなく、あらぬところのものである』 などと表現しました。 だからこそ、人生の意味を後付けしていかないといけないわけですね。 彼は、人間は本来的に自由であると言います。 この自由とは『何でもして良い』という楽観的な自由ではなくて、 全てのことについて、自分で選び取っていかないといけない。という責任を伴った自由です。 自由と責任の問題は現在でも盛んに議論されています。 サルトルも、自由にはそれと同等の責任が伴うと考えました。 しかも、人間は本来的に一人一人が違う実存を持っていますから、 自分の責任を他者と分け合うことはできません。 つまり、人間は目の前にある自由を自分で選択をして生きていかねばならないが その選択には責任が付き纏い、そしてそれは共有のできない孤独な作業でもある。 人間に与えられた自由は、苦痛であり、孤独なものだと言うんですね。 このことを彼は 【人間は自由の刑に処されている】と表現しました。 確かに、何が正解かわからないまま自由という大海原に投げ込まれて 「ほら、選びなさい」と言われ、その中から何かを選び 「自分で選んだから文句は言うなよ」と責任を負わされるのはなかなかしんどいですよね。 例えば、新卒で企業に入社して、誰からも何も教えてもらえず、 やりたいことを好きにやっていいよ。でも全責任は君にあるからね。 と言われたら、体が強張って行動できなくなるかもしれません。 まさに自由の刑。 とは言え、それでも自分の本質を見つけるためには、 絶対的に行為が必要です。 自由から逃れて、何もしないのでは本質に触れることすらできません。 サルトルは、自由をこのような性質とした上で、 それでもその責任と向き合って、 社会参加しなくてはならないと言います。 今自分の目の前に広がる自由の中から生き方を選択し、 その人生に自分を【拘束】して積極的に社会参加する。 この概念を【アンガージュマン】と呼びます。 実際に彼は、自らに課したアンガージュマンとして、 ベトナム反戦運動やアルジェリア独立闘争に参加しています。 また、そのように社会参加していく中で、マルクス主義に傾倒したこともあり それが原因でメルロー=ポンティやアルベール・カミュなどと決別することにもなりました。 同様に、サルトルのこの思想に世の中は熱狂し、 政治や歴史への積極的な参加を強く促す要因になりました。 これが日本の安保闘争などに影響を与えることになるのです。 ヘーゲルが歴史の弁証法を提唱し、世界の行く末を暗示し キルケゴールがその歴史に埋もれた個人に再度光を当て、 ハイデガーやフッサールの思想に共感したサルトルが、 個人を重視した思想で、また歴史への干渉を推奨する。 このようにして実存主義は隆盛を極めます。 しかし、世界を熱狂させた実存主義も、 その後に現れる構造主義によってその勢いを弱めていきます。 構造主義が現れるのは1960年代です。 古代ギリシャから追ってきた西洋哲学の歴史も、 いよいよ我々が生きる時代に突入することとなります。
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