5000円札は津田塾大学の創始者、津田梅子だそうですが、岩倉遣外使節団と共に渡米したことしか知りません。
もう少し見てみましょう。
朝日日本歴史人物事典の解説
津田梅子
没年:昭和4.8.16(1929)
生年:元治1.12.3(1864.12.31)
女子英学塾(津田塾大学)創立者。
幕末の農学者津田仙,初子夫妻の次女。東京出身。
明治4(1871)年日本最初の女子留学生として岩倉遣外使節団と同じ船で渡米,船中で満7歳の誕生日を迎える。
ジョージタウン(現ワシントンD.C.)のランマン家に約11年滞在,ピューリタンの気風の中で育ち受洗。文学,美術の薫陶を受ける。
15年帰国。同時に留学した親友山川捨松,永井繁子が相次いで結婚するなか,愛なき結婚を拒み,女性の教育を天職と決め,約3年間の待機の末,18年華族女学校創立と同時に伊藤博文の推薦で英語担当教授となる。
22年より3年間米国ブリンマー大学に留学,生物学を修める。
31年アメリカ経由で渡英,女子の高等教育機関を視察,オックスフォード大学で英文学,倫理学などを受講。
33年華族女学校を辞任,良妻賢母が標榜されるなか「知性と性格の力を備え,自分で思考できる女性」を育てる目的を掲げ,女子英学塾を開校。
英語教本,教材の出版のほか,アメリカの新聞に日本の女性と教育を論じた記事を多数寄稿。また都合5回の米・英滞在を通じ国際交流に貢献した。
武士の娘の誇りとキリスト教の奉仕の精神を終生持ち続け,自らの経験を生かし日本女性の知的解放に尽くした。
<参考文献>古木宜志子他編《The Writings of Umeko Tsuda》(改訂版),吉川利一『津田梅子伝』,山崎孝子『津田梅子』,Furuki 《The White Plum: A Biography of Ume Tsuda》,古木宜志子『人と思想・津田梅子』
(古木宜志子)
もう少し見てみましょう。
朝日日本歴史人物事典の解説
津田梅子
没年:昭和4.8.16(1929)
生年:元治1.12.3(1864.12.31)
女子英学塾(津田塾大学)創立者。
幕末の農学者津田仙,初子夫妻の次女。東京出身。
明治4(1871)年日本最初の女子留学生として岩倉遣外使節団と同じ船で渡米,船中で満7歳の誕生日を迎える。
ジョージタウン(現ワシントンD.C.)のランマン家に約11年滞在,ピューリタンの気風の中で育ち受洗。文学,美術の薫陶を受ける。
15年帰国。同時に留学した親友山川捨松,永井繁子が相次いで結婚するなか,愛なき結婚を拒み,女性の教育を天職と決め,約3年間の待機の末,18年華族女学校創立と同時に伊藤博文の推薦で英語担当教授となる。
22年より3年間米国ブリンマー大学に留学,生物学を修める。
31年アメリカ経由で渡英,女子の高等教育機関を視察,オックスフォード大学で英文学,倫理学などを受講。
33年華族女学校を辞任,良妻賢母が標榜されるなか「知性と性格の力を備え,自分で思考できる女性」を育てる目的を掲げ,女子英学塾を開校。
英語教本,教材の出版のほか,アメリカの新聞に日本の女性と教育を論じた記事を多数寄稿。また都合5回の米・英滞在を通じ国際交流に貢献した。
武士の娘の誇りとキリスト教の奉仕の精神を終生持ち続け,自らの経験を生かし日本女性の知的解放に尽くした。
<参考文献>古木宜志子他編《The Writings of Umeko Tsuda》(改訂版),吉川利一『津田梅子伝』,山崎孝子『津田梅子』,Furuki 《The White Plum: A Biography of Ume Tsuda》,古木宜志子『人と思想・津田梅子』
(古木宜志子)