昨日の朝刊は、おもしろいニュースが飛び込んできました。
奈良県桜井市の前方後円墳、桜井茶臼山古墳(3世紀末~4世紀初め、全長200メートル)で、少なくとも13種、81枚の銅鏡が副葬されていたことが鏡片からわかったからです。
共同通信系の記事には「国内最多、銅鏡81枚を副葬 奈良・桜井茶臼山古墳」と数を問題にしていました。
一歩踏み込んでいたのは、読売新聞です。
「大王墓 鏡の宝庫、卑弥呼時代照らす文字…桜井茶臼山古墳」と「卑弥呼」を見出しに持ってきました。
みなさんもご存じのように、邪馬台国は九州説か機内説かで論争が行われてきました。
あの新井白石が大和説ののちに九州説を、本居宣長も九州説を唱えていました。
吉野ヶ里遺跡発見の頃は、邪馬台国は九州説が有利でした。
しかし、「ゴッドハンド」事件以後、科学的な考古学が中心となり、情勢は変わってきました。
年輪年代測定法などにより、近畿地方の歴史が古くなったからです。
そして、纒向遺跡は、広大な面積をもつ都市遺跡であり、卑弥呼の時代と重なるのです。
その中の箸墓古墳は、卑弥呼が亡くなったとされる247年頃と年代が合い、卑弥呼の墓ではないかと推測されているのです。
読売新聞の記事を引用します。
----以下引用-----
「ここまで一致するものか」――。わずか約2センチ大の銅鏡片に刻まれた「是」の1文字。昨年7月、鏡の破片の3D計測を担当した県立橿原考古学研究所の奥山誠義・主任研究員は驚いた。蟹沢古墳(群馬県高崎市)で見つかった「正始元年陳是作」という銘文入りの鏡の「是」の文字と、ぴたりと一致したのだ。
----引用終わり----
(写真はMSN産経ニュースから引用)
すごい技術です。科学的な分析で、この銅鏡こそが、卑弥呼が魏の皇帝から賜った銅鏡の1枚であることがわかったのです。
それに対して、九州では、銅鏡はほとんど見つかっていません。
邪馬台国機内説は、俄然有利になりました。
しかし、九州説側の反論も始まっています。
今後の議論がますます楽しみです。
奈良県桜井市の前方後円墳、桜井茶臼山古墳(3世紀末~4世紀初め、全長200メートル)で、少なくとも13種、81枚の銅鏡が副葬されていたことが鏡片からわかったからです。
共同通信系の記事には「国内最多、銅鏡81枚を副葬 奈良・桜井茶臼山古墳」と数を問題にしていました。
一歩踏み込んでいたのは、読売新聞です。
「大王墓 鏡の宝庫、卑弥呼時代照らす文字…桜井茶臼山古墳」と「卑弥呼」を見出しに持ってきました。
みなさんもご存じのように、邪馬台国は九州説か機内説かで論争が行われてきました。
あの新井白石が大和説ののちに九州説を、本居宣長も九州説を唱えていました。
吉野ヶ里遺跡発見の頃は、邪馬台国は九州説が有利でした。
しかし、「ゴッドハンド」事件以後、科学的な考古学が中心となり、情勢は変わってきました。
年輪年代測定法などにより、近畿地方の歴史が古くなったからです。
そして、纒向遺跡は、広大な面積をもつ都市遺跡であり、卑弥呼の時代と重なるのです。
その中の箸墓古墳は、卑弥呼が亡くなったとされる247年頃と年代が合い、卑弥呼の墓ではないかと推測されているのです。
読売新聞の記事を引用します。
----以下引用-----
「ここまで一致するものか」――。わずか約2センチ大の銅鏡片に刻まれた「是」の1文字。昨年7月、鏡の破片の3D計測を担当した県立橿原考古学研究所の奥山誠義・主任研究員は驚いた。蟹沢古墳(群馬県高崎市)で見つかった「正始元年陳是作」という銘文入りの鏡の「是」の文字と、ぴたりと一致したのだ。
----引用終わり----
(写真はMSN産経ニュースから引用)
すごい技術です。科学的な分析で、この銅鏡こそが、卑弥呼が魏の皇帝から賜った銅鏡の1枚であることがわかったのです。
それに対して、九州では、銅鏡はほとんど見つかっていません。
邪馬台国機内説は、俄然有利になりました。
しかし、九州説側の反論も始まっています。
今後の議論がますます楽しみです。
11月のわが校発表会の記事から飛んできました。(自分中3ですが、2時間目に社会の学習を公開しました☆)
邪馬台国は、九州説が有力だと思っていたし、1年生のときの社会の先生も多分、九州じゃないかな?って言っていただけにビックリしました。
もしかしたら実は邪馬台国は、奈良にあったなんて事になるかもしれませんね!
今後どうなるのか楽しみです!!