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プロジェクトJAPAN シリーズ 日本と朝鮮半島-1-

2010-04-19 06:11:35 | 社会科こぼれ話
第1回 韓国併合への道 伊藤博文とアン・ジュングン

NHKらしい大型の映画です。

まずは、ホームページから見てみましょう。

---------以下引用----------

1910年の韓国併合から100年になる。日露戦争後の世界で日本はどのようにして大韓帝国を併合したのか。その後35年に及ぶ植民地支配や、戦時動員の実態はどのようなものだったのか。さらに戦後の関係改善はどのように行われていったのか。5回シリーズで日本と朝鮮半島の100年の歩みに迫っていく。

第1回は、1910年の韓国併合。その歴史的評価をめぐって、今も日韓の間で議論を呼んでいる。その中心人物・伊藤博文について、最近、新資料が発掘された。伊藤は欧米列強との協調を重視し、一種の「自治植民地」も構想していたというのだ。

しかし、1905年、日露戦争の勝利を受けて、伊藤が韓国を保護国化した第2次日韓協約を結ぶと、大韓帝国皇帝・コジョン(高宗)と対立する。1907年、コジョンはオランダ・ハーグで開かれた万国平和会議に密使を派遣。協約が自らの意志に反すると訴えようとした。しかし、英米だけでなく、議長国ロシアも外交方針を転換、日本と協約を結んでいた。

このハーグ密使事件を機に、伊藤がコジョンを退位させると、激しい義兵闘争が起こる。そして、1909年、伊藤はアン・ジュングン(安重根)により、ハルビンで暗殺された。アンは獄中で「東洋平和論」を執筆、韓国、清、日本が「みな自主独立して行くこと」を考えていた。しかし、日本は韓国併合から大陸進出へと歩み出していった。

伊藤博文とアン・ジュングン、二人の軌跡を新資料で描き、韓国併合への道を国際的な視点から明らかにする。

--------引用終わり--------

ロシアとの戦争を避けたい、日英同盟から日露戦争に至る過程での伊藤博文の葛藤。
アン・ジュングンが日露戦争での日本の勝利を喜んでいたこと。
伊藤博文も韓国の自治を考えていたこと。

当時生きた人ならではの、なるほどという思いが随所に伝わってきました。

歴史というと大きな感じがしますが、そのパーツ特定の人の判断で動いているのです。

その特定の人とは、実は、我々と同じような人間なのです。

見所の多い番組でした。
次回も期待しましょう。

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