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【関連した過去動画】 西洋哲学史 古代ギリシャ哲学解説【プラトン】① 〜イデア論・善のイデア〜 https://youtu.be/cbAuGHu64ao 西洋哲学史 古代ギリシャ哲学解説【プラトン】③ 〜国家における魂の三分説・哲人政治〜 https://youtu.be/GkUvS4A-Z6M 【オススメ書籍】 国家 上 (岩波文庫) https://amzn.to/3cNHEMY 饗宴 (岩波文庫) https://amzn.to/2zeF3wP とっつきづらい哲学や心理学の内容を、出来るだけわかりやすく完結に お伝えすることを目的としたチャンネルです。 チャンネル登録、高評価、拡散、ぜひぜひ宜しくお願いいたします。 Twitter https://twitter.com/tetsugaku_ch ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー こんにちは。哲学チャンネルです。 今回は前回のイデア論と善のイデアの解説を受けて、 【洞窟の比喩】と【魂の三分説】について解説をします。 とても面白い考え方ですので、 ぜひ最後までお付き合いいただけると幸いです。 それでは本編にまいります。 ・洞窟の比喩 プラトンは何かの説明をする際に、良く比喩を用いました。 その中でも特に秀逸なのが【洞窟の比喩】です。 この比喩により、イデア論と善のイデアを追求する必要性について かなり理解が進むと思います。 地下にある洞窟に囚人たちが住んでいます。 彼らは生まれた時から手と足を縛り付けられていて、 洞窟の壁しか見たことがありません。 彼らの後方には煌々と火が灯っていますが、 彼らは後ろを向けないのでそれを確認することができません。 そして、囚人と火の間には衝立が設けてあり、 その上から人形を出して動かすと、 洞窟の壁に人形の影が映ります。 囚人はその映された影しか見ないで生活をしていますから、 その影こそが本当の存在だと思い込んでいます。 そして、その影の動きを分析したりしてそこに法則性などを 見つけた囚人が周りから称賛されたりしています。 ある日、囚人の一人が拘束を解かれ、後ろを振り向くように言われます。 囚人は後ろを振り向いたものの、火の光に慣れていないため、 あまりに眩しすぎて振り向くのをやめ、また壁を見続ける生活に戻ります。 しかし、この状況で、無理やり囚人の手を引っ張って、 洞窟の外に連れ出したらどうなるでしょうか? 囚人は最初は太陽の光に圧倒され、目すら開けられない状況に驚きますが、 次第に光に慣れてきて目の前に広がる圧倒的な光景に 感動を覚えるはずです。 そして、そこで初めて自分が今までに見ていたものが単なる影だったことに 気づくのです。 囚人はその気づきを得たことを幸運に感じるとともに、 洞窟に残された囚人たちのことを哀れに思うようになります。 その後、囚人は洞窟に戻ります。 しかし、外の光に慣れてしまった目は洞窟の中の影をうまく捉えられなく なってしまっていました。 周りの囚人からは「あいつは外に出て狂った挙句、目も悪くなっている」 と馬鹿にされます。 仮にその状況で他の囚人を外に連れて行こうとするならば、 激しい抵抗にあうのは目に見えています。 そうして外の世界を知った囚人も、影の世界にまた慣れて、 周りと同じような生活を送らないといけなくなるのでした。 これが、洞窟の比喩です。 これが何を表しているかは解釈によって変化するのですが、 イデア論の比喩として捉えると以下のようになります。 太陽=善のイデア 人形=イデア 影=現実世界の存在 囚人=現世の人々 外に出た囚人=ソクラテス 私たちの世界で目にしているものは全てイデアのコピーであり そのイデアはイデア界という私たちの世界とは別世界に存在している。 その世界を司っているのは善のイデアである。 これがわかりやすく比喩されているわけですね。 そして、私たちの中には善のイデアに限りなく近づいた賢者がいて その賢者が善のイデアについての気づきを与えようと努力するけど 目が眩んだ現世の人々にはなかなか理解してもらえず、 ついには処刑されるまでに至ってしまった。 そのように解釈すると、洞窟の比喩には プラトンのソクラテス処刑に対する恨みが含まれていると考えることもできます。 プラトンはこの比喩を通して、 善のイデアに近づく必要性と、そのためには直接的な視点ではなく 認識のレベルを上げて物事をとらえる必要がある。 と主張したかったと考えることができます。 ・魂の三分説 これまでの話の通り、プラトンは『魂』というものを 重視して思考の展開をしていきました。 そして善のイデアに恋い焦がれる魂は3つの区分に分けられると説いたのです。 まず第一の性質は【節制】であり欲望的部分とも表されます。 その魂は腹に存在すると考えました。 次に第二の性質は【勇気】であり気概的部分とも表されます。 その魂は胸に存在すると考えました。 最後に第三の性質は【知恵】であり理知的部分とも表されます。 その魂は頭に存在すると考えました。 このようにして、人間には3種の魂が存在していて、 それぞれがそれぞれの行動と意思を持っていると考えたのです。 有名な馬と従者の比喩があります。 従者【気概的部分】は善のイデアに向かって進もうとしています。 しかし馬A【欲望的部分】はあらぬ方向へ進もうとします。 馬B【理知的部分】は従者に従おうとしますが、 馬A【欲望的部分】が暴れ回るものだからなかなかうまく行かない。 従者【気概的部分】は何度も馬A【欲望的部分】に鞭をうち なんとか善のイデアに向かって進んでいく。 そしてこの進んでいる道そのものを【正義】と呼ぶわけです。 ソクラテスの解説で【四元徳】という言葉が出てきましたが、 これがまさにその話ですね。 3つの魂が司る【節制・勇気・知恵】と それが調和して発現される【正義】の4つの徳を持つことが 人間が幸せに生きる秘訣だとソクラテスは説いていました。 まさに四元徳を魂の立場から説明したのが 魂の三分説であり、従者と馬の比喩なのです。 そして、プラトンはこれと全く同じことが 国家にも言えると考え、国家の仕組みについても 言及していくこととなります。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー