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6月9日は新聞休刊日

2014-06-09 05:21:21 | 社説を読む
6月9日は新聞休刊日なので、昨日のコラムを紹介します。

朝日新聞
・ 結婚式の2次会のように華やいでいた。5日夜、東京の表参道近くのカフェで開かれたパーティー。ドレス姿の女性たちが笑いさざめく。タキシードを着た男性の巨大な蝶(ちょう)ネクタイがおかしい

▼催したのは「明日の自由を守る若手弁護士の会」、略称「あすわか」の面々だ。メンバーが書いた『これでわかった! 超訳 特定秘密保護法』の出版を記念して集まった。その趣旨の真面目さと、楽しい雰囲気との落差に斬新な感じを受ける

▼もともと憲法を考える会として昨年1月に発足した。再び登場した安倍政権の下で改憲が実現してしまうのでは、という危機感からである。その半年程前に母親になっていた共同代表の黒澤いつきさん(33)が振り返る。「このままでは子どもを守れないと突き動かされた」

▼護憲を言い立てるのではない。自民党の改憲草案の中身を多くの人々に知らせ、議論の土壌を耕すことをめざす。「知憲(ちけん)」だ。国民が国家権力を縛るはずの憲法を、権力が国民を縛る道具へと逆立ちさせる。そんな自民案の危うさをソフトに伝える

▼メンバーは320人を超えた。特定秘密法、集団的自衛権とテーマも広がる。目を引くのは学習会などの活動での女性会員の働きだ。「とりわけ母親」と黒澤さん。深刻さを笑顔とユーモアで包み、おしゃれに扱うのが、あすわか流だ

▼主権者としてのアンテナを研ぎ澄まし、権力にとって「めんどくさいヤツ」であり続ける――。彼らの決意は民主主義の真骨頂を示している。


毎日新聞
・夏目漱石の「三四郎」に「ストレイシープ」という言葉が出てくる。大学進学のため田舎から上京して淡い恋に悩む主人公、その相手であり自らの生き方を模索するヒロイン。そんな2人の惑いを象徴する言葉として物語に陰影を与えている

▲ストレイシープは英語で「迷える羊」を意味し、イエス・キリストが神を牧人に、導かれる大衆を羊に例えて言ったものだそうだ。聖書では「原罪」を負う「罪人」という意味もあるらしい。確かに私たちは右へ行くか左へ行くか、進むか退くか、迷い悩む毎日を暮らしている

▲今、右か左か後ろか前か、いずれとも決めかね進退窮まっているのが農林水産省である。国営諫早湾干拓事業(長崎県)を巡り、佐賀地裁が排水門を開かなければ毎日49万円の制裁金を払えと命じ、福岡高裁も追認した。一方、長崎地裁は開門したら同額の制裁金を科すという決定を下したのだ

▲排水門を開けてきれいな海を取り戻したい漁業者と、開門によって干拓地が損なわれることをおそれる入植農業者との対立が、泥沼の訴訟合戦に発展してしまった。農水省はその板ばさみになった格好だ

▲しかし、もともとの原因はコメ増産という当初の目的が失われたにもかかわらず、干拓事業を続けた農水省にある。公共事業の完成に向け、羊のように迷うことなくイノシシのように猛進したツケが回ってきたわけだ

▲漁業者と農業者の対立に手をこまねき、事態をこじらせた農水省は「迷える羊」というよりも、むしろ「罪人」に近いのではないか。両者の利害を調整し、もつれた糸を解きほぐすことで「罪」を償うしかあるまい。 


日本経済新聞
・  「万般の機械考案の依頼に応ず」。機械ならなんでも作りますと看板に大書した建物が、東京の銀座に現れたのは明治8年のことだ。計器や羅針盤、糸取り機などが次々に製作された。東芝の源流になるこの小工場を興したのは技術者の田中久重。75歳での創業だった。

▼若いころ、からくり人形作りに没頭した田中は、幕末に精巧な置き時計を発明して有名になる。佐賀藩に招かれて蒸気機関車の模型を走らせ、郷里の久留米藩で大砲を造った。維新後、政府の求めで上京。要望通り電信機を完成させるが、それだけでは物足りなかったのだろう。高齢での起業も苦ではなかったに違いない。

▼好きなことは、何歳になっても情熱が衰えない。むしろ高まるのかもしれない。定年後、前から興味のあった分野で会社を設立したり、自営業を始めたりする人がもっと増えていい。元気に働く高齢者が広がれば社会保障費が楽になるメリットもあるが、大事なのは自己実現だ。これまでのビジネスの経験も役立つだろう。

▼中小企業白書によると、自分で事業を起こしたいという人のうち60歳以上の割合は2012年で16%あった。07年の11%から徐々に増えてきている。この流れを強めたい。晩年の田中は独自設計の電話機や時報を伝える機械を開発、エレクトロニクス産業の種をまいた。発明が途切れなかったのは面白く働いたからだろう。


産経新聞
・ 室生犀星の詩に「そとより帰りきたれば」で始まる秀作がある。こう続く。「ちひさきおもちやの包みかかへ」。胸躍らせた父親はわが家の門をくぐり、引き戸をカラリと滑らせる。しかし、どれだけ待っても紅葉のような手は奥から出てこない。

 ▼詩は「われを迎へいづるものなし」と結ばれている。生後1歳の息子を病で亡くした悲嘆を、犀星は『我が家の花』の一編に込めた。世の無情を恨み、順序をたがえた命の盛衰をはかなみ「生きていれば」と指折り年を数える。子を持つ親の情というものだろう。

 ▼あのとき犠牲になった8人の子供たちは、今年か来年に成人式を迎えるはずだった。大阪教育大付属池田小学校の児童殺傷事件から8日で13年がたつ。亡くなった女児の父親は先日の小紙の取材に「時間は今も、止まったままです」と痛切な思いを打ち明けていた。

 ▼小欄の手元に社会部記者として現場を走った当時の記事とメモがある。お菓子づくりの夢を奪われた女児がいて、ウルトラマンへの憧憬(しょうけい)を断たれた男児がいて、わが子の墓前で「順序が逆」と嗚咽(おえつ)する母親がいた。罪深い凶刃への怒りで、文字が激しく乱れている。

 ▼悲しいかな、当節の紙面から子供をめぐる惨事が消える気配はない。一方で現在の池田小に事件当時を知る教員が2人しかおらず、教員の卵となる大教大の学生も1割が事件そのものを知らないという。忘却もまた幼くして奪われた命への背信に等しい行為なのだが。

 ▼この時節に読み返す犀星の詩には、尾を引く余韻がある。「生きていれば」の負の連鎖をどこかで断ち切らなければ、天上の星となった子供たちに顔向けできない。凶刃を手に社会の片隅に潜む「悪」をにらむのは、大人たちの役目だ。

 
中日新聞
・ 真夜中のコンビニで男性客が若い男の店員に文句をつけている。客は六十歳前後。会社員のようだ。酔っている。何があったのかは知らぬ。客は「おまえはだめなんだよ」「正社員じゃないだろう」と絡んでいる

▼「オレは国立大学を出て、会社でも出世した。おまえは何なんだ」。一方的な説教を耳にしてこっちの腹が立ってくる。不景気、就職の難しさ。この世代にはこの世代の苦悩と事情がある

▼青年は黙ってレジを打つ。品物を袋に詰め終え、会社員に渡す。お客さん、と声を掛ける。「お客さんの言ったこと、おれ、全然悔しくないっすから」

▼悔しくないの裏側の悔しさはいかばかりだったか。空(むな)しい一夜の忍耐。あの青年に読ませたい記事がある。米宅配大手UPSの最高経営責任者(CEO)にデビッド・アブニーさんが昇格する

▼おもしろいのは経歴。荷役アルバイトとして入社した。立身出世がすべてではないが、四十年間の努力が報われた。悔しいこともあっただろう

▼『里山資本主義』のエコノミスト藻谷浩介(もたにこうすけ)さんに聞いたことがある。「客として来店した誰かがあなたの仕事ぶりに感動し、うちに来いというかもしれない」。そんなことはまずない。それでも可能性はある。時代を嘆き、ふてくされているよりは、可能性は大きい。アブニーさんが証明した。続ける。努力する。そこに道ができる。
 
※ いずれも過去の事例を用いながらも、現代の問題を問いかけています。 
 その論旨の組み立て方は、例えばスピーチを考えるときにも参考になります。

 その意味で、もう一度味わってみてください。

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