あなたも社楽人!

社楽の会の運営者によるブログです。社会科に関する情報などを発信します。

4月9日は新聞休刊日

2012-04-09 06:20:02 | 社説を読む
4月9日は新聞休刊日。昨日の各社のコラムを紹介します。

朝日新聞
肉料理を書いてうならせる本は多い。近刊ではカナダの旅行作家、マーク・シャツカー氏の『ステーキ! 世界一の牛肉を探す旅』(中央公論新社)だろう。例えば神戸牛はこう描かれる

▼「牛肉ならではの甘くて木の実のような風味がしたものの、温かいバターでコーティングした絹糸よりもなめらかな食感と比べると、それすら付け足しみたいなもの」(野口深雪訳)。この幸せ、肉を焼くという手に気づいた先人のお陰である

▼アフリカ南部の洞窟で、100万年前の原人が肉を焼いた跡が見つかった。シャツカー氏の母校でもあるトロント大などのチームが古代の地層を調べ、狩りの獲物とみられる燃えた骨、草木の灰を確認したという

▼調理の証拠としては、従来の説を約30万年さかのぼるらしい。火の使用と、焼いて刻む「料理」の発明は、モグモグの作業を短縮し、食以外に回せる時間を生んだ。皆で炎と食料を囲む日常は、より進んだ集団生活をもたらしただろう

▼むろん加熱だけが進化ではなく、生(なま)を貴ぶ食習慣が各国に息づく。政府が法律で禁じるというレバ刺しの滋味は、火を通せば消えてしまう。そもそも食い道楽は自己責任を旨とすべきで、国の出る幕とも思えない

▼肉食はタブーと偏見に満ちている。食べる食べないに始まり、動物の序列や調理法は万別だ。だが〈味わいは議論の外にある〉ともいう。食の始末はまず、自分の舌と胃袋に任せたい。地球で一枚目のステーキを焼いた、無名の原人のように。
  
読売新聞
1年前の今頃はどうしていたかと、無性に気になる。大震災の後の非日常的な毎日の中で、記憶が混乱していることが少なくない。こんな時は新聞の縮刷版を開くと、ありありと思い出すことができる

◆昨年のきょう4月8日朝刊に「『花見自粛』見直す動き」とあった。ソメイヨシノが満開の東京・上野公園は、夜までは続けないが昼は盛り上がろうという宴会グループでにぎわっていた。井の頭公園では「宴会自粛」の看板を撤去した、との記事も

◆被災者のために、被災地のために、何をしたらいいのか、あるいはせめて、何をしないのがいいのか――皆が悩み、試行錯誤する日々だった。もちろん、それは今も続いている

◆卒業式目前の震災発生で、離ればなれになったままの宮城県の中学卒業生が「2012年3月11日に同級会を開催します」と携帯メールを交わし、再会を誓い合っているとの記事もあった。先日、叶(かな)ったはずだ。その場に居合わせなくとも情景は想(おも)い描ける

◆〈さまざまの事おもひ出す桜かな 芭蕉〉。平年より1週間近く遅れて桜前線、北上中。東北まで追いかけて行きましょうか。
 
毎日新聞
咲き誇る都心の桜を見て、昨年、小さな映画製作所で見せてもらった短編映像を思い出した。福島県出身の映画プロデューサー、今泉文子さんが撮った「三春の滝桜」だ

▲福島県三春町の丘に立つ紅枝垂れの桜は推定樹齢1000年。毎年、30万人が晴れ姿をめでに訪れるが、昨年はいつもの年ではない。人々の足が遠のきそうだと知ってスタッフとともに撮影を即断したという

▲毎朝3時に宿を出て、近くの畑でカメラを回し、夜の8時に撤収する。原発事故1カ月の4月11日から2週間、「微速度撮影」を続けた。時間を早回ししたような映像は、わずか10分。晴れの日は穏やかに、荒天の日は風雨や雪に耐え、昼と夜を繰り返すごとに桜のつぼみは膨らみ、ほころび、満開を迎える

▲映像はライトアップされなかった老樹の後ろに広がる星空で終わる。背景に流れるのは音楽だけ。被災地を見せるわけではない。原発を声高に糾弾しているわけでもない。それなのに、今泉さんの上映会が終わると「みんなしんと静かになる。涙をこぼす人もいる」。その気持ちは映像を見るとよくわかる

▲三春から約47キロ。福島第1原発では今も綱渡りのような事故処理が続く。それを尻目に政府は大飯原発の再稼働に向け帳尻合わせに奔走している。その様子は1年前の春を忘れてしまったかのようだ

▲三春の滝桜は今年もまもなく開花の時期を迎える。ライトアップも復活し、にぎわいが戻ってくるのだろう。それでも、豊かな自然の風景は以前と同じだとは思えない。ウェブ上に公開されている今泉さんの滝桜を見つつ、地球の歴史と人々の暮らしを考える。
 
日本経済新聞
満開の桜を見るたびに、わけもなく胸さわぎがする。その美しさ、見事さに息をのみつつ、心のどこか秘密の場所で苦しさが息づく。そんな思いで花を見上げる人は少なくあるまい。桜の開花は、いつも唐突に心の中に攻め込んでくる。

▼北面の武士だった佐藤義清は、父の姿に喜び駆け寄る4歳の愛娘を、縁側から思い切り蹴り落とす。娘は小さな手で顔を覆い、それでも父を慕って泣き叫ぶが、父は顔色を変えない。義清が世を捨て、西行に生まれ変わる瞬間である。伝説の真偽は不明だが、出家の理由は、かなわぬ恋とも友人の死ともいわれる。

▼その西行が生涯、桜を愛し続けたのは分かる気がする。「散るを見て帰る心や桜花、むかしに変はるしるしなるらむ」。過去とは過ぎ去った年月であり、惜しんでも、悔やんでも、元に戻ることはない。桜の季節は毎年必ず巡ってくるけれど、去年と今年の花の間には丸一年の時間が、年輪のように刻まれている。

▼もう一年がたってしまった。日本は元気になっただろうか。復興はどうした。原発はどうなったか。そして自分は、なにを成し遂げただろうか。気象庁によれば東京の都心は満開だ。晴れた夜空には丸い月が浮かぶ。失ったものを思いながら、いまはその光景に見とれたい。次の一年は容赦なく始まる。

 
産経新聞
満開の桜を眺めながら、つくづく歌心のないのが恨めしい。今年も各地の花の名所で、新しい歌が生まれているはずだ。〈夕闇の桜花の記憶と重なりてはじめて聴きし日の君が血のおと〉。2年前の夏、64歳で世を去った歌人の河野(かわの)裕子さんが、女子大生時代に作った。

 ▼後につづったエッセーによると、どこの桜の花を詠んだのか、記憶は定かではない。「この歌はいい。君が今までに作った歌の中で一番いい」。そう、ほめてくれた恋人についての記憶は、はっきりしている。

 ▼夫となった永田和宏さんは、歌人であり細胞生物学者でもある。その永田さんと俵万智さんらが選者を務める「~家族を歌う~河野裕子短歌賞」が、小紙と河野さんの母校、京都女子大学によって創設された。年齢を問わず広く作品を募集している。

 ▼ただこの賞の特徴は、中高生を対象にウェブサイトで受け付ける、「青春の歌」部門だろう。河野さんは大学卒業後、しばらく滋賀県の中学校で教諭を務めている。小欄で河野さんをしのんだとき、当時の教え子から手紙が届いた。

 ▼元気な先生にたくさん短歌を作らされたと、思い出を語った。「1年に千首くらい、歌の出来栄えは気にせんと、ばーっと作るんです。作っているうちに、言葉が言葉を引っ張ってくるようになったら、しめたもの」。こんなふうに短歌教室でも、多作と若者らしい勢いのある作品を求めた。

 ▼河野さんは冒頭の歌を含めた「桜花の記憶」で、「角川短歌賞」を受賞、短歌界に鮮烈なデビューを果たす。やはり受賞後ブームを巻き起こした俵さんら、多彩な女流歌人が活躍する道筋も作った。新しい短歌賞がどんな歌人を世に送り出すのか、楽しみだ。
 
中日新聞
イタリアのサッカー一部リーグ(セリエA)の昨季の試合で八百長に関与したとして、自陣ゴールに球を入れるオウンゴールをした選手が先日逮捕された

▼報道によると、所属チームは二部降格が決定、相手チームは一部残留がかかっていた。報酬は約二千万円に上るという。動画を見る限り、シュートのクリアミスにも見えるが、その裏では大金が動いていた

▼日本の政治に目を転じると、オウンゴールの連続だ。そもそも、政権交代も民主党の政策への支持というより、自民党への不満のマグマが爆発したオウンゴール感が強かった

▼橋下徹大阪市長が率いる大阪維新の会に期待する声が強いのも、オウンゴールで失点を繰り返す民主党への失望だろう。正統性に疑問符がつく三人目の首相は、マニフェストにもない消費税増税に「命をかける」と意気込むが、法案提出前に国民に信を問う勇気はない

▼首相を背後から操る財務官僚は胸に手を当てて考えてほしい。日本の財政をここまで悪化させた自らの責任のことである。政権と二人三脚で財政のかじ取りをしてきた財務官僚の反省の弁を一度も聞いたことはない

▼せめて、戦後、政権与党とともに政策決定に深く関与してきた過ちの原因を誠実に検証して、国民に許しを請うべきだろう。それもせずに、今後もプレーを続けるつもりなら、八百長のそしりは免れない。
 
※ 毎日、日経、産経がよく似た書き出しから始まっています。

 また、読売、日経、毎日が、この1年間を振り返る内容です。

 中日はかなり厳しい論調です。 

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。