今朝は新聞休刊日なので、昨日のコラムの一部を紹介します。
・ 広島県の尾道で代々医者の家に育った大林宣彦(おおばやし・のぶひこ)さんは、子ども時代に家の納戸(なんど)で蒸気機関車のおもちゃをみつけた。知らない街に自分を運ぶあこがれの機関車と思って遊んでいたのは、筒のついた金属の箱だった
▲やがて筒はレンズ、胴体は電球の入るランプハウス、レールはフィルムを通すゲートだと分かる。それは映写機で、大林少年は今度はフィルムに細工をし、映して遊んだ。「子ども部屋の映画作家」とは、後年、自らを評した言葉だ
▲CM映像作家だった大林さんの商業映画初監督作「HOUSE」のヒットは、それまでの映画製作の常識を変えた。映画会社に属さぬ多彩な才能が以後の日本映画で花開いたのは、大林さんが挑んだ映像の冒険の成功のおかげだった
▲そして故郷を舞台にしたファンタジーで、見る人の郷愁を呼び起こした尾道3部作である。「100年後の人の幸せを考えたら、尾道の姿がそのまま残っている方がいい」。3部作は実は壊されゆく故郷を守る闘いでもあったという
▲4年前、がんで「余命半年」と宣告された時は「これで映画をつくる資格をもらった」と語った。「戦争で死んだ人を忘れないのが平和をつくる方法だ」。切迫する時間の中、戦争の死者との語らいから生まれた最晩年の2作である
▲うち原爆を描く遺作「海辺の映画館 キネマの玉手箱」がコロナ禍で公開延期されるなか、大林さんは旅立った。映写機が引く汽車が着いた天国は、きっと子どものころの尾道の光景に似ていただろう。
・1982年のゴールデンウイークだった。友人に誘われ、横浜で映画を見た。目当ては和泉聖治監督の「オン・ザ・ロード」。渡辺裕之さん演じる白バイ警官の節義を描いたロードムービーだ。DVD化はされていないが、リバイバル上映されるなど根強い人気がある。
▼2本立てで同時上映されたのが、大林宣彦監督の「転校生」だった。自身の古里、広島県尾道市の美しい海と坂道の風景。シューマンのトロイメライで始まる冒頭シーンから引き込まれた。体が入れ替わってしまった幼なじみの中学生の男女を、尾美としのりさんと小林聡美さんが演じた。日本映画史に残る青春の名作だ。
▼がんを患い、余命を告げられながらも作品を撮り続けた大林さんが逝ってしまった。82歳だった。遺作となった「海辺の映画館―キネマの玉手箱」は、くしくも監督が旅立った10日から全国の映画館で公開される予定だった。これも尾道市が舞台だ。が、新型コロナウイルスの影響で公開が延期された。天を仰ぎたくなる。
▼作品舞台をファンが訪ねることを聖地巡礼と呼ぶ。その先駆けが大林作品だ。尾道市のロケ地を巡る人波は今も絶えない。先月、取材で同市を訪ねた際、海沿いの民家にカメラを向けている人がいた。聞けば「転校生」で尾美さんが演じた中学生の実家の撮影地という。海と坂道の聖地に哀悼の花束が手向けられるだろう。
・ カタカタカタ。映写機の音。蔵の中で少年が映写機と漫画映画のフィルムを見つける。映写機で遊ぶ少年。やがて聞こえてくる軍歌。砲撃音。玉音放送。<ぼくは死ねなかった>。カタカタカタ。<ぼくは卑怯(ひきょう)者だ><ぼくは平和孤児だ>
▼医学部の受験会場。窓から外を眺める青年。突然、教室から飛び出していく。<ぼくは教室から逃げるんじゃない>。映写機の音。聞こえてくる軍歌。<ぼくは映画の世界へ飛び込んでいくんだ>。蔵の中で見つけた映写機と漫画映画。カタカタカタ
▼繁栄した東京のビル群。ファインダーをのぞく男。映画「時をかける少女」。若い女優。「時はどうして過ぎていくの」。軍歌。砲撃音。玉音放送
▼老監督が五十歳になった男に教える。「映画には必ず世界を救う力と美しさがある」。カタカタカタ。「君はもう少し先へ行ける。君が無理だったら子どもたちの世代。それがだめなら、次の世代。きっと映画の力で世界から戦争がなくなっている」。軍歌。砲撃音。玉音放送。<ぼくは死ねなかった><ぼくは平和孤児だ>
▼病室。がん宣告。撮影現場。映画「花筐(はながたみ)」。<ふとはずみで立ち上がる。戦争がはじまる時はこんなものかもしれないね><青春が戦争の消耗品なんてまっぴらだ>。カタカタカタ。あの蔵の中。映写機の音が悔しそうにやむ
▼大林宣彦さんが亡くなった。八十二歳。
※ 奇しくも3社とも大林監督でした。
「時をかける少女」はとても新鮮でした。
ご冥福をお祈りいたします。