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【韓非子】中国思想解説#12【法家】【法治主義】

2021-08-25 06:10:48 | 哲学の窓

哲学チャンネルより 【韓非子】中国思想解説#12【法家】【法治主義】を紹介します。

ここから https://www.youtube.com/watch?v=ziLaUg5vE8A

※関連した過去動画
【荀子】中国思想解説#8【性悪説】【礼治主義】 https://youtu.be/ZqQYA8uCkYc
※書籍 韓非子 (中国の思想) https://amzn.to/3mqhHYE
とっつきづらい哲学や心理学の内容を、出来るだけわかりやすく完結に お伝えすることを目的としたチャンネルです。
 
 動画の書き起こし版です。
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韓非は韓の君主の子として生まれます。 生まれつき重度の吃音を抱えていましたが、一方で文才に恵まれていたそうです。 史記によると、青年期には後に秦の宰相となる李斯(りし)と一緒に荀子から儒学を学んだとされています。 荀子と韓非の書においてお互いに対する言及が極端に少ないことから 荀子から直接学んだかどうかは怪しいとされますが、 韓非の思想は明らかに荀子のそれに影響を受けていると考えられます。 その後、韓の王に仕えますが韓非の意見は尽く無視されてしまいます。 当時、戦国時代は終結に向かおうとしていました。 覇権の行末は戦国七雄と言われる7つの国に絞られていましたが その中でも秦が圧倒的な力を持っており、 韓非の属する韓はその中でも最弱と言われていました。 彼は秦の中国統一は時間の問題だと考え、 それまでに自分の思想を残しておかなければと【韓非子】を書き上げます。 (矛盾などが語源) 韓非子が秦王(始皇帝)の目に入ると、 「韓非子の作者と会えたなら死んでも構わない」と言うほど感動したとされています。 特に韓非子の中でも、 人の用い方について言及し、私利私欲に走る臣下やそれを許している君主を戒めた【孤奮篇】 『学者』『法を侵すもの』『言談者』『仕事をしないで媚びるもの』『農民から搾取する者』を五大害悪とし それらとの向き合い方を説いた【五蠹篇】(ごと)に感銘を受けたようです。 秦王は韓非を自国のブレーンとして招こうと考え、彼を呼び出します。 しかし、宰相の李斯が自分の地位を守るために秦王に嘘を吹き込み 韓非は牢に繋がれてしまいます。 さらに李斯から服毒自殺を促され、それを了承して自殺してしまいました。 韓非は【法】を重要視しました。 彼は荀子の性悪説を強烈にした考えを持っていて 人間は完璧でないため、利己心を取り除くことは難しいと 内面からの改善を否定しました。 『人を信ずれば則ち人に制せらる』 人を信じれば征服されてしまうという言葉も残しています。 荀子は『人間は弱い生き物だから悪の方に流されやすい』と考え 【礼】を学ぶことで悪に流されにくい人間に変わることができるとしました。 しかし韓非は礼を学んだとしても、 人間の本質的な『悪性』は消え去らないと言います。 だからこそ明文化された【法】によって人間の利己心を押さえ込み、 国家を統治すべきだと主張しました。 韓非の法の精神には【信賞必罰】の思想が根付いています。 優れた働きには褒美を与え、罪には罰を与える。 そしてそれを情に囚われず厳格に行うことです。 韓非子にはこうあります。 『法は貴(たか)きに阿(おもね)らず、繩(ジョウ)は曲がれるに撓(たわ)まず』 大工は木が曲がっていても曲がった線を引くことがないように 法律の条文も相手の地位によって曲げることはできないという意味です。 厳格な法律によって、君主、臣下、民衆を縛る。 民衆だけを縛るのではないところが韓非の思想の優れた部分です。 君主は法律によって暴政を行うことができない。 臣下は法律によって過度な力を持つことができない。 民衆は法律によって悪い行動を抑制される。 このようにして国家は安定した運営が可能になると考えたのです。 この思想を【法治主義】と言います。 韓非は自国の王に再三国家体制の再編について進言しました。 当時の韓は君主と臣下がズブズブの関係になっており、 無能なものが平然と高い地位で安住していて、 とても強い国になれるような状況ではありませんでした。 しかし吃音の影響もあったからなのか、韓非の進言は尽く無視されます。 韓非が臣下や君主まで法律によって縛る必要性を解いたのには このような憤りの背景も影響していると考えられます。 荀子は礼さえしっかりとしていれば、 内面については善だろうが悪だろうが関係ないとしましたが、 韓非も同じような主張をしています。 つまり、法を守ってさえいれば民衆の心の中までは干渉しないと。 王自らが仁と礼を兼ね揃えた徳を持つことで それが民衆に伝播し、国が良い方向に進むと考えた 孔子の【徳治主義】とは真逆の思想だと言えますね。 秦の中華統一にあたっては、一度大分裂をしてしまった各国の常識を ひとまとめに整理する必要がありました。 一度文化として根付いてしまったそれぞれの国の常識を 【礼】によってまとめるのは難しいと考えられます。 始皇帝は韓非の思想を参考にし、 明文化した【法】によって各国をまとめあげました。 同時に、法の支配力を安定させるために 法家の思想の対立軸にある儒家をはじめとした様々な思想を弾圧します。 これにより秦の時代には法家の思想が最大派閥となります。 秦が滅び漢王朝が成立したのちに法家の勢いは急激に弱まりますが 『法で国家を統治する』という思想自体は、 その後の歴代王朝に引き継がれていきます。
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