徳川家の新事実の発見になるか!? 家康の祖父・清康の暗殺や、妻・築山殿の自害などを記した『松平記』最古級の写本を確認
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家康の祖父・清康の暗殺から、家康の妻・築山殿の自害までのさまざまな事件を年代順にまとめた『松平記』
【関連イベント】
豊橋市中央図書館で開催している資料展で今回の『松平記』を追加展示します。
「若き家康 奮闘の軌跡―重臣酒井忠次・東三河の国衆と過ごした日々―」
開催期間 3月26日(日)まで
開催場所 豊橋市中央図書館(豊橋市羽根井町48)
朝日日本歴史人物事典 「松平清康」の解説
松平清康
没年:天文4.12.5(1535.12.29)
生年:永正8(1511)
戦国時代の武将。三河安城城主松平信忠の子。徳川家康の祖父に当たる。通称次郎三郎。祖先の由緒にちなみ源姓世良田氏を称したこともある。大永4(1524)年,安城から岡崎への進出を果たし,戦国大名への一歩を踏みだした。次いで西三河を制圧し,さらに東三河にも侵攻し,吉田城の牧野氏,田原城の戸田氏,さらに奥三河の山家三方衆(田峯城の菅沼氏,長篠城の菅沼氏,亀山城の奥平氏)を降し,三河をほぼ制圧することに成功した。ところが,天文4(1535)年,尾張守山城を攻めたとき,父を謀殺されたと誤解した家臣の阿部弥七郎に殺されてしまった。時に25歳であった。これを「守山崩れ」と呼んでいる。以後,家督を継いだ子の広忠の段階で,松平宗家は急速に衰退していった。
(小和田哲男)