小林 繁さんが心不全のため死去したというニュースが流れました。
小林 繁さんといえば、忘れられない思い出があります。
それは、戦後の日本社会の一つの汚点だったと思っています。
ことの成り行きを概説します。
1978年(昭53)のドラフト会議の前日となった11月21日、前年秋のドラフトでクラウンライター(現西武)の1位指名を拒否して米国留学していた元法大の江川卓投手が巨人と電撃契約をしたのです。
これが、空白の1日を利用した、いわゆる江川事件です。
当時の野球協約が「翌年の選択会議の前々日」(11月20日)までに契約できなかったことから、西武の交渉権はこの日で喪失しました。
前日(21日)は手続き上空けられていたのですが、巨人はどこにも拘束されない「空白の1日」と強引に理屈をつけたのです。
当然、セ・リーグ鈴木竜二会長は「契約は無効」としました。
これに対して、巨人はドラフト会議をボイコット。
ドラフト会議では阪神が江川の交渉権を獲得したのです。
これに対して、巨人はドラフト会議の無効を訴えたのです。
自分でボイコットをした会議に、自分が参加していないから無効だと…。
これだけでも大問題なのに、金子コミッショナーの「強い要望」によって、江川は一度阪神に入団し、巨人の小林繁との交換トレードが成立したのです。
その裏には、作新学院の理事長であった船田衆議院議員がいました。
これは協約に違反していたために、プロ野球実行委員会はこの交換トレードを白紙とし、「小林は阪神へ金銭トレード、江川は協約通り開幕の4月7日に阪神から巨人に移籍」と決めました。
結果的に、巨人側の言うとおりになりました。
結局、金子コミッショナーは引責辞任し、巨人江川が誕生したのです。
こうしてみてくると、ルールなんてあったものではありません。
「空白の一日」は、文言の不備であり、まだいいとしても、私が最もショックだったのは、勝手にボイコットした巨人が「全12球団が出席していないドラフト会議は無効であり、阪神に江川交渉権獲得はない」とコミッショナーに提訴したことです。
そんな論理があるでしょうか?
さらに、巨人側は江川卓選手の地位保全の仮処分申請を東京地裁に申請しています。
極めつけは、巨人の正力オーナーは、江川との交渉権が認められないのであれば巨人がセ・リーグを脱退して新リーグを作るとまで公言したのです。
巨人の新リーグ騒ぎは、オリックスと近鉄合併の時にもありました。
時々、そういって脅迫?をする体質は、このころからあったのです。
結局、トレードという形で、巨人のわがままを許してしまいました。
その後、巨人の謝罪はありましたが、結果は変わりません。
今考えても、道理もない無茶な話を、日本の社会は、結局最後には許してしまったのです。
その犠牲者が小林 繁さんでした。
この年には対巨人戦8勝負けなしという成績を収め、意地を見せましたが…。
清酒会社のCMで、江川さんと小林さんが対談するものがありました。
二人の中では、思い出となった事件なのでしょう。
しかし、曖昧な日本的な解決をなぜ社会が許したのか、
未だに課題として残っていると思います。
日本人を語る上で、ひとつの象徴的な事件だと思います。
小林さんが亡くなった今こそ、再び考えてもらいたい、そう思います。
それが、一番の供養ではないでしょうか。
小林 繁さんといえば、忘れられない思い出があります。
それは、戦後の日本社会の一つの汚点だったと思っています。
ことの成り行きを概説します。
1978年(昭53)のドラフト会議の前日となった11月21日、前年秋のドラフトでクラウンライター(現西武)の1位指名を拒否して米国留学していた元法大の江川卓投手が巨人と電撃契約をしたのです。
これが、空白の1日を利用した、いわゆる江川事件です。
当時の野球協約が「翌年の選択会議の前々日」(11月20日)までに契約できなかったことから、西武の交渉権はこの日で喪失しました。
前日(21日)は手続き上空けられていたのですが、巨人はどこにも拘束されない「空白の1日」と強引に理屈をつけたのです。
当然、セ・リーグ鈴木竜二会長は「契約は無効」としました。
これに対して、巨人はドラフト会議をボイコット。
ドラフト会議では阪神が江川の交渉権を獲得したのです。
これに対して、巨人はドラフト会議の無効を訴えたのです。
自分でボイコットをした会議に、自分が参加していないから無効だと…。
これだけでも大問題なのに、金子コミッショナーの「強い要望」によって、江川は一度阪神に入団し、巨人の小林繁との交換トレードが成立したのです。
その裏には、作新学院の理事長であった船田衆議院議員がいました。
これは協約に違反していたために、プロ野球実行委員会はこの交換トレードを白紙とし、「小林は阪神へ金銭トレード、江川は協約通り開幕の4月7日に阪神から巨人に移籍」と決めました。
結果的に、巨人側の言うとおりになりました。
結局、金子コミッショナーは引責辞任し、巨人江川が誕生したのです。
こうしてみてくると、ルールなんてあったものではありません。
「空白の一日」は、文言の不備であり、まだいいとしても、私が最もショックだったのは、勝手にボイコットした巨人が「全12球団が出席していないドラフト会議は無効であり、阪神に江川交渉権獲得はない」とコミッショナーに提訴したことです。
そんな論理があるでしょうか?
さらに、巨人側は江川卓選手の地位保全の仮処分申請を東京地裁に申請しています。
極めつけは、巨人の正力オーナーは、江川との交渉権が認められないのであれば巨人がセ・リーグを脱退して新リーグを作るとまで公言したのです。
巨人の新リーグ騒ぎは、オリックスと近鉄合併の時にもありました。
時々、そういって脅迫?をする体質は、このころからあったのです。
結局、トレードという形で、巨人のわがままを許してしまいました。
その後、巨人の謝罪はありましたが、結果は変わりません。
今考えても、道理もない無茶な話を、日本の社会は、結局最後には許してしまったのです。
その犠牲者が小林 繁さんでした。
この年には対巨人戦8勝負けなしという成績を収め、意地を見せましたが…。
清酒会社のCMで、江川さんと小林さんが対談するものがありました。
二人の中では、思い出となった事件なのでしょう。
しかし、曖昧な日本的な解決をなぜ社会が許したのか、
未だに課題として残っていると思います。
日本人を語る上で、ひとつの象徴的な事件だと思います。
小林さんが亡くなった今こそ、再び考えてもらいたい、そう思います。
それが、一番の供養ではないでしょうか。