ものづくり中部の革新者たちⅢ より 岡本松造を紹介します。
去る2022(令和4)年9月10日(土)に名古屋都市センター(金山南ビル内) 11階「まちづくり広場・企画展示コーナー」で行われた、第17回パネル展 での学びを振り返ります。
ここから http://csih.sakura.ne.jp/panerutenn.html
今回は、岡本松造「ムリ』『ムラバムダ」をなくしたノーリツ号-自転車産業の先駆者一
1. 革新実業家 (16)
岡本松造 (1876 ~ 1942) 「ムリ』『ムラバムダ」をなくしたノーリツ号-自転車産業の先駆者一
■ 渡米、 渡欧で先端技術を学ぶ
1876 (明治9)年、 岡本松造は奈良県磯城郡に生まれ、 名古屋へ出て鍛冶職の技術を身につけ、24歳の1900 (明治32)年、 合資会社岡本鉄工所を名古屋市七本松町(現名古屋市中区)に設立して、自転車フレーム、 部品の製造を開始した。 当時の名古屋の自転車保有台数はわずか約900台で、 大半は米国、英国製など外国製自転車であった。 岡本は渡欧、渡米して先端技術を学び、3年後には自家製自転車 80台を造り、 完成車メーカーとしてスタートした。 同年代には東京では鉄砲鍛冶宮田栄助がミヤタ自転車を製造するなど、東京・名古屋・ 大阪を主として日本の自転車産業が興った時期である。
■ 「ノーリツイズム」 の事業精神
1910 (明治43)年に弟徳松と直次郎を呼び寄せて、 岡本兄弟合資会社と改名した。 岡本の自転車が経営規模を広げたのは第一次大戦 1914.7-1918.1 (大正3-7) 年による日本の好況である。 大戦後の翌1919年に名古屋市御器所町に23,000坪の工場を建設し、会社名を岡本自転車自動車製作所とした。
(中略)
1932(昭和7)年には日本車輌製造、 大隈鐵工所 愛知時計電気の4社と共同で日本初の純国産乗用自動車「アツタ」号を完成させた。 その後、 軍需生産増強の要請もあり名古屋笠寺・大垣・一宮・垂井・新潟・九州・犬山に工場を建設、 3万人余の従業員を抱えるまでになっていった。
岡本は時代を先取りし、将来自転車にとって代わるものは四輪の自動車だと予想し、順調に事業を拡大していった矢先、戦時中の1942(昭和17)年に急死、67歳であった。 岡本のノーリツ自転車は
戦後も全国隅々まで売れ、知れ渡ったが1983 (昭和58)年に廃業している。
(2019年度パネル展より再掲)
(冨成一也)
ものづくり中部の革新者たちⅢ 第17回パネル展に行ってきました
2019年度 第15回パネル展 ものづくり中部の革新者たち
ものづくり中部の革新を支える 新たなみち
2018年度 第14回パネル展 モダン都市名古屋の形成
2017年度 第13回パネル展 中部における国産車のあゆみ
2016年度 第12回パネル展 東海の綿織物・毛織物と産業遺産
2015年度 第11回パネル展 東海の絹・文化と産業遺産
2014年度 パネル展と講演会 近代名古屋の発展と海外の関わり ~戦前の国際都市名古屋の形成~ PART2
2013年度 パネル展
石河正竜/ものづくり中部の革新者たちⅢ
鈴木久一郎/ものづくり中部の革新者たちⅢ
村松彦七/ものづくり中部の革新者たちⅢ
片倉兼太郎(初代)/ものづくり中部の革新者たちⅢ
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井元為三郎/ものづくり中部の革新者たちⅢ
蟹江一太郎/ものづくり中部の革新者たちⅢ
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