あなたも社楽人!

社楽の会の運営者によるブログです。社会科に関する情報などを発信します。

『関白秀次の切腹』矢部 健太郎

2024-01-02 07:00:39 | 豊臣秀吉

『関白秀次の切腹』矢部 健太郎

天下統一を果たした豊臣政権を揺るがした《秀次切腹事件》。「実子・秀頼のために秀次を切腹させた」という通説は疑問に満ちていた。なぜ秀次は切腹し、一族は処刑されたのか? 通説を覆す、事件の真相とは……?

内容(「BOOK」データベースより)

通説を覆す新解釈!秀吉は甥を殺すつもりではなかった!?―421年目の謎解きに挑む!
 
amazonレビューより
「真実はこれまでの事実の中にある!」これが読後の正直な感想でした。
本の帯には「通説を覆す新解釈!」とありますが
歴史の新発見は今までの資料の再検討、あるいは再検証にある事という事を
された事点に、古くて新しい感動を感じさせていただきました。

矢部氏は明確に「秀吉は秀次を殺すつもりはなかった」と言われていますが
本書からは、それが感情的なものではなく、
現存する400年前の第一級の資料の精査の裏付けによって導かれたものであり
秀次事件の通説を裏付ける江戸時代に書かれた甫庵太閤記よりも
もっと前の、文禄時代に、この事件を書き留められた御所の「御湯殿上の日記」や
秀吉から直々に高野山に出されていた秀次への切腹でなく蟄居を命じられている
「秀次高野山住山」令が存在していた事や
その内容が、原文と口語訳そして時代背景も入れて説明されているわけです。

どうして、これまで文禄当時の資料が現存しているにもかかわらず、
その後の徳川政権時に書かれたもので秀次事件の真相を解かれてきたのか、
というこれまでの歴史解釈の姿勢に疑問を投じられた点も
大変大きい功績ではないかと思います。

特にさすが歴史のプロと感じさせて頂いたのは、資料の検証に「写し」の重要性を言われている事です。
確かに現在の私どもはコピーという便利なものがあり、高度な機械もコンビニで安価に使用できる
環境にありますので、あまりピンと来なかったわけですが

よく考えてみればそれはごく最近の事で私の子供の時代にはなかったわけで、長きにわたり
これまでは写経の様に公文書の「写し」という事が行われていたわけです。

驚くことに豊臣政権の内容を各大名たちが写していたのですね、
ですから、資料の信ぴょう性には、他に写しがあるのかどうか、という観点がいるのですね
そうしますと、「秀次高野山住山」令の写しは他にもあったのに、甫庵太閤記に書かれている
内容の写しが存在しない、という矢部氏の判断の指摘に「さすが」を感じてしまうわけです

この秀次事件の真相についてはいまだに検証不十分にもかかわらず
「もう分かっている、調べは出尽くした、」と思われています。

この通説に対し今回の「秀吉は秀次を殺すつもりはなかった」という新解釈は
これまでになかった新しい資料が出てきたかた出てきたのではなく、
これまでにあった資料の検証から新しい事実が生まれて来たわけですから
「真実はこれまでの事実の中にある!」という事を学んだと申し上げたいわけであり、
第一級資料の掲載と解説が300ページ超にわたってふんだんになされ、しかも
値段が千円という点も好感が持てるものであると思ったしだいです。

 

 
個人的に豊臣秀吉に好感が持てないのは彼の晩年の事跡、とりわけ甥豊臣秀次に対する切腹命令及びその親族の皆殺しにあった。
いくら我が子秀頼の将来を案じたからとは言え当時の時代の事を割り引いてもそこまでしなくてもと感じる容赦無い身内に対しての凄惨な粛清劇には嫌悪感が拭えずにいた。
しかしながら近年定説を覆すような説得力の有る新説が書かれた書籍に出会う事が多いためこの秀次事件についてもそう言ったものがもしかしたら出て来ないだろうかと思っていただけにこの本で書かれている内容には衝撃を受けた。
もちろん著者の方も前置きされているように試論と言われればそうなのだろうけどこの本の中で導き出された秀次事件の経過や真相は確かに説得力のあるものだと感じるし、一般に知られている定説に比べても遥かに納得のいく内容だった。
とは言え
・秀吉が当初秀次を殺すつもりが無かったとしたらその後の処遇はどうするつもりだったのか?
・仮に期限付きの幽閉だったとしたら秀次はどのような行動をとっていたのだろう?
と言う諸々の疑問がつきまとうけれど、少なくとも我が子可愛さによる老いた秀吉の自分勝手な暴走により引き起こされた事件でない事だけは確かだと感じた。
詰まる所秀次事件とはそれに関わった人々の思惑の違いから思わぬ方向に事態が増長したあまりにも痛ましい出来事だったという事になるのだろう。
この時代の歴史を多少知っていて関心のある方達には是非お薦めの作品です。
 
 
秀吉晩年の失策として、朝鮮出兵とともにあげられるのが関白秀次の切腹だ。
とりわけ秀次切腹につづいて行われた一族の処刑は、女性と幼児を30数人も三条河原で公開処刑するという悲惨極まりないもので、戦国末期の悲劇として歴史に残っている。

定説では、“秀次の謀反→高野山への追放→切腹命令→一族の処刑→聚楽第破却”という一連の流れは、みな秀吉による命令であり、中でも幼子妻妾皆殺しというあまりに無慈悲な命令は、晩年の秀吉もうろく説の根拠にもなっている。

本書では、そもそも関白秀次に対する高野山への追放と切腹は、秀吉の命によるものではなく秀次自ら選んだものだということを一次資料を元に丹念に追っている。

当時の一次資料を元にすると、秀次が高野山へ登ったのは、身の潔白を示すため自ら行ったこと、続く秀吉からの通達に「切腹」という命令は一切なく、あるのは「高野山住」という通達であること。
さらに、秀次出奔から切腹までのおよそ1週間を時系列で吟味し、秀吉からの切腹命令は存在しえないことを検証している。

つまり、信憑性の高い一次資料を元に見ていくと、事実は秀次が自ら高野山へ登り、身の潔白を示すため自ら命を断ったということが事実であろうと推量していく。

本書を読んでいると、丹念に一次資料を読み込んでいく作業に引きこまれ、歴史小説よりも事実を求めていく本書の方がよほどスリリングだ。
しかしながら、本書のテーマからは少し外れるので致し方ないことだが、「なぜ秀次が突然高野山へ出奔しなければならなかったのか」、そしてこの事件最大の悲劇である「なぜ30人以上もの女性と幼子が公開処刑されなければならなかったのか、一体誰がこのような決定をしたのか」については全く解明されていない。
願わくば、続編としてこちらの研究も発表され、書籍化を期待したい。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。