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キューバ革命50年

2009-11-23 06:29:03 | 社会科こぼれ話
今日は名古屋シティマラソン。
ハーフ(21㎞)を走ります。
今年で4年連続になるので、余裕を持って走りたいのですが・・・

さて、今年はキューバ革命50年。
キューバについて考えてみましょう。

キューバの歴史を概観してみます。

ヨーロッパ社会には、1492年コロンブスによって発見されました。
先住民は、スペインによってほとんどが絶滅したとされています。
それ以後、スペイン人により植民地化が進み、砂糖産業、奴隷産業を盛んにし、キューバはスペインと中南米の中継地点として著しく発展を遂げました。

19世紀初めには、ハイチの独立により、キューバが砂糖きびプランテーションの中心になり、世界最大の砂糖生産地となりました。さらに、たばこ生産も盛んになり、葉巻の通商でも富を得るようになりました。
しかし同時に、独立の気運が高まり、一時キューバのアメリカ編入を目指す運動も起きました。

独立闘争は1868年に始まります。明治元年なので、近代日本の歩みと重なります。
一時休戦を経て1895年からはホセ・マルティ(写真:この名前は覚えておきましょう!)らの指導による独立闘争が再発し、1898年のスペイン・アメリカ戦争(米西戦争)による米国の勝利で、キューバは1902年に400年に及ぶスペイン支配から解放され、独立を勝ち取りました。


しかし、事実上の米国支配が続き、アメリカ企業の進出に伴う国民の反乱で不安定な状況が続きました。
バティスタ時代は、政権と米国政府・米国企業・マフィアがキューバの富を独占し、その富が米国本土に流れるような社会構造が形成されました。
このような半植民地状態の克服を夢見て立ち上がったのが、弁護士フィデル・カストロ(写真;有名ですね。)なのです。


カストロはメキシコ亡命後、アルゼンチン人医師のチェ・ゲバラ(『チェ 28歳の革命』『チェ 39歳 別れの手紙』で有名な写真の人)と出会い、ゲリラ戦訓練を受けた後キューバに再上陸、政府軍へ2年余りのゲリラ闘争を行った末、バティスタを国外逃亡に追い込み、革命政権を誕生させました。


その際に、軍事法廷で旧バティスタ政権関係者を裁き、およそ550人を処刑したと言われています。
革命政権は、農地改革法を実施し、砂糖よりも食料になる作物の生産に力を入れ始め、土地と産業を国有化し、農業の集団化を実施するなど社会主義国家の建設を推進しました。
1960年にソ連と正式な外交関係を結び、米国とは翌年国交断絶します。東西冷戦の渦中へと巻き込まれていくのです。

続きます。

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