このブログでは、東日本大震災の2日後から、世界の新聞社・通信社がこの震災をどう報道したかを毎日切り取ってきました。
あれから10年になるあたり、当時の記事を再掲して当時の様子を振りかえっています。
今回は、2011年4月11日付けの記事です。
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丸っと1ヶ月。
今日も、海外のメディアが東日本太平洋沖地震をどう報道しているかを見ましょう。
【中国】
人民日報 http://j.peopledaily.com.cn/home.html
更新なし
チャイナネットhttp://japanese.china.org.cn/
震災に思う日本での記憶
大学の専攻は日本語だった。卒業後は、中国国内で日本語教師として5年、通訳として2年働いた。1989年4月の東京大学留学の際には、ジャーナリズムを学ぼうと、学部に2年通ったが、その後、やはり経済学を学びたいと思い、慶応大学に転校した。
3月11日以降の何日かで、日本にかけた数十本の電話と数百通のEメールでようやく皆の無事を知り、安心した。考えてみれば、私の日本人の友達の数は、中国人のそれ以上である。
中国国内のマスコミが、日本の地震や原爆事故、そして国民生活等を大きく取り上げたことで、中国人の多くが、この隣国に関心を寄せ、敬意を持った。そして、私の十数年に渡る日本での生活で感じたことや些細な思い出も、それらによって呼び起こされた。
「天皇がいる限り、我々もここを離れない」
震災後、私は、東京の友人である吉川明希氏に電話をした。彼女は非常に冷静にその無事を告げ、地下鉄運休後の様子を話してくれた。延々と連なる人々が、数キロ、十数キロ、更には二十数キロ離れた自宅まで徒歩で帰った。東京周辺の道路は人で満ち溢れ、その両脇の民家には、「トイレ使ってください」「お茶をどうぞ」などの張り紙を外に出し、長距離を歩く人々のために、できる限りのことをしようとしている所がいくつもあった。
それは、私にとってすぐにイメージできる秩序整然とした状態で、まさに私のよく知る日本そのものだった。
吉川氏とは、知り合ってもう20以上の付き合いになる。1989年に東京大学で学び始めた頃、私は翻訳の仕事もしていた。彼女はちょうどその時、翻訳会社を立ち上げ、そこで二人は知り合った。以前、日本の有名な政治家である後藤田氏の秘書だった彼女は、日本の典型的キャリアウーマンで、常にエネルギッシュで情熱的、ひとたび怒らせると大声で怒鳴り、相手を罵ることもある。しかし、ここ一番の大事なときには、驚くほど冷静かつ理性的だった。
福島原発事故の後、私はやはり心配になり、吉川氏やその他の友人達に東京を離れる、或いは暫く北京に避難してはどうかと聞いてみたが、皆必要ないといった。最初はそれが良く理解できなかった。日本を離れないにしても、車で西の比較的安全な地域に行くぐらいなら、それほど難しいことでもない。なぜ、東京を離れないのか。後になって感じたのは、彼らが政府を信頼しているということだ。東京を離れない理由として彼らは以下の3つを挙げた。一つ目は、天皇がいる限り、彼らもここを離れないということ。二つ目は、日本の高官のような精鋭やメディア等でさえ留まっているのに、一般人が逃げ出す必要はないということ。三つ目は本当に何らかの深刻な事態が起きれば、真っ先に帰国するはずの東京軍事基地のアメリカ人も留まっていることである。
市長の2つの携帯電話
今回の震災後、日本人は政府の対応への不満はあるものの、全体的にはやはり政府を信頼していると見ることができる。
この信頼には、ちゃんとした根拠がある。私が接したことのある野村興児市長の話をしよう。
十数年前、私は山口県荻市で暮らしたことがある。当時、私は慶応大学から荻国際大学に移り、経済関係の課程を教えていた。月に一度、荻市の野村興児市長に会う機会があった。
野村興児氏はもともと日本経済産業省の官僚で、経済に詳しく、荻市出身だったことから荻市に戻り市長に当選した。1998年頃、彼は、市内の大学で教授として働く名門卒業の外国人がいることを知り、その私と会うことにした。彼も東大出身で私とは同窓ということもあり、話も弾んで、その後もよく会うようになった。当時、私たちは政治経済懇親会を立ち上げ、毎月居酒屋に集まっては、お酒を飲み、楽しく話をした。
彼はいつもきちんとした身なりで現れた。興味深かったのは、彼が常に2つの携帯電話を肌身離さず持っていて、しかも、そのうちの一つは全く使用しないのに、いつもフル充電状態だったことである。一度、朝トレ中に偶然会ったときにも、その2つの携帯電話は彼のベルトの当たりにつけられていた。後に、好奇心を押さえきれず彼にその2つの携帯電話の用途を尋ねてみた。彼は、一つは日常的な連絡用で、もう一つは緊急事態の際に市内のラジオにつないで、住民たちに直接災害情報をアナウンスするためのものだと教えてくれた。
荻市は3方向を海に囲まれ、半島のような地形になっている。台風や地震等の自然災害も大変多く、暴雨の際には土石流にも対応しなければならない。野村市長の重要な日常任務の一つが防災や災害対策で、例えば、台風が来る数時間前にはラジオや無線通信を使って漁に出ている漁船を呼び戻し、避難させなければならない。この時、市長は事前にその手順を定め、台風の大きさによって発表する災害情報のレベルも決めてあるため、全てはそれに従って進められ、一大事が起こっても市長が慌てることはない。それにより、市民も慌てなくなるのだ。
「今こそ、記者は第一線に立つべき」
地震発生後、中国メディアの友人からも、日本へ取材に行きたいという多くの電話を受けた。取材を受ける側の紹介や、彼らの宿泊先などを探しているうち、日本の友人である原英次郎氏とも連絡がついた。私からの電話をうけ、彼はこう言った。「今こそ、記者は第一線に立つべきだ。」実はこの時、彼も一記者として働いており、私は非常に驚いた。
原英次郎氏は以前、伝統的に政治色の濃い『週刊東洋経済』の編集長だった。原氏自身も強くその影響を受けていたのだが、数年前に辞職し、他の人と同じ道を選ばず、震災の最中にネット上で文章を発表する記者となっていたのには驚いた。
原氏と初めて出会ったのは1993年、もう20年ほど前になる。私たちは同じ慶応大学の卒業生で、私が博士課程で彼は本科ではあったものの、専門は同じ経済、しかも同じ先生の教えを受けていたこともあり、ごく自然に親しくなっていった。
彼と初めて会ったとき、すぐに個性的な人だと思った。その時、彼はチェック柄のシャツにGパンで走ってやってきた。日本では、正式な場での男性の服装はスーツに白いシャツと決まっている。しかし、多くの人々の中で彼だけがチェック柄のシャツを身につけていた。だからこそ印象深く、とても自由な人なのだと感じた。数年前日本へ行った際に会った彼もやはりあの時のままで、スーツにネクタイはしていたものの、大きな白ぶちの眼鏡をかけ、個性的な格好をしていた。
日本で百年以上の歴史を持つほとんどのニュース報道の方法は、まず政府から情報を入手し、それをあれこれ評価したうえで、報道として公開するというものである。原氏の方法はそれとは違い、日本の主要メディアが取材を行わないような専門家や比較的過激な観点を持つ人々を取材している。しかし、彼がそれなりの根拠や裏づけのもとで報道を行っていることを私は知っている。
彼の報道理念は、以前の日本メディアとは異質のものである。今、彼はまた新しい方法で報道を行っている。それは、政府や大手のメディアに依存することなく、純粋に一ジャーナリストとして自身が取材した様々な情報を、責任を持って放送するというものである。これは、日本の元来の報道に対するある種の補足的内容である。
日本国民が冷静さを保ち続けていられるのは、このような記者や世論環境と深く関係していると言える。
予想外の原発事故
今回の地震による福島の原発事故は、最も私を驚かせた。なぜなら、日本の原発がこれほど深刻な問題を引き起こすとは考えもしなかったからだ。以前、私は原発を見学したことがある。一回目は1995年日本の内閣府で仕事をしていた時で、二回目は島根県の原発で、そこでは原発建設の全過程をより詳しく知ることができた。
私は日本で多くの原発反対の書籍を目にした。そこからは、一千、一万単位で原発反対の理由を探し出し、並べ立てることができるが、「ある日津波が押し寄せて原発内の機器が故障し、それにより深刻な問題が起きる」という一文を探し当てることはできない。そんなことは、誰一人として、一言も触れていなかった。
それは、ギリシャ神話のアキレウスのかかとと同じで、神にも弱点があるが、それが最終的にどのような形で現れるかは誰にも分からない。そして、それは全てを終焉に導く起爆剤となるのかもしれない。これはここ数日、感慨深く考えていることである。
だが、私はやはり日本を信じている。この国は強大な生命力を持ち、一瞬のうちに美しく咲き誇る桜の花のように復興を遂げるだろう。私はそれを信じている。
日本の天皇、皇后両陛下、埼玉県の避難所を訪問
東日本大震災で、日本の天皇、皇后両陛下は8日午後、福島県双葉町の集団避難先になっている埼玉県加須市の旧騎西高校を訪問された。
大紀元http://www.epochtimes.jp/
【韓国】
中央日報http://japanese.joins.com/
更新なし
朝鮮日報http://www.chosunonline.com/
忍耐強い日本を読み解くキーワードとは
日本人は、特有の忍耐と克己、冷静さと落ち着きで危機を乗り越え、困難なときほど助け合い、他人に配慮するという国民性を発揮している。列島は揺らいだが、日本人は揺らがなかった。AP通信は「大混乱の中でも略奪や盗みはほとんどなく、腹を立てたり不親切だったりする日本人が見られないことに、西洋の記者が驚いている」と報じた。(3月17日付本紙既報)
大地震に遭遇した日本人が示した、冷静かつ控え目な対応スタイルが、全世界の関心を集めている。災害に対処する日本人の心理状態が気になるなら、日本の社会心理学者・南博(1914-2001)が書いた『日本人の心理』(ソファ社)を読んでみることを勧める。敗戦後の日本社会と日本人を冷静かつ客観的な目で見詰めるために書かれたこの本は、1953年に初版が出て以来かなりたつが、今でもルース・ベネディクト(1887-1948)の『菊と刀』(1946)と並び、権威ある日本人分析書に挙げられる。
日本人が、いかなる不幸に見舞われようともうろたえたり悲嘆したりしないのは、その心の中に色濃く漂う生への虚無主義的態度で説明される。日本人は昔から、歌や文学作品などを通じ「現世を無常と認識し、軽く眺めることが重要」と教え込まれてきた。人生への無常観は、日本の支配者たちにとって、民衆の不平不満を「眠らせる」効率的な統治原理だった。江戸時代の武士や第2次世界大戦中の神風特攻隊に、命を野の草と同じように感じさせたこの「無常観」は、今日の日本人の中にも、不幸に対し消極的態度を取る心理的免疫法という形で残っている。
日本人にとって、不幸に処するとき最も容易な「悟り」は、何も言わず、ひたすら耐えることだ。日本人が「無限に耐える」ことができるのは、昔から支配者たちが下々に「問答無用」を強調し、忍耐と服従が最高の美徳だと説教してきたからだ。江戸中期の禅僧・白隠(1685-1768)の梵讃(ぼんさん=仏・菩薩〈ぼさつ〉をたたえるサンスクリット語による詩句)にも「この世は忍耐の世であって、とにかく思い通りになるものではない」という一文がある。何をさせても「はい」と言って服従する習慣を培っていけば、やがて「忍耐」という習性が生まれ、心は安らかに、気立ては穏やかになるというわけだ。南は「絶対服従の結果であるこうした諦念は、何か理由があってのものではなく、無条件な諦念あるいは無気力といえる」と指摘した。
日本人は不幸に見舞われたとき、不幸な立場にあるのは自分だけではない、あるいはほかの人はもっと不幸な立場にあると考えて自分を慰める。江戸時代の儒学者・貝原益軒(1630-1714)はこうした行為を重要な心の修養法と考え、大いに勧めた。江戸時代、商人の間では「上を見れば何かを望んでばかりの身になるが、自分ほどは恵まれない人もいる」という意味の歌が流行した。もちろん、こうした「無常観」が、社会体制に失望した現在の日本人の怒りをどの程度「眠らせて」いるのかは未知数だ。
南博の著作で日本人の心の中をのぞいてみた読者なら、米国の日本文化研究家ポール・バーリーの『日本文化史』(キョンダン社)=原題『Japanese Culture』=で日本文化全般に目を通すのも、日本を幅広く理解するのに役立つだろう。1973年に初版が出て以来、改訂・増補を繰り返し、西欧の多くの大学で日本文化講義の教材として採択されている定番だ。先史時代の日本人の起源から、現代作家・吉本ばななの文学世界まで、日本文化の変遷を年代記的に記述し、茶道・庭園・文学・音楽・美術・演劇・映画などを網羅している。「日本は、前近代時代には中国から、近代には西洋から、豊富な文化的借用を行い、常に外国から借用したものを自分たちの嗜好(しこう)と目的に合うよう応用してきた」というのが、著者の主張。政治史と文化史を結び付けて平易に説明しているのが強みだが、日本文化と中国文化の関連性に言及しながらも、韓半島(朝鮮半島)との関連性を無視したり縮小・看過したりしているところに限界がある。
【米国】
ウォール・ストリート。ジャーナルhttp://jp.wsj.com/
菅首相の官僚外しと原発危機対策
菅直人首相は、震災で停止した福島第1原子力発電所の危機対応のため、旧来の官僚主体の指揮系統を排除し、独自にアドバイザーを招請して特別対策チームを設置した。このことは、キャリア官僚の怒りを買うとともに危機管理を誤ったとの首相への非難が強まっている。
災害基本法に基づいて設置された災害対策本部があるにもかかわらず、菅首相は、同原発の事業者である東京電力(東電)への対応に新たな緊急対策機関を併設したのだ。
3月11日の地震と津波以降にとった一連の措置を通じ、菅首相は、過去数十年にわたってキャリア官僚が政策策定を主導してきた日本で、国を統治する新たな方法を事実上試運転しているといえよう。
だが首相が現地視察に向かったことが過熱した原子炉の爆発を食い止める初動の遅れを招いたと指摘されている点を含め、自ら陣頭指揮しようとする首相の決意が危機を一層悪化させたとの批判が起きている。
菅首相が、おおかた反故(ほご)にしてしまった原発緊急時計画の策定にかつて一官僚としてかかわった与党民主党の福島伸享衆議院議員は、「マニュアルがあるにもかかわらず、マニュアル通りに動かず、アドホック的に自分たちで命令系統を作り時間を浪費している。実際にマニュアル通りに対応して事態がもっと軽症で終わっていたかどうかは分からないけれど、少なくとも対応が遅れた」と語る。
福島氏は、「今や経済産業大臣も東電の本社に行っている。言ってみれば、消防庁長官が火事の現場にいっているようなもの」と語る。大将は本丸にいるべきで、現地に判断をさせる部分、大臣が判断する部分、総理大臣が判断する部分はマニュアルであらかじめ分けてあったのだが、「どこで誰が判断するかということが一番混乱している」と指揮系統の混乱を指摘した。
東電と政府は、震災と事故への初期対応について批判にさらされている。菅首相はそうしたつまずきを、自ら陣頭指揮に当たることを正当化する理由にしてきた。首相周辺によれば、断固たる措置をとる以外、首相に選択肢はなかったという。
菅首相の側近トップである枝野幸男内閣官房長官は取材に対し「今回の災害対策では、通常の行政システム、時間の掛け方では対応できなかった」とし、政治が従来の手順や段取りにこだわらず判断することで一定の効果があったと弁明している。
とりわけ、3月19~20日の週末に東京都の消防隊員を原発の現場に派遣し、使用済み核燃料棒を貯蔵してあるプールを冷却するため何千トンもの水の放水にあたらせる手を打ったことは、菅首相の功績だという。
首相の危機管理へ直接手を下すやり方は、部内者をも驚かせてきた。地震発生当日から、菅首相は被災した原発に強い関心を示し、非常用発電機を原発ま で空輸できるかどうか尋ねたこともあったという。側近の一人、下村健一氏によると、首相は自ら携帯電話をかけて、発電機のサイズと重量を問い合わせたとい う。
民主党は、政治主導を唱えて選挙戦を繰り広げ、2009年に政権をとった。国家的危機のさなか、官僚主導を排除しようとする菅首相の決意は、官僚主導の日本においては明確に政治的色合いを帯びている。
政治的な非難の応酬に距離を置く人々の中にも、菅首相の政治主導の原則を評価する一方で、その原則を実行に移す際にあまりにも多くのことを自分でやろうとしたことで、つまずいた、との見方がある。
日本大学の政治学者、岩井奉信氏は、「民主党は危機管理のノウハウが弱い」、「素人だったことがマイナスになっている」 と語る。
菅氏は、1980年に政界入りし、長く野党に身を置いた。96年には厚相として、HIV(ヒト免疫不全ウイルス)に汚染された血液製剤の流通に 関わる隠ぺい工作を暴き、官僚と企業幹部に責任をとらせた。菅氏には、福島原発事故もまた、大企業と官僚の癒着を物語るものと映った。
99年に制定された原子力災害対策特別措置法は、首相を本部長とする原子力災害対策本部の設置を定めている。菅首相は、この法律に従って同本部を設 置した。しかし、側近トップの枝野官房長官によると、首相はその後、情報が幾層もの官僚機構をくぐって上がってくるのをただひたすら待たなければならな かったという。
日本共産党が発表した会談筆記録によると、菅首相は先週、共産党の志位和夫委員長に対し、「『原子力村』というか、ある種、専門家のギルド的な雰囲気がある」と語っている。
地震後数日以内に、菅首相は独自の計画を練り上げていた。3月15日午前5時30分に東電本店に乗り込んだ首相は、東電本社内に統合対策本部を設置 することを経営陣に伝えた。この新しい対策本部には、菅首相の補佐官らを配置することとし、東電から直に情報を取って、その場で命令を出せるようにした。
こうした臨機応変の措置は、各国が「責任の明確な割当」を伴う「指揮統制体制」を事前に設けるよう定めている国際原子力機関(IAEA)のガイドラインに反しているとみられる。
首相サイドは東京都の消防隊の派遣を、新体制が機能している例として挙げているが、それ以前の、過熱する使用済み燃料プールの冷却を試みて失敗した機動隊高圧放水車の一件を批判する向きもある。
元警察官僚で自民党衆議院議員の平沢勝栄氏が首相官邸や一部民主党議員から聞いた話では、官邸はまず、機動隊放水車を派遣するよう命じたという。平沢氏は、そこは当然官邸に責任があるとし、放水を専門にしているのが消防であることは子どもでも分かると述べている。
四方敬之内閣副広報官は、まず消防を呼ぶべきだったと思った人もいるかもしれないが、内閣府はその時点時点で最善と思われる措置をとってきたと述べている。
放射線データ公表の遅れの責任が誰にあるのかについても、双方の言い分は食い違っている。政府の原子力安全委員会はようやく23日になって、福島第 1原発周辺20キロ圏内の避難地域の外でも放射線濃度が高いおそれがあると公表した。このデータ発表を受け、政府は原発から30キロ圏内の住民に避難支援を提供することにした。
首相側近によると、首相は22日の会合に原子力安全委員長ともう一人の委員を呼び出し、官僚の縄張り争いについて不満を表明することで、データ公表に直接介入したという。
前出の福島議員は、皆が手順に従っていたなら、こうした情報は「即時公表」されていたはずという。一方、原子力安全委員会の広報官によると、データ公表の遅れは、重要データの不足と委員らの多忙な日程によるものだったと説明した。
震災翌日12日午前7時ごろの菅首相の福島第1原発視察をめぐっても議論がある。菅首相は、床の上に毛布にくるまって眠っている作業員の脇を通 り抜けて、小会議室で原発施設の幹部2人と20分間にわたって会談した。ある側近によると、首相は技術的質問をし、過熱する原子炉を冷却する方法について アドバイスしたという。
問題は、この視察のせいで1号機のベント開始が遅れたかどうかだ。原子力安全・保安院が発表した時系列記録によると、11日午後10時の時点には、 保安院当局者は、翌日早朝には1号機原子炉内部で炉心が溶け始めると予想し、圧力を下げるための緊急ベント開始を要求していた。だがベントが始まったの は、菅首相が現場をあとにした数時間後だった。
菅首相は、視察のせいでベント開始が遅れたことを否定した。政府当局者は、遅れの原因が、電源喪失後に手動で弁を開くことの難しさと連絡上の問題にあったとしている。
官僚の不満が募るなか、菅氏の長年のアドバイザーだった北海道大学の政治学者、山口二郎氏は先週、首相官邸に緊急面会を申し入れ、官邸で40分間会談した。山口氏と同僚の北大教授は菅首相に、官僚の活用を強く促したという。
山口氏は首相に、「責任追及をしている時ではないといった」という。同氏によると、菅首相は、一部始終を伝えてくれないから官僚は信用できないと改めて不満を漏らし、会談は不本意な結果に終わったという。
しかし、首相側近はこの助言を受け入れる兆しをみせており、民主党が政権に就いて以後廃止した事務方トップの会合を復活させた。この会合は目下、震災救援・復興に関する政策の調整に当たっている。
石原氏、大差で4選=知事・政令市選、現職11人全勝―議員選で民主大敗【統一選】
【英国】
ロイター http://jp.reuters.com/
終わり見えない福島原発事故、反原発の動きに勢い
東日本大震災で被災した東京電力(9501.T: 株価, ニュース, レポート)福島第1原子力発電所の事故は依然として出口の見えない状況が続く中、日本国内では、これまであまり目立っていなかった反原発の動きが勢いを増している。
政府は2030年までに、総発電電力量に占める原子力発電の割合を現在の30%から50%に高めることを目標にしているが、国内の原発議論が過熱すれば、その達成は難しくなるかもしれない。
福島原発の様子は連日新聞やテレビ、インターネットで報道され、放射性物質の流出を封じ込めようとする取り組みを世界中が固唾(かたず)をのんで見守っている。1986年に起きたチェルノブイリ原発事故以来、最悪の事態に陥っている今回の事故。日本国内では、現在運転中の原発54基の安全性と、政府の増設計画を疑問視する声が増えている。
福島県選出の自民党の吉野正芳衆院議員は6日、記者会見の質疑応答で「原子力を推進してきた立場の1人として、原子力政策をこのまま推進していいかどうか、大いに迷っているところだ」と心情を吐露。「きちんとした検証を踏まえて政治家として判断していかなくてはならないと頭では分かっているが、ただ、体ではもう要らないという立場だ」と述べた。
中国電力(9504.T: 株価, ニュース, レポート)は先月、山口県の上関町で進めている原発の敷地造成工事を一時中断すると発表。上関原発は2018年の運転開始を計画しているが、福島原発の事故を受けて「ムードが変わった」と反原発活動家の1人は指摘する。「原発は安全だという強硬論を繰り返してきた市長たちと議員らは沈黙している。市民も原発は危険だと言うようになった」という。
資源の乏しい日本では、政府はこれまで長く、原子力の重要性を強調してきた。昨年発表されたエネルギー政策では、2030年までに少なくとも14基の原発を増やす計画を明らかにしている。
また有権者も、原発が国内総電力の約30%をまかなう状況にあることに加え、温室効果ガス削減にも寄与するということで、概して原子力エネルギーの役割を支持してきた。
しかし、福島第1原発の事故で多くの地域住民が避難を余儀なくされ、雨水や海水、農産物や魚介類への放射能汚染の懸念が高まるに従い、風潮は変わってきたようだ。
菅直人首相は先週、原発増設計画の見直しを検討する意向を示した。
4月10日投開票の東京都知事選でも、原子力政策に関する議論が1つの大きな争点になっている。有力候補者である前宮崎県知事の東国原英夫氏は「ゆくゆくは原発依存を減らさなくてはならない」とし、東海地震の想定震源域上にある静岡県の浜岡原発については、運転中止も含めた見直しを検討すべきだとの考えを示した。
ただ、原子力の安全性をめぐり、日本国民の世論が一気に反原発に向かうには、依然として長い距離があるように見える。現状では、原発を抱える多くの地方自治体が、政府や事業者からの交付金や負担金に依存している。
同じく4月10日投開票の福井県知事選では、共産党公認で新人の宇野邦弘候補が、3選を目指す無所属現職で原発推進派の西川一誠候補と票を争う。宇野氏の元には、原発停止を涙ながらに訴える有権者が訪れる一方、地方財政の破たんを懸念する声も寄せられるという。
福井県内には国内最多14基の原発が稼働しており、これまで長い間、学校やスポーツ施設、道路の建設などに原発交付金を使ってきた。
宇野氏は電話取材に対し「有権者は心の奥底では、原発はないほうが良いと思っているが、雇用などほかの要因を考え、必要悪だとみなしている」と述べた。
震災1カ月、犠牲者に祈り
震災集中捜索で90遺体収容
2011年 04月 10日 23:23 JST
第1原発、汚染水除去が本格化
2011年 04月 10日 23:11 JST
県外避難者は3万4千人
2011年 04月 10日 21:57 JST
大震災1カ月、原発汚染に不安
2011年 04月 10日 21:41 JST
宮城県、20年度目標に復興
2011年 04月 10日 21:09 JST
2人焼死、震災影響で自殺か
2011年 04月 10日 18:37 JST
陸前高田、避難所で卒園式
2011年 04月 10日 18:17 JST
原発20キロ圏を警戒区域に
2011年 04月 10日 17:25 JST
6人に1人「もう限界」
2011年 04月 10日 17:25 JST
高濃度汚染水、午後にも移送
2011年 04月 10日 11:35 JST
【スイス】
スイス・インフォhttp://www.swissinfo.ch/jpn/index.html
ロイターと同じ
【オーストラリア】
25Today オーストラリア
http://top.25today.com/
体調不良で作業員搬送=高濃度汚染水の回収準備中-福島第1
東京電力は10日午後、福島第1原発2号機で高濃度放射能汚染水の回収準備作業をしていた協力会社の30代の男性作業員が体調不良で病院に運ばれたと発表した。同日午前9時半に作業を始め、同11時10分に体調不良を訴えた。医師に過労と診断されたという。
放射性物質の付着はなく、放射線被ばく量はこの日の作業で設定した5ミリシーベルトにほぼ相当する4.84ミリシーベルト。累積被ばく線量は16ミリシーベルトと、現在の特例限度の250ミリシーベルトより低かった。
現場は2号機の海水配管トンネル立て坑。汚染水の水位が上昇しており、ポンプでタービン建屋の復水器に回収するため、約30人がホースの設置作業をしていた。作業員は上下つなぎの防護服にかっぱ、全面マスク、ゴム手袋を身に着けていたという。
同原発では9日にも協力会社作業員が水処理建屋で気分が悪くなり、ふたのずれたマンホールに足を踏み入れて負傷、病院に運ばれた。東電の松本純一原子力・立地本部長代理は記者会見で、冷却機能を備えたベストを装備するなど、夏に向け熱中症対策を強化する方針を示した。(2011/04/10-19:54)
【フィリピン】
日刊マニラ新聞
http://www.manila-shimbun.com/index.html
比日双方に恩恵あり [ 715字|2011.4.11 | 政治|新聞論調 ]
大震災受けた工場移転
【タイ】
バンコク週報http://www.bangkokshuho.com/
更新なし
【インドネシア】
じゃかるた新聞
http://www.jakartashimbun.com/
更新なし