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カントのプトレマイオス的反転【有限性の後で#12】

2024-03-15 06:10:44 | 哲学の窓

カントのプトレマイオス的反転【有限性の後で#12】

*1 有限性の後で p187 「さらに踏み込んで考えるならば、原化石の問題は、実は祖先以前的な言明のみに限定されるものではない。というのも、それは思考と存在の時間的不一致において意味を持つような言説すべてに関わっているからである。したがって、人類が出現する以前の出来事に関わる言明だけでなく、人類の消滅以後において可能な出来事に関わる言明もまた、そこでは問題となる。というのも、例えば地球上の全生命を滅ぼす隕石の衝突についての気象学・地質学的な帰結をめぐる仮説が、そもそもいかなる意味の条件にもとづいているのかを規定しなければならない場合に、先の私たちの問題は同じく提起されるだろうからである」 *2 有限性の後で p189~ *3 有限性の後で p192 「人間から分離可能な世界を開陳するという、この数理科学の能力ーデカルトが全力を投じて理論化した能力ーこそ、ガリレイ的転回とコペルニクス的転回の根本的な融和を成立せしめた当のものである。コペルニクス的転回という言葉によって私たちが言わんとしているのは、実のところ、太陽系の中にいる地上の観測者を脱中心化した天体的な発見のことではない。そうではなく、それは自然の数学化を主導したもっと根本的な脱中心化、すなわち認識過程のただなかにおける、世界に対する思考の脱中心化のことなのである」 *4 有限性の後で p196 「カントは『純粋理性批判』の第二版序文において、みずからに固有の思考における転回を打ち立てるべく、コペルニクスの転回をみずからのものとして引き受けている。そして、批判を通じたその転回は、認識を対象に従わせるのではなく、対象を認識に従わせることをその本質とするのだ。だが、いまやよくわかるように、カントが導入した思考における転回は、むしろ『プトレマイオス的反転』にこそ比肩しうるものである」 *5 一見して科学と哲学に対立が見えないのは、科学の力が哲学のそれに比べて圧倒的に強大だからでしょう。 □参考文献 有限性の後で: 偶然性の必然性についての試論 https://amzn.to/3Xk4suq 思弁的実在論入門 https://amzn.to/3k8n16s 思弁的実在論と現代について: 千葉雅也対談集 https://amzn.to/3CCdPxT モノたちの宇宙: 思弁的実在論とは何か https://amzn.to/3CYpjfp


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