今日は新聞休刊日なので、昨日のコラムの一部を紹介します。
・ コロナ自粛でテレビの再放送が増えた。2年前に急逝した俳優、大杉漣(れん)さんの顔を見かけると、いまだ亡くなった実感が湧かない。出演作が多かったので、来年も新作映画公開が控えている
▲北野武監督の映画「ソナチネ」のオーディションを受けた時は40歳。駄目なら俳優を辞めるつもりが面接に1時間も遅れてしまう。後片付け中の監督に歩み寄ると、一目で「帰っていいですよ」と言われたが、採用された
▲以来、世界的な北野映画の常連となる。不思議な出会いだが、監督には見えたのだろう。言葉も衣装も道具も要らない裸の役者が、そこに立っているぞと。大杉さんは何でもない立ち姿に、ただならぬ気配を感じさせた
▲1970年代に活躍したアングラ劇団の一つ「転形劇場」の出身だった。主宰者の劇作家、太田省吾は「裸形(らぎょう)の演劇」をめざし、言葉も動きも次々とそぎ落とした末に、独自の沈黙劇へ到達する。代表作「水の駅」は、世界演劇史上の古典である
▲役者は2メートルを5分かけて進み、発声しない。NHKテレビの舞台放映時「これは演出で放送事故ではありません」と字幕が出た。それでも観客は多くの言葉を聞き、行為する身体と空間を感じ取る。沈黙を演じた昭和末の15年が大杉さんを作った
▲沈黙劇はDVDで見られるが、劇場での驚嘆には遠い。ITの発達で生活の距離や速さは驚異的に飛躍し、言葉は無意味に氾濫している。これが文明の進歩なのか。大杉さんのたたずまいは黙って問いかける。
・ 長らく休業を余儀なくされていた寄席や映画館がようやく再開され、街角に大衆文化の潤いが戻ってきた。感染予防対策として入場時に検温や手指の消毒、マスクの着用を求めている。客席の間隔は十分に。興行の世界でも新たな日常が始まった。じきに慣れるだろう。
▼今の世相をどう笑いのめすのか。都内の寄席をのぞいた。開口一番。「お客さまも不要不急の落語に命懸けでご来場いただきまして……。本当に大丈夫ですか?」。とは、随分なご挨拶ではないか。奇術では、「タネも仕掛けもない箱から、皆さまの不安をパッと解消するものが出ます」。案の定、新品のアベノマスクだ。
▼座が温まった頃合いに、伝統芸「紙切り」の名人が登場。梅雨時の風情漂う「相合い傘」と「アジサイ」を披露した。客席のリクエストにも応じる。常連さんから「賭けマージャン」のお題。難度の高い時事ネタだ。パイを握る検察幹部らを鮮やかに切り抜いたから、大喝采。マスクで見えないが、皆さん破顔一笑だろう。
▼東京都知事さまも大人気だ。オーバーシュート、ロックダウンにステイホーム。どうして横文字を連発するのかね。そのうち「一寸先はダーク」とか言い出したりして……。寄席がハネると、週末の夜の街は結構なにぎわいである。一寸先は闇の浮世。とならぬよう、笑いで緩んだ口元を少々引き締め、真っすぐ帰宅する。
・その熊は隠者と友だちになった。夏の日、熊と隠者は連れだって散歩に出掛けたが、隠者の方が先にくたびれてしまい、木陰で眠ってしまった。友だち思いの熊は見張り役となって、老人の顔にたかってくるハエを追い払ってあげた
▼それでも、ハエはしつこく老人の鼻や額にとまろうとする。「黙らせてやる」。熊は大きな石をつかむと、隠者の額にとまったハエめがけてたたきつけた。大切な友だちは二度と起きてこなかった
▼ロシア作家クルイロフの「隠者と熊」。寓話(ぐうわ)が教えているのは人のためと信じたことでもかえって害になる危険があるということだろう。政府は仮釈放中の性犯罪者に対し、衛星利用測位システム(GPS)端末の装着を義務付けることを検討しているという。友を失い、うろたえる熊の顔がいやでも頭をかすめる
▼欧米や韓国などでは既に導入されており、再犯率の高い性犯罪の抑止には有効というデータもあるという。幼い子どもが狙われやすい犯罪でもあり、導入は当然という意見もある
▼注意したいのは悪気のない熊にならぬことである。性犯罪という許し難いハエを追い払いたい。されどGPS監視というその石はあまりに強力すぎて人権や社会という大切なものを傷つけはしまいか
▼導入するにしても歯止め策を含め、慎重に検討したい。ハエを追い払う別の方法だって見つかるかもしれぬ。
※ 昨日の社説の最後に私が書いたことが中日に書かれています。
日本がおかしいのか、日本だけがまともなのか・・・・