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道徳的恣意性(努力は才能なのか?)【正義と善#7】

2021-10-15 06:10:45 | 哲学の窓

  哲学チャンネルより 道徳的恣意性(努力は才能なのか?)【正義と善#7】を紹介します。

ここから https://www.youtube.com/watch?v=KQAI8hv_ido

動画の書き起こし版です。
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こんにちは。哲学チャンネルです。 サンデルは『契約が道徳的な圧力を有する条件』を 【自律性】と【互恵性】に求めました。 互いが真に自分の意志で契約を結ぶ【自律性】 相手から得た利益に報いる義務である【互恵性】 この二つが満たされている場合、 契約と道徳は一致すると考えました。 しかし実際の契約のほとんどはこの二つの条件を有していません。 自分が生きる国の憲法や法律に同意した覚えがないと考える人は多いでしょうし 契約を結んだからといって、それが正当な条件を満たしているとは限りません。 ロールズが提示した【無知のヴェール】は この条件を満たす仮想上の契約を引き出せる非常に有用なものでした。 しかしその結論には問題もあります。 社会的弱者の利益になるような不平等しか認めないという格差原理は 当然社会的強者の不満を生みます。 社会的強者が努力をしてその結果を手にしたのに対し 社会的弱者は努力せずにその立場に甘んじている場合、 それでも強者は弱者に対して利益を提供しないといけないのでしょうか? ロールズはその通りだと答えます。 彼は【道徳的恣意性】という概念でそれを説明します。 曰く、富や教育、才能は平等ではない。 そして「努力できる才能」も平等ではない。 彼はこう言います。 「努力し、挑戦し、一般的な意味での評価を得ようとする姿勢でさえ 幸福な家庭と社会環境に依存する」 これは非常に難しい議論です。 サンデルはこれについて、自身の講義で行った実験を引き合いに出します。 彼が教鞭を執るハーバード大学の生徒を(厳密ではないが)調査すると その8割が長子であることが判明しました。 現在の心理学においては生まれ順が本人の勤勉や地道に努力をする 傾向に影響しているとされます。 当然、生まれた順番は本人の努力の成果ではありません。 このように、社会における格差の源泉には【道徳的恣意性】があるとし ロールズはそれを前提に『各人の与えられたものを公共の財産としてみなし それが生み出す利益を分かち合う』という格差原理を提唱しました。 つまり、生まれも育ちも努力する才能も公共の財産であるというのです。 公共の財産に恵まれた個人は、それを社会に還元する義務がある。 これがロールズの平等主義です。 ロールズは自身の平等主義とその他3つの理論を比較します。 一つ目は封建制度やカースト制度 これは生まれに基づく固定的な階級制度です。 この制度を擁護する人はほとんどいないでしょう。 生まれによって富や権力を恣意的に配分することは 人間の権利を侵害していると言えてしまうからです。 二つ目はリバタリアニズム 形式的な機会均等を伴う自由市場です。 実力によって誰しもにチャンスと自由が与えられた世界では 一見、それぞれに平等なチャンスが与えられているように見えます。 しかし、生まれや育ちが能力と因果関係を持つ以上、 平等とはほど遠い考えだとロールズは主張します。 三つ目は実力社会 公正な機会均等を伴う自由市場です。 この社会がリバタリアニズムと違うのは、教育の機会均等を目指すことです。 教育の無償化や家庭内育児のサポートなど 教育による能力向上の格差をなくすことで真の平等を目標にします。 しかし、ロールズはこれも不十分だと考えます。 仮に教育が完全に平等になったとしても そこには依然として才能や能力の差があります。 彼は才能や能力も公共財産だと考えましたので その格差も制度によって是正すべきとするのです。 ちなみに、彼は共産主義を目指したわけではありません。 格差を是正する制度において、それが弱者のためになるならば 積極的にインセンティブを認める立場でもありました。 その努力が世の中に与える好影響と、 その努力にモチベーションが向かうだけのインセンティブ。 この釣り合う位置を制度によって規定すべきと考えたようです。 サンデルはロールズの思想、同時にリベラリズムを批判します。 (サンデルの仕事の中でも最大のものの一つがリベラリズム批判でした) 彼は『アファーマティブ・アクション』を例に挙げて ロールズの格差原理に対して批判を加えます。 『積極的差別是正措置』と訳されるこの施策では マイノリティの不利を制度によって是正します。 例えば大学入試。 非マイノリティの合格基準点よりも マイノリティの合格基準点を低く設定することで 大学内の成員をコントロールします。 つまり、入試で300点を取った非マイノリティのAは不合格で 入試の点数が250点だったマイノリティのBが合格する。 のようなことが起こりえるのです。 これは非常にロールズ的な制度と言えるでしょう。 無知のヴェールを被った会議においては この制度は支持される可能性が高いです。 自身がマイノリティに属している可能性がありますからね。 しかし、サンデルはこれに異論を唱えます。 確かにアファーマティブ・アクションは格差を是正する可能性があるが それは果たして大学という公共の組織において正しい判断なのだろうか? そもそも、正義や権利の問題を、美徳や善の問題と切り離して考えて良いものなのか? サンデルはこの疑問に対する一つの回答を アリストテレスの【目的因】に見ました。 次回はアリストテレスの【目的因】について紹介します。 以上です。

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