チャイコフスキー:交響曲第5番ホ短調 作品64 (スコア付き)
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー: 交響曲第5番ホ短調 作品64 TH 29 ČW 26 (スコア付き) 作曲年代:1888年 指揮:エフゲニー・ムラヴィンスキー 管弦楽:レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団
00:00 第1楽章 Andante—Allegro con anima (ホ短調) 14:37 第2楽章 Andante cantabile con alcuna licenza (ニ長調) 26:32 第3楽章 Valse. Allegro moderato (イ長調) 31:57 第4楽章 Finale. Andante maestoso—Allegro vivace (ホ長調)
《交響曲第1番ト短調 作品13『冬の日の幻想』》の発表以来、数年おきに交響曲を発表していたチャイコフスキーであったが、1878年の《交響曲第4番ヘ短調 作品36》以来、10年間交響曲から距離を置くこととなる。発想の枯渇が原因と考えられてきたが、その間には《イタリア奇想曲 作品45》や《序曲『1812年』作品49》など数多くの名曲が生み出されており、晩年の創作活動への試行錯誤の時期と考えるのが一般的となっている。 一方で、《交響曲第5番ホ短調 作品64》作曲中の手紙には「役に立たなくなった自分の脳味噌から、苦心惨憺して交響曲を絞り出すことを始めようとしている。」という記述があることや、完成後も気に入らず第4楽章を改変していることなどから、苦心した交響曲であることが推察される。 初演は1888年11月17日にペテルブルグで作曲家自身の指揮で行われた。聴衆の受けは良かったが、作曲家のツェーザリ・キュイに「全体として交響曲は思想が貧弱で、音が音楽に勝っていて、聴くに耐えない。」との酷評を受けた。自信を無くしたチャイコフスキーは、1888年12月22日・23日のモスクワ初演で第4楽章・第502小節1拍目(本動画では41:53)にシンバル1発を追加したり、1889年3月15日のハンブルク初演で第4楽章をカットしたり試行錯誤を重ねた。これらの公演は成功をおさめた。ハンブルク公演のリハーサルを聴いたヨハネス・ブラームスには「第4楽章の最後以外は素晴らしい」と評価され、自信を取り戻したチャイコフスキーであったが、以降チャイコフスキー自身が演奏会でこの交響曲を指揮することはなかった。 1891年以降、ハンガリー出身の指揮者アルトゥル・ニキシュがこの交響曲を世界中で取り上げたことで次第に再評価され、今日ではチャイコフスキーの「三大交響曲」の一つとして広く受容されている。 この交響曲の最大の特徴は、各楽章に「運命の主題」と呼ばれる主題が必ず登場する「イデー・フィクス(固定楽想)」的な要素を取り入れていることである。各楽章で「運命の主題」は調性やテンポ、強弱で性格を変えて登場し、最終的には長調のファンファーレとなって曲を締めくくる。