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どう例えると説得力が増すのか-中日春秋より-

2011-01-30 06:39:37 | 教師のための指導法
教師の仕事の一つが、価値あるメッセージを伝えることです。

しかし、そのまま言葉に出しても伝わりません。

多くの場合、何かに例え、具体化して伝えようとします。

昨日の中日春秋(中日新聞のコラム)は、その例えの上手さに感心しました。

まずはご覧ください。

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 ピッチャーズプレートからホームベースまでは、案外遠い。野球規則では確か、一八・四四メートル

▼もし、幼稚園児が投げるのが前提なら、そんな規則にはしない。ボールが届かなければゲームにならないからだ。それと同じで、政治制度にも当然、想定されたレベルがある

▼たとえば、二院制。衆院で過半数をとった勢力が参院で過半数を得られない「ねじれ」になることも当然ある。だから、たとえ、そうなっても対立を議論で乗り越えることができるレベルの政党や政治家が国会にいる、というのが前提である

▼逆に、「ねじれ」になると、対立一辺倒。妥協や譲歩で一致点を探りながら合意形成していく能力がない政党、政治家ばかりというのは制度の想定外だ。一つの勢力が両院を制す「まっすぐ」の時しか機能しないなら、二院制は、わが国の政治には高級すぎることになる

▼それでも、一院ではやはり心配、第二院は必要だとなると、今度は、国民の投票の“自由”が損なわれる。「ねじれ」ると、即、行き詰まるのだから、注意して、衆院で勝たせた勢力を、嫌でも参院で勝たせなければならなくなる。もう与党にノーも言えぬ…

▼そうならないための策は一つ。政党や政治家が制度の想定に沿う能力を見せることだ。つまり、ちゃんとホームに届く球を投げて、決して幼稚園児ではないことを証明すればよい。

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ねじれ国会での議論の閉塞感は、誰もが感じているところです。

その問題点を、「ボールが届かなければゲームにならない」と、野球に例えました。

「ねじれが機能しない二院制は我が国には高級すぎる」というのは、幼稚園児では野球ができないということです。

このメッセージに、国会議員はなんと応えるのでしょうか?


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