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12月12日は新聞休刊日

2011-12-12 06:34:48 | 社説を読む
今日は新聞休刊日。昨日のコラムを紹介します。

朝日新聞
ユーロの現金が出回る前、この通貨の漢字表記について雑文を書いたことがある。中国語の「欧元(オウユワン)」では味気ない。おしゃれな欧風で「遊露」をあてたいけれど、前途の険しさを思えば「憂路」かと。10年後、これほどの憂いになるとは露知らず▼通貨統合の弱みは当時から言われていた。財政は国ごとなのに、貨幣と金融政策だけ一緒にする半端である。ある国が野放図に借金を増やせば、ユーロの信用が揺らいで他国に累が及ぶ。まさに目下の危機だ▼英国を除く欧州連合(EU)各国が、財政規律を締め直すことを申し合わせた。EUの本丸、ドイツやフランスの国債までが格下げ圧力にさらされる中、背水の合意だった▼せっかちな市場と、じれったい民主主義。マネーの奔流に比べ、EUや各国議会の意思決定はのろく、燃える家で防火対策を相談する図にも見える。それでも、血相を変えたリーダーたちが徹夜で談判する姿は悪くない。国益のため、明日のためにもがくことこそ、政治家の仕事だから▼さて、東の借金大国である。国会は問責決議二つを残して閉じ、重要法案は先送りされた。ムダ減らしにも、増収策にも見るべき進展はない。与野党の溝どころか与党内さえまとまらず、世界の激動とは別の時間が流れるかのよう▼市場に迫られての改革のつらさは、欧州が身をもって示している。ユーロを案じているうちに、円もいつ「炎(えん)」になるか分からない。内向きの政争ではなく、真っ当にもがく政治家を見たい。

読売新聞
福島第一原子力発電所にほど近い高校で教師をしていた父が、自宅に戻ってきたのは爆発事故の2日後。昼夜を徹して生徒たちの避難に当たっていたのだ◆瓜生健悟君(福島県いわき市立勿来第二中学3年)が「なぜ電話一本くれなかったのか」と責めても、「大人になればわかる」と言うばかり。そんな父が突然、祖父に頭を下げ、残ったガソリンで行けるところまで健悟君を連れて逃げてくれと頼み始めた◆体外受精でようやく授かった命が健悟君であること、母は命の危険を冒して出産し、今も後遺症に苦しんでいること。それらを初めて聞かされた健悟君は、等しく重い人命を救おうと行動する父の強い心に感動し、気がつく。「両親の無償の愛と、時にはそれに代えてもやらねばならない使命が大人にはある」ことに◆健悟君の「震災を乗り越えて」は、今年の「少年の主張全国大会」(国立青少年教育振興機構主催)で内閣総理大臣賞を受賞した。将来は「人命を救う医師への道」を目指すという◆毎年、大会会場で、中学生の真っすぐな訴えに耳を傾けている。心洗われ、元気までもらって帰ってくる。


毎日新聞
余録:テレビの価格競争
 パナソニックが同社で第1号のテレビを生産したのは1952(昭和27)年のことである。17インチ白黒で29万円もした。庶民には高根の花だったが、低価格化が進み、50年代後半になると洗濯機、冷蔵庫とともに「三種の神器」ともてはやされるようになる▲60年には、カラーテレビを売り出す。これも17インチで37万円という高級品だったが、60年代半ばになると一般消費者の手が届く値段になり、今度はクーラー、自動車と合わせて「新・三種の神器」と呼ばれた▲その後、テレビはハイビジョン、プラズマや液晶の薄型へと進化を遂げる。だが、当初の高価格がすぐに下落する歴史は繰り返し、メーカーを悩ませてきた。「画王」「ビエラ」などヒット商品を送り出してきたパナソニックも、今年度中に看板事業の縮小に踏み切る▲その決断の裏には、韓国や台湾企業に価格競争で勝てなくなった現実がある。部品を購入して組み立てればテレビが作れるようになり、差別化するのが難しくなってきた。円高も重くのしかかる。ソニーもテレビ事業の赤字が続き、立て直しを迫られている▲「三種の神器」に沸いた高度成長期も遠い昔となり、テレビは長年維持してきた「家電の主役」の座を降りた。電機各社は新たな柱を求め、激しい戦いを繰り広げている▲パナソニックは今後、太陽電池やリチウムイオン電池など環境・エネルギー分野に力を入れる方針だ。テレビに限らず、半導体などかつては日本のお家芸といわれながら、アジア勢に取って代わられるパターンが相次ぐ。この国のものづくりを守っていけるかどうか、正念場を迎えている。

  
日本経済新聞
赤レンガの東京駅と皇居を結ぶ大通りは皇室などの行事に使われ、行幸通りと呼ばれる。地下部分は近年、明るい歩行者専用通路に変身し、両側の壁はギャラリーになった。ここでいま「希望」をテーマに掲げた写真展が開かれている。

▼素人写真家が被災地で写した作品も多い。大地にすっくと立つ2歳の女の子の姿がある。壊れた街を見て沈む親に「私がみんな直してあげる」と語ったそうだ。マヨネーズで笑顔を描いた具の乏しいお好み焼きの写真もある。食料不足の病院で職員が患者のため作ったものだ。地下道を歩く人が足を止め、見入る。

▼いいと思った写真にはその場で投票できる。1票当たり100円を、主催する撮影機材の会社が被災地に寄付する。作品は写真ファンがよく見る自社のホームページや専門誌で募集した。ネット上だけで公開し投票を募る予定だったが、ギャラリーを運営する会社の協力を得て、都心の一等地での展示が実現した。

▼企業の社会貢献といえば利益の一部を寄付して終わり、が主流だった。最近はこの写真展のように、会社や社員の持つ技術や設備、人のつながりを活用する例が増えている。無理がなく、長い目で見れば本業や社員の活性化も期待できる。活動の幅やアイデアで先行するのが欧米勢だ。頑張れ日本企業。

(11・12・11)


 
産経新聞
作家、梅崎春生は終戦前の一時期を、海軍の通信暗号手として鹿児島・桜島の洞窟で過ごした。その経験をもとに書いた『桜島』の中で、この火山島の姿を描く。「代赭色(たいしゃいろ)の巨大な土塊の堆積であった。赤く焼けた溶岩の、不気味なほど莫大(ばくだい)なつみ重なりであった」。

 ▼桜島は鹿児島のシンボルであり、出身者の「心の故郷」でもある。だが戦争という非常時にこの島に送り込まれた福岡育ちの梅崎は、間近に見る活火山にただただ圧倒されたようだ。今でも初めて訪れる人の目にはまるで異国の風景のように映る。

 ▼その桜島の「爆発的噴火」の回数が今月初めに1万回を超えたという。昭和30年10月に大爆発を起こして以来の通算記録である。計算してみると、この56年の間、ほぼ2日に1回の割合で噴煙を上げていたことになる。この数字にも驚くしかない。

 ▼もっとも地元の気象台によると、この3、4年爆発を繰り返し、回数を増やしているのは昭和火口という噴火口である。それまで「主流」だった南岳山頂火口からのものに比べると、噴火規模はかなり小さいそうだ。だから「数字だけであまり騒がないでほしい」という。

 ▼確かにこれだけの噴煙のもとでも、桜島では5千人以上の人々がさまざまな暮らしを営んでいる。対岸の鹿児島市街も、降灰の悩みはあるものの、生活に大きな変化はないようだ。空高く噴き上がる煙が山の威容とともに貴重な「観光資源」となっているのも事実だ。

 ▼火山とともに生きるその術(すべ)やたくましさには敬意を払いたい。ただ日本全体を見渡せば、桜島だけでなく多くの活火山が連なっている。そのことを忘れてはならない、という警告をこめた噴煙のようにも見える。


中日新聞
日本の外交史上、最大の失態は、対米開戦を通告した時刻が真珠湾攻撃の開始から五十分間も遅れたことだろう。だまし討ちに、分裂していた米国民の世論は一つになった、というのが通説だ

▼攻撃時刻の三十分前に米国側に手交するはずだった宣戦布告文が、大使館員の電文解読やタイピングの遅れによって、ずれ込んだことなどが原因とされてきた

▼この「大使館怠慢説」に異を唱えている人がいる。元外交官の井口武夫氏だ。三年前に発表した著書『開戦神話』は、発掘した新史料によって、日本側がハル国務長官に手交した通告文は、軍部によって意図的に開戦意図が削られた事実を浮き彫りにしている

▼その通告文は、大使館への電文の到着が遅れるように陸軍が工作した疑いが強いという。事実なら、だまし討ちの汚名は米側に開戦を察知させない策略の報いである

▼軍部の圧力に屈した東郷茂徳外相らは、通告遅れの責任を大使館員のミスという小さな問題にすり替えた、というのが井口氏の主張である。歴史が定まるまで、七十年という歳月は短すぎるのだろうか

▼残念ながら、変わらないのは官僚トップの責任逃れだ。原発事故の責任を取って更迭されたはずの経済産業省の事務次官ら三人は、勧奨退職の対象になり、一千万円以上多い退職金をもらっていたのは記憶に新しい。曖昧な責任追及は国を蝕(むしば)む。


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