とっつきづらい哲学や心理学の内容を、出来るだけわかりやすく完結に お伝えすることを目的としたチャンネルです。
【イカの哲学】6分でざっくり解説要約【中沢新一・波多野一郎】 https://youtu.be/sIdp-eK4fyM ※書籍 レヴィナス入門 (ちくま新書) https://amzn.to/33oxXkG
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー エマニュエル・レヴィナスは、当時ロシア領だった現在のリトアニアに ユダヤ人として生まれました。 1928年にはフライブルグ大学でフッサールとハイデガーの講義を受け、 哲学の研究に勤んだと言います。 1931年にフランスに帰化すると、 第二次世界大戦ではフランス正規軍に従軍。 1940年にドイツ軍により捕らえられ、捕虜となります。 幸い、フランス軍に在籍していたことで、人道的措置を受け、解放されますが 彼の親族のほとんどはドイツ軍に虐殺されてしまいました。 その後は、大学の教師をしながら様々な著作を残し、 1973年からはスイスのフリブール大学にて哲学教授を務めます。 レヴィナスは、ユダヤ人の大量虐殺を当事者としてすぐ近くで経験し、 そこから運よく生還することができました。 とはいえ、親族はほとんど殺されてしまいました。 だというのに、世界はそれまでと変わらずに 何事もなかったようにそこに存在していたのです。 彼は、自分にとってたくさんのものが失われたのにもかかわらず 何も変わらずに存在している世界に対して説明のできない恐怖を感じました。 このように、主語(この場合はレヴィナスにとっての親族)を失っても 存在し続ける何かのことを【イリヤ】と呼びます。 これって、多くの方が過去に一度は考えたことがあるのではないでしょうか。 仮に自分が死んだとして、それでもおそらく世界は当たり前のように続いていく。 そのように考えると、漠然とした恐怖を感じますよね。 例えが稚拙で申し訳ないですが、 仕事から自宅に帰ってきて、ドアを開けたら、 部屋に見たことがないマネキンが置いてあった。 そこには主語が存在せず、その因果関係を理解することができません。 そのような存在のことをイリヤと呼び、 当然のように恐怖を引き起こすわけですね。 レヴィナスはこのイリヤという概念をとっかかりに 『人はどのように生きるべきなのか?』 『他者とはなんなのか?』 について考えます。 これを他者論とカテゴライズしたりします。 他者論の立場では、誰も否定できない真理を作ることは不可能だと断定します。 例えば「Aである」という意見があったときに、 必ず、『「Aである」を否定する』という他者の意見が存在し、 さらに、【『「Aである」を否定する』を否定する】という他者の意見が存在し・・・ という具合に無限に否定が成立してしまうからです。 このことからレヴィナスは他者を【無限の存在】と規定しました。 同様に、他者そのものの存在に関しても、 それまでの哲学とは違った見方を展開します。 例えばカント的な他者の見方においては、 他者を観察することで他者という観念が作られると考えます。 これを言い換えると、他者を自己の中に含み込んで、 自己の世界で他者を理解していると言えますね。 一方でレヴィナスは他者は自分の外部にあるものだから、 操ることも理解することもできないと考えます。 むしろ、自己の世界で他者を理解しようとする態度は、 エゴイズムを引き起こす要因になるし、 そのように自己完結した世界に閉じこもっているからこそ その外部にあるイリアの恐怖から逃れられないと言うのです。 その上で、イリヤの恐怖を抜け出すためには他者が必要だと彼は考えます。 厳密にいうと、他者の【顔】が重要であると。 この概念が大変に難解なんです。 ここでの顔とは、直接的に顔という部位を指すわけではなくて、 顔の特性である『発話できる』『無防備である』『それぞれの個性がある』ものを概念化した要素です。 レヴィナスはこのような顔と向き合うことによって、 倫理的な抵抗力が働き、他者に対する責任が無条件に発生すると考えます。 逆説的な意味としては、 『他者の否定は殺人としてのみ可能である』 と論じています。 さらに『私は他者を殺しうる』とまで言うんですね。 しかし、それは他者の顔が見えていないことが条件となります。 繰り返しになりますが、他者の顔と向き合った瞬間から、 強制的に倫理的な抵抗力が働き、他者を否定(殺人)することはできないわけです。 つまり、他者の顔と向き合う(他者を尊重する)ことによって、 世界はより平和に向かっていくと考えたのです。 そして、無限の存在である他者の顔に責任を負うことで、 イリアの恐怖が渦巻く自己の世界から抜け出すことができるとします。 これを『私とは他者に対して無限の責任を負う者である』と表現しています。 レヴィナスはナチスのユダヤ人弾圧を生き延びたことを罪と考えていたようです。 それがあるからこそ、『人はなんのために生きるのか?』について 過剰なまでに考え抜いた人だと言えるでしょう。 他者の顔を【実存】と捉えると、 以前に解説した【イカの哲学】でも同様の思想が見て取れますね。 イカの哲学の著者である波多野一郎さんは特攻隊の生き残りでした。 戦争という過酷な環境を生き残った両者が、 他者に対する責任を重要視したのには大きな意味があると感じます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー